84 南西砦
魔族、レミート・クンツァイトは占領した中央の砦の一室でテーブルに向かい座っていた。テーブルの上には白い丸パンと塩漬豚肉が置かれている。
レミートは塩漬豚肉をナイフの先に引っ掛けて口に運ぶ。塩味を楽しんで咀嚼し飲み込むと、続いてパンを手に取り口に入れる。
と、部屋に魔族の男が入ってきた。
「何を食べている?」
「見ての通り、パンと塩漬豚肉。パンは焼きたてよ、ヤニック殿も食べます?」
「いや、結構。食事は先程済ませた。二度焼きの堅パンだがな。焼きたてのパンなどどうしたのだ?」
「どうって、部下が焼いてくれたのよ。この砦、食料は全部廃棄されていたけどパン焼き窯は無事だったから手持ちの小麦を使って」
「そうか……体はもう良いのか?」
「ええ。吐き気もおさまったわ」
レミートはリリヤとの戦いで内臓に傷を負った。臓器へのダメージは治癒魔術で治しても暫く吐き気などの症状が残ることがある。レミートも症状があったため昨日の3要塞攻撃では古龍の防御を担って後方にいた。
「それは良かった。食べながらで構わない、話をさせてくれ」
「もちろん。明日の攻撃方針についてよね?」
「そうだ。統合魔術の使い手だが、存在が確認できない。俺は居ないと判断するが、レミート殿はどうだ」
「同意見よ。居るならここまで統合魔術を温存する理由がない。近付いてくる部隊に遠距離から撃つだけでかなりの損害を与えられるもの。加えて、威力偵察の情報から統合魔術の使い手として確認されているのは黒髪の男性魔術師、名乗りを信じるなら名前はドクラス・カッセル。東の砦でも西の砦でも真ん中でも、それらしき目撃情報はない」
「同じ認識で良かった。しかし何故居ないのか……南からの別働隊が釣ってくれたというなら素直に歓迎できるのだが」
「少し不自然よね。地割海を使って上陸した別動隊には隷化龍種は居ないわ。可能性としては……偶然南方に居たとか? ま、考えても仕方ない。人類に関する情報は少な過ぎる」
「そうだな。明日はどう攻める?」
「統合魔術の使い手が居る可能性はゼロではない。念のため極めて貴重な古龍はこの砦に残す。ブラックドラゴンを前面に押し出してブレスで城壁を破壊し一気に突入、というのでどう?」
「構わない。その方法で行こう。明日夜明けと同時に編成開始で良いか?」
「ええ。そうしましょう。もし別働隊が統合魔術を釣り出してくれたなら、今は彼らが命で稼いでくれた時間、無駄には出来ない」
ヤニックは「分かった」と言って部屋から出ていく。
一人になったレミートは「リリヤ、また戦えるといいなぁ」と呟いた。
◇◇ ◆ ◇◇
リリヤ・メルカは第一要塞群の南東砦にいた。
北西、北央、北東の三砦は陥落したが、守備隊は南西と南東の砦に撤退できていた。撤退に用いた地下道も埋め立て済みである。
ただ、損害は大きい。魔術師48名、剣士89名が死亡、戦闘不能者も多数いる。一般兵の死者はカウントできていないが、5000人を超えると見込まれた。フランティス・デベルは一命を取り留めたものの戦闘不能だ。
現在魔族軍は占領した北側三砦で停止している。食事や睡眠を取っているのだろう。
リリヤがいる砦の大部屋では多くの兵士が慌ただしく走り回っている。時刻は深夜と未明の間ぐらい、眠そうな者も多い。
行われているのは撤退準備だ。北側三砦の防衛戦でこちらに統合魔術の使い手が居ないことは露見したと推測された。魔族は最初から上位龍を投入してくるだろう。ブラックドラゴンにせよ古龍にせよ、そのブレスは城壁を直接破壊できる。統合魔術により遠距離で撃破する以外に有効な防御手段はない。北側3砦と異なり、南の砦には水堀があるが、それも気休めにしかならない。
防衛戦を行っても稼げる時間は少なく、損害は膨大になる。ニコラとリリヤはそう判断した。
撤退は魔族軍が南側砦の攻撃を開始する直前に行う手筈になっている。
夜のうちに撤退するプランも検討されたが、却下になった。魔族側に気付かれた場合、砦を無視して追撃され却って危険だからだ。一度戦闘形態を取らせ、老人を守備に残して撤退する方が安全で時間も稼げる。そう判断された。
南東、南西の各砦にそれぞれ1000名程が残ることになっていた。
「リリヤ様、小麦粉と飼葉の焼却完了しました。これでいつでも動けます」
報告が上がる。小麦粉と飼葉を焼いたのは敵に利用させないためだ。それらの物資は撤退する経路には何箇所か事前集積してあるので問題はない。
「お疲れ様。各員可能な限り休息を」
その時、キュルキュルと木の擦れるような音がした。音の方を振り向くと、車椅子に乗せられた老人がいる。車椅子を押しているのはリリヤの母だが、今はそちらはいい。
「アルガー様、ご調子はどうでしょうか」
「ふふっ絶好調じゃ。だがリリヤよ、儂ののことはお爺ちゃんと呼びなさい」
「もう……分かりました。お爺ちゃん」
老人、アルガー・カッセルはリリヤの血縁上の祖父ではない。銘杖ランタナの先々代の継承者で、杖を継いだリリヤを孫娘だと可愛がっていた。
「うむ。リリヤや、銘杖ランタナを魔族に渡すことは許されん。必ず逃げ延びるのだぞ」
「はい」
セシリア・カッセルの杖として有名なランタナは至天杖に次ぐ重要な武器だ。リリヤが討ち取られ杖が魔族の手に渡れば人類側の士気に関わる。ただ、アルガーはリリヤが心配なだけのように思えた。
アルガーはこの砦に残る。主であるカッセル家の人間を捨て駒にするのは抵抗もあるが、あくまで優先されるのは対魔族戦だ。
「泣きそうな顔をするでない。もう立つこともできん身だ。儂はどのみち次の冬ぐらいが寿命じゃよ。最後の魅せ場所ができて嬉しい限り。『宝石持ち』もいるのだろ?」
「はい、二体確認できてます。ルビーがレミート・クンツァイト、トパーズがヤニック・アプサロンというそうです」
「ふふふふ。『宝石持ち』と戦う機会はなかったからな。楽しみじゃ、楽しみじゃ」
アルガーは楽しそうに笑う。強がりには見えない。
「ではお爺ちゃん、ご武運を。倒しといてくださいね」
「勝負は時の運、約束はできんが……やるからにはそのつもりじゃよ。さ、リリヤは寝ておきなさい」
皺だらけの顔を更にくしゃっとして、アルガーは言う。
「はい。ではお言葉に甘えて。母さんもまた後で」
リリヤは大部屋を出て、自分用の小部屋に向かう。質素だがベッドが一つある。現在南東砦にはギチギチに人が詰まっているので、非常に贅沢だ。
横たわると、木製の太い梁と無骨な石の天井が目に入る。次に屋根のある所で寝られるのはいつか分からない。下手を打てば人生最後だ。
リリヤはそっと目を閉じ、意識を手放す。
微睡みを経て、朝の光に目を覚ますと頭はスッキリしていた。夢を見ていた気がする。内容は漠然としているが、楽しい夢だった気がした。
水瓶の水で顔を洗い、要塞の屋上に向かう。
外に出ると、朝のひんやりした空気が気持ちいい。北を見る。魔族軍は砦の南側で編成中のようだった。
「第二要塞群までか……厳しいけど行かないと」
リリヤは独り言を呟く。
この先レブロ辺境伯軍は二手に分かれる。二コラ・メルカ率いる南西砦の兵は都市プガルトに、リリヤ率いる南東砦の兵力は第二要塞群を目指す。都市プガルトは迂回が可能なため全軍で守る訳には行かないのだ。
プガルトを放棄するプランもあり得るが、それはしない。魔族側としては人類側の戦力が残った状態のプガルトを無視して南進すると後方連絡線を断たれる。そのため攻略するか、一部兵力を以って包囲するかのどちらかを選択する筈だ。攻略ならば時間を稼げるし、一部で包囲なら戦力を分散させられる。
戦力の配分はおおよそ1対2でリリヤの率いる部隊の方が大きい。
リリヤは屋上から降り、大部屋に移動する。既に主だった指揮官が待機していた。
「リリヤ殿、いつでも撤退は開始できます」
北端砦の司令官だった男性が、そう教えてくれる。
「分かった。魔族は間もなく攻めてくるはず。タイミングを見て出ます」
暫し待機し「魔族軍戦闘形態で南下中」の報告を受けて撤退を開始する。門を開き跳ね橋を降ろして、ぞろぞろと砦を出る。物資を事前集積してあるので荷物は少ない。早歩きぐらいの速度が出せる。
ぞろぞろと長い列になって、道を進む。
皆、歩きながら何度も砦を振り返る。砦に残した老人たちに縁者が一人も居ない者はほぼ居ない。祖父だったり、大叔父だったり、恩師だったり、後ろ髪を引かれるのも当然だ。
だが、足を止めるものは居ない。第二要塞群への撤退は遅滞戦闘の一環なのだ。防衛のため、生きて第二要塞群に辿り着かなくてはならない。そのことは一般兵まで含め理解していた。
リリヤは左手を握って開く。大分動くようになってきた。これなら杖を握るぐらいなら問題ない。
追撃は必ず来る。困難な撤退戦になるだろう。
「第二要塞群か、遠いな……」
誰にも聞こえない小さな声でリリヤは呟いた。
◇◇ ◆ ◇◇
南西砦への攻撃を開始したレミートは有効な妨害は殆ど受けず、城壁に辿り着いていた。
ブラックドラゴンのブレスが城壁を直撃し、当たった部分がガラガラと崩れる。水堀に長い丸太を渡し、レミートは先頭を切って悠々と城壁の内側へ進む。後ろからは配下の魔族が続く。
「砦は放棄か」
レミートは少しだけ残念だった。最初に攻略した砦と同じように老人を残して撤退したのだろう。城壁の無事な部分からはパラパラと矢が飛んでくるが脅威にはならない。その弓兵達も蜘蛛型モンスターが城壁を登り次々と仕留めていく。
砦本体の扉も破り、内部へ進む。入口のホールには大型のバリスタと老兵たちが待ち構えていた。正面に設置されていたバリスタから太矢が放たれるが、レミートの展開していた魔術防壁にあっさり弾かれる。
老兵達は怯まない。剣を抜き、突撃してくる。レミートは魔力弾を構築し、老兵たちを撃ち貫く。
「勇猛な戦士に敬意を。どうか安らかに」
強者に迷いなく向かってくる老兵達に祈りの言葉を手向け、レミートは進む。正面の扉を開け、その先の部屋へ。
そこには車輪の付いた椅子に座った老人が居た。
相当な歳だろう。背は大きく曲がり顔は皺だらけ、手足は細く弱々しい。だが、目は闘志に満ち、練り上げられた魔力が周囲に保持されていた。
「私以外は入るな! 戦闘に巻き込まれる!」
レミートは後ろに続く配下の魔族に叫ぶ。一目で、只者ではないと分かった。
「ルビーの宝石持ち。貴殿がリリヤと互角に戦ったという魔族か」
しわがれた声で老人が問う。レミートは姿勢を正して答える。
「はい。レミート・クンツァイトと申します」
「足腰が駄目でな。座ったままで失礼するよ。アルガー・カッセルと言う。リリヤの前の前の、ランタナの所持者だ」
その言葉で納得がいった。つまりは嘗てのカッセル一門最強の魔術師か。
「私が先頭で入って良かった。部下を先に行かせれば壊滅していたでしょうね。全力で戦わせていただきます」
レミートは杖を構える。老人、アルガーは楽しそうに笑った。
「もちろん。手加減などさせん。体は動かんが、魔術はまだ使えるでの」
言い終わると同時にアルガーが魔術を構築する。対龍級の魔力槍を7発、構築速度が凄まじく早い。構築完了と同時に魔力槍が放たれる。魔力槍は蛇のようにうねり、変則軌道を描いて四方からレミートに迫る。
回避は困難、その上全周防御では防ぎ切れない威力だ。
レミートは即座に反応する。自分の背中に強力な魔力防壁を展開し、疑似質量噴射による高速移動で後ろに下がる。背後から迫っていた魔力槍が1発直撃するが、防壁が防ぐ。他の6発は狙いを外され、壁や床に穴を穿つ。
初撃を凌いだレミートは、巨大な魔力槍を構築する。アルガーに攻撃を回避することはできない。貫通力の高い魔術が最適だ。アルガーに向け、真っ直ぐに撃つ。
アルガーはレミートが魔力槍を放ったとき既に7発の魔力槍を再び構築していた。アルガーも魔力槍を放つ。アルガーが放ったうち5発の魔力槍がレミートの魔力槍に横からぶつかり、軌道を逸らす。レミートの巨大魔力層はアルガーを外れ、後ろの壁に大穴を空けた。残った2つの魔力槍がレミートに迫るが、それは身を捻って躱す。
本当に強かった。これでは意地は張れない。レミートはそのまま中距離での魔術の撃ち合いを選択する。接近戦に持ち込めばすぐに倒せるだろうが、一歩間違えば相打ちに持ち込まれる危険があった。
魔力槍が飛び交う。魔術の腕はほぼ互角だった。しかし、回避を選択できるレミートの方が結局は有利だ。最後はレミートの魔力槍がアルガーの胴を穿つ。
「お見事……うむ、よい最後じゃった」
そう言って、アルガーは静かに目を閉じる。レミートは息が上がっていた。数回呼吸し息を整え、口を開く。
「アルガー殿こそお見事です。凄まじい魔術でした」
頭を下げる。杖も持っていない相手に対して、動けない弱点を容赦なく突いて勝ったに過ぎない。反応はない。恐らくもう聞こえていないのだろう。
その後残敵を淡々と掃討し、砦の制圧は完了した。




