75 王都不協和音
ホバート侯爵パスカル・ホバートが王都ホバート邸の執務室で机に向かっていると、ドアがノックされた。「入って構わん」と返すと、執事のジモンが入室してくる。
「ホバート候に是非お話したいことがあるとのことで、ポリナ伯、カルミル子爵のご両名がお見えです。ひとまず、応接室にお通ししてあります」
執事の言葉に「そうか」と返す。ホバートの声には疲労が滲んでいた。
先触れなしでの来訪、礼儀に反した行動には多分に抗議の意味が混じっている。
「内容は、また同じだろうな」
「かと思われます」
つい先程までホバートはグライド伯爵と会談をしていた。内容は国王軍総司令官をロラン・ブラッケが務めることへの抗議だ。
ホバートらの策略が功を奏し、フィーナ王国内部では大臣派への敵意と警戒が非常に高まっている。
そのため、国王軍の司令官を大臣の甥にすることに強い反発が生じていた。
抗議の声は貴族だけでなく、有力な平民らからも上がり、大きなうねりとなっている。バララット伯やレブロ辺境伯と共に不満の抑え込みに努めているが、制御できていなかった。
抗議など無視してしまいたいが、国王軍の将兵には貴族の次男や三男が多い。不満は彼らにも伝播しており、このままでは軍の士気に関わる。
自分達で撒いた種ではあるが、難しい状況に陥ってしまった。
「何にせよ、会わない訳にはいかん。応接室に向かう」
ホバート候は執務室の席を立ち、応接室に向かう。執事の言葉通り、中には二人の貴族がいた。
挨拶を交し、先方から突然の来訪につき謝罪の言葉を受け、本題に入る。案の定、国王軍総司令官に関する異議だった。
「ご懸念には私も同意いたします。しかしながら、魔族侵入との報があった以上、ここはブラッケ家も含め、団結せねばなりません。我らとしても大臣ヘルマン・ブラッケの動向に警戒を怠るつもりはありません。どうかご理解を」
言葉を尽くすが、ポリナ伯とカルミル子爵の顔は硬い。ホバートには彼らの気持ちがよく理解できた。
ホバートと彼らの決定的な差は王女エリーサに関する情報の有無だ。
ホバートは王女が無事であり、ソニアとトリスタによる教育を受けていることを知っている。エリーサが王都に帰還すれば大臣派を抑え安全に軍を運用できるという見込みがあるのだ。
だが、そのことを話す訳にはいかない。情報はどこから漏れるか分からない。知る者は最小限にする必要があった。
結局、平行線のまま会談は終わる。
執務室に戻り、ホバートは椅子に深く腰を掛け、大きく息を吐く。
今日はこの後に枢密会議が控えている。議題は今後の軍の運用についてだ。
国王軍の兵力集結自体は順当に進んでいる。
現時点で集結済みの兵士は総数4万8千人程、数の上では国王軍全隊の約半分だ。しかし、魔術師や重装騎兵などはほぼ集結済み。質も考慮した実戦力でいえば8割近くは揃っている。
「ジモン、少し腹に入れておきたい」
ホバートは執事に命じ、軽食を用意させた。直ぐにパン、チーズに冷製スープが運ばれてくる。重い仕事の前にはこのぐらいが良い。
ちょうど食べ終わったとき、扉がノックされた。ホバートは何かと首を傾げつつ「入れ」と短く返す。扉が開き、慌てた様子の文官が入ってくる。
「ホバート候、北の狼煙が確認されました」
狼煙はレブロ方面に魔族が出現したことの報せだ。なるほど、予想通り来たか。
「分かった。そろそろ王宮に向かう」
◇◇ ◆ ◇◇
「デベル家としては、現在集結済みの兵力を、レブロへと向かわせることを提案させていただきます」
アルガス・デベルが一言一言はっきりと、主張を述べる。
だが、居並ぶ枢密委員の顔は硬い。
「しかし、アルガス・デベル殿、魔族は南からも迫っているのでしょう? 今頃はレブロから詳細を報せる早馬が走っている筈。南からも同様でしょう。情報を待つべきでは?」
疑問を呈するのは中立派の委員だ。幾人もの委員が頷く。
レブロ方面からの狼煙が確認されたことは共有されている。だが狼煙は『魔族が現れた』という情報でしかない。どの程度の戦力かは全く分からない。
「確かに現時点ではレブロ方面の魔族は規模が不明です。ですが、だからこそ急ぎ北に兵を送るべきかと。南から来る魔族は規模からして後方撹乱部隊です。位置的にプレット基地の部隊が対処している可能性も高い。集結した国王軍戦力は数でいけば未だ半数、これより先に集まる戦力を南が抜かれていた場合の備えとして残せば、王都の防衛には問題ありません」
アルガスが根拠を述べるが反応は悪い。
実際は南にはトリスタ・デベル達がおり、魔族は撃滅済みの可能性が高い。南への備えは遊兵を生むだけだ。アルガスの顔には焦りの色が滲む。
中立派委員が言葉を返す。
「後方撹乱というが、魔族とモンスターで万に迫る軍勢という話ではないか。正直プレットが勝てるとは思えん。もう少し待つべきだ。南からの情報も数日あれば来る筈。それに、レブロには貴家の軍が向かってくれているのだろう」
「それは、そうですが……」
委員の多くが軍の出動に消極的だった。
情報が揃うのを待ちたいという言葉は嘘ではないだろう。しかし、消極的な理由はそれだけではない。軍を出撃させる時点で正式にロラン・ブラッケに権限が与えられてしまうのだ。
ホバート以外の非大臣派枢密委員にも、ロラン・ブラッケを司令官とすることへの懸念が多く寄せられている。無視できない大きな声だ。
ホバートをしても今日の会議でレブロへの派兵を押し込むのは難しかった。
それでも、善処はせねばならない。ホバートは口を開く。
「北に現れた魔族がレブロ辺境伯軍とデベル軍を短期間で破る程の軍勢だった場合、手遅れになる。デベル家の懸念はそれでしょう。一理あると考えますがな」
「デベル家の立場は理解できますが、情報があれば北と南への適切な戦力配分も可能です。やはり詳細情報は待つべきでは」
中立派委員の言葉にホバート派の委員も頷く。大臣派は静観の姿勢だ。
やはり、厳しい。
ここは迅速な行軍のためにレブロ方面に物資を事前輸送する程度で手を打つか? しかし、数日の差が国の存亡を分けるかもしれない。
いっそ、情報を明かすか? しかし、どこまでをどう出すか……
そのとき、何か音が聞こえてきた。何人もの人の声が重なり、ガヤガヤとした雑音となっている。
音は徐々に近付いてくる。
何だ? と思っていると、会議室の扉が乱暴に開け放たれた。




