79 北端砦
魔術師リリヤ・メルカは北端砦の城壁の上にいた。隣には北端砦の司令官を務めていた壮年の男性が控えている。上位のリリヤが来たので現在は繰り下がって、彼は副司令官だ。
北側、視界の先に魔族の軍勢が見える。まだ距離はあるが確実に近付いてきていた。
「厳しいわね……」
「はい。流石に多過ぎる」
リリヤが呟き、副司令官が同意を返す。
敵は進出櫓で確認した通り、目測で10万程、多数の隷化龍種を含む強力な編成だ。高位魔族も相当数いるだろう。
背筋に寒気を感じる。
現在砦内には戦力は一線級の魔術師が100名に職業軍人の兵士が約2千人いる。普通に考えれば相応の戦力ではある。しかし迫る魔族軍の規模に比べれば余りに小さい。
もし全滅して良いなら時間を稼ぐ自信はある。だが先のことを考えれば戦力を消耗する訳にはいかない。
「魔術師隊は今のうちに離脱しておいた方が良いのでは? 貴重な魔術戦力をここで失う訳にはいきません」
副司令官の進言は自分達一般兵の全滅を前提としたものだ。目には覚悟の光が宿っている。
「駄目よ。たぶん、この後魔族は一部部隊を先行させてこの砦に威力偵察をしてくる。魔術師なしではその威力偵察部隊に陥落させられるわ」
巨大な軍団が一度戦闘を行い、再度移動を開始するには相応の準備時間を要する。それは魔族とて変わらない。
時間を稼ぐ為には、この砦で敵軍に本格的な戦闘形態を取らせなくてはならない。
「承知しました。最後まで砦に残る人員の選抜は終わっています。老人らが志願してくれました」
「そう……献身に感謝を」
絞り出すようにリリヤは言う。北端砦を守り切れる可能性は皆無だ。砦の放棄は確定だが、誰かを残さなくては逃げることすら叶わない。
レブロでは、その手の役目は年寄りが担うことになっている。
暫くすると、リリヤの予想通りにモンスターを中心とした2千程の集団が魔族軍本体から離れ、砦に迫ってきた。
「魔術師隊、北側城壁に集結!」
リリヤが叫ぶと、兵士が指示を伝達すべく走って行く。程なく、魔術師がわらわらと城壁に駆け上がってきた。
整列し、敵を待つ。
「距離700で攻撃開始!」
敵の姿がはっきりしてくる。シルバリーウルフを主体に、足の速いモンスターで構成されているようだ。騎乗した魔族もちらほらと見える。
リリヤは手にした銘杖ランタナに魔力を込め、多数の魔力槍を構築する。目測で距離を測り、モンスター目掛けて放つ。
リリヤの攻撃を皮切りに、敵に攻撃魔術が降り注ぐ。轟音が空を揺らした。
攻撃を受けた魔族部隊はすぐに方向転換し、離脱を図る。逃げる背中にも追撃を加えるが、さしたる損害は与えられない。だが、これで敵はこの砦に相応の敵が居ることを理解したはずだ。
敵威力偵察部隊との交戦中も魔族軍本体は移動を続けていた。威力偵察部隊が魔族軍本体に合流すると、魔族軍は一旦止まる。
魔族軍は進軍形態から戦闘形態へ移行を行っているようだ。目標は一つクリアした。
やがて、魔族軍は大きく3つに分かれた。
1番前にモンスターの集団がいる。多種多様で、とにかく数が多い。
モンスターの後ろには魔族達が続いている。中には高位魔族も多数いる筈だ。グリーン、レッド、ブルーのドラゴンもここに混ざっている。
そして、一番後ろに上位龍種、ブラックドラゴンと古龍が控えていた。
「……統合魔術を警戒した布陣、良かった警戒してくれている」
前衛のモンスターが魔術師の接近を防ぎ、遠距離攻撃は高位魔族が迎撃する。魔族軍の配置は明らかに貴重な上位龍種を統合魔術の大火力から守るための布陣だ。
強力な上位龍種を先頭にして、一気に砦を破壊されれば手も足も出なかっただろう。だが、これなら辛うじて対処できる。
リリヤは目を閉じて数秒考え、戦術を組み立てる。
「魔術師部隊で出撃して敵前衛を削ります。一般兵は射程に入り次第バリスタと長弓で攻撃」
北端砦は四角い砦本体を、高く分厚い城壁が囲う構造だ。そして城壁の上には大量のバリスタが設置されている。隷化龍種や高位魔族には無意味だが、通常のモンスターに対しては強力な武装だ。
「承知しました」
副司令官が短く返す。
「離脱開始のタイミングは魔力弾で合図をします。でも貴方が離脱すべきと判断した場合は私の指示を待たずに撤退して」
「はい。ご武運を」
「ええ。貴方もまだ死んでは駄目ですよ。せめてプガルトぐらいまでは働き続けて貰わないと」
「リリヤ殿も人使いが荒い……分かりました。是が非でも」
敵魔族軍が動き始めた。じわじわと前進してくる。
リリヤは息を大きく吸い、声を張り上げる。
「魔術師部隊北門前に移動! 出撃して敵の先鋒を叩きます。但し戦力の維持が最優先です。死ぬのは絶対に許しません。その後は第一要塞群に撤収します」
我ながら無茶な命令だ。リリヤは自嘲気味に笑う。部下達も苦笑いしている。
リリヤは魔術師部隊を引き連れ城壁を下り、門を抜けて砦の外へ出た。
砦の周辺は少し高台になっているので視界は広い。モンスターの大群が見えた。まだ遠いが、土埃を巻き上げながら迫ってきている。敵との間には草原が広がるのみ、遮蔽物はない。
「前進し、射程に入ると同時に攻撃! 初撃は火炎魔術『蒼雨』、敵最前列を焼く。次撃以降は爆裂弾を軸に各自判断!」
声を張り上げ指示を出し、リリヤは走り出した。部下の魔術師達も同様に駆け出し、徐々に散開して横隊になっていく。
風を切って進み、敵の姿が大きくなっていく。
そろそろ頃合いだ、リリヤは詠唱を始めた。周囲の魔術師も詠唱をしている。
敵が射程に入ると同時に発射する。
数多の蒼い光が空に舞った。光は途中で枝分かれし、その名の通り雨のように降りそそぐ。敵に比べれば遥かに少ないが、それでも魔術師100人による一斉攻撃は圧巻だ。
最前列のモンスターが燃え上がる。
既に次弾の構築は終わっている。リリヤは爆裂型の魔力弾を大量にばら撒く。
他の魔術師も魔力弾を構築していた。
リリヤの魔力弾が先陣を切り、橙色の光の玉が敵の前列を直撃する。
爆音が木霊し、モンスターの肉片が宙に舞った。
高位魔族がいればあっさり迎撃される爆裂弾だが、大きな効果を上げている。敵がドグラスを警戒してくれるお陰だ。
「徐々に後退! 敵との距離を維持! 遠距離戦を継続します!」
後退しつつ攻撃を継続し、徐々に砦に近付いていく。
リリヤの視界の端にいたモンスターが、太矢の直撃で後ろに吹き飛んだ。バリスタの射程に入ったようだ。太矢が降り注ぎ、モンスターを次々と貫いていく。
魔術攻撃と城壁上からの太矢でモンスターの足が止まる。一時的にリリヤ達が優位だ。
だが、だからこそここが限界だ。ドラゴンと魔族が出てくればこちらはすぐに瓦解する。リリヤは発光魔力弾を構築し空に向けて放つ。
「総員! 撤退戦に移ります。北端砦放棄!!」




