66 詠唱
「人間軍は部隊を4つに分割、この森を包囲するつもりのようです」
駆け込んで来た斥候がガルモスに報告する。
「包囲? 包囲してどうする」
予想外の展開にガルモスは思わず声を上げた。
意図が読めない。敵は単なる人間の兵士の筈だ。包囲されてもガルモス達は容易に突破できる。
「はい。しかし包囲としか言えない動きをしています」
「そうか……想定外だな。こちらの戦力を見誤っているのか、若しくは我々が人間の戦力を正しく認識していないのか」
そのとき──
ゾクリ
と、ガルモスは悪寒を感じた。そして、すぐにその原因を理解する。魔力だ。隠す気もない膨大な魔力が渦巻いている。
「何だ、これは」
状況を確認しなくてはならない。根拠はないが広範囲を目視すべきだと感じた。ガルモスは直感に従い、近くにあった木に素早く登る。天辺近くまで登ると視界が開けた。
見回すと、青い光が見えた。地上から天へと伸びる一条の光だ。
初めて見る光景だが、知ってる。
空を穿つ青い光柱は、悪夢の記憶として魔族に語り継がれている。
それは大戦時に魔術師フィーナが用い、魔族軍を壊滅せしめた広域殲滅魔術の特徴だ。
副隊長も木を登ってきて、辺りを見回した後、固まる。
「まさか喰イ裁ク空……」
「だろうな……そうか至天杖、あの大魔術師はフィーナの子孫か」
魔術を行使しているのはあの大魔術師だろう。これほどの魔力を持つ者がゴロゴロいる筈がない。そして、『喰イ裁ク空』は至天杖によってのみ行使可能な、特殊な詠唱魔術と予想されている。かの杖を有しているならフィーナの子孫であろう。大魔術師に近付いた者は全滅していたので、誰も気付かなかった。
「どうするか……」
驚き呆けている場合ではない。ガルモスは考える。
『喰イ裁ク空』についての情報は少ない。魔族はたった一度その攻撃を受けただけなのだ。
分かっているのは極めて広い攻撃範囲を持ち、古龍さえ屠る威力であること。つまりあの魔術が完成すればガルモス達は全滅する。
一方、詠唱時間は長大で、詠唱開始後の移動は不可能と予想されている。使い勝手の悪い魔術でもあるのだ。
それらを踏まえると、選択肢は2つしかない。逃げるか詠唱を阻止するかだ。
「くそっ、包囲はこのためか」
逃げる、それは困難だ。森の外側は人間の軍が包囲している。人間の軍を蹴散らすのは容易いが、それでも多少の足止めはされてしまう。ガルモス達が森から離脱したとなれば大魔術師は詠唱を中断し背後から襲ってくるだろう。そうなれば部隊は壊滅的打撃を受ける。
詠唱の阻止は可能だろうか。正直分からない。だが逃げるのはリスクが大き過ぎる、やるしかない。
「精鋭5騎で攻撃させろ。一撃離脱だ」
ガルモスは副隊長に指示を出す。まずは威力偵察だ。
◇◇ ◆ ◇◇
エリーサは森の中、詠唱を続ける。
『喰イ裁ク空』の呪文は序盤、中盤、終盤に分けられる。長大な詠唱のうち大半が中盤で、そこは同じ句の繰り返しだ。既に序盤部分は無事に唱え終わった。あとは延々と繰り返すだけだ。
エリーサはソニアから呪文を習い、序盤と中盤を覚えていた。しかし終盤はまだ覚えていない。そもそもエリーサにはまだ『喰イ裁ク空』を発動し維持するだけの技量はない。
この詠唱は単なるブラフだ。
『喰イ裁ク空』は詠唱の開始直後に空へと至る光柱を発生させる。詠唱が即座に露見する光柱は『喰イ裁ク空』のデメリットだ。使いにくい魔術とされる所以の一つと言える。
ソニアは「光柱を見た敵は逃げるか詠唱を阻止するか、何れにせよ対応されてしまいます」と言っていた。
なら、詠唱すれば魔族はそうするだろう。"森に潜む"というエリーサにとって一番厄介な現状を打開できる。
延々と言葉を繰り返す。
と、何やら獣が走るような足音が聞こえてきた。エリーサは魔術防壁を構築する。全周防御だ。
足音は近づき、やがて木の陰から狼型モンスターに乗った魔族が飛び出す。数は5、魔力槍を構築している。
5本の魔力槍が放たれ、エリーサの防壁に衝突、轟音を残して消える。
エリーサは防壁を維持したまま、魔力刃を1つ構築し、魔族のうち1体を目がけて放つ。魔族は躱そうとするが、避けきれず肩に裂傷を負った。
『喰イ裁ク空』の詠唱中に他の魔術を行使するなど、全盛期のフィーナでも不可能だ。しかし、エリーサは最初から魔術を完成させるつもりはない。
高い塔を築こうとすれば、下から精密に石を積んでいく必要があるだろう。だが途中まで建築するフリをするだけなら、片手間に適当に石を置いて構わない。
発動しなくて良いなら『喰イ裁ク空』を詠唱しながら戦うこともある程度は可能だ。
5体の騎乗した魔族は方向転換し、逃げ去っていく。
追撃にもう一発魔力刃を放つが、これは外れてしまう。
エリーサは去っていく魔族を見送り、詠唱を続けた。




