60 バルエリへの道
「どうなっている! 何故この手紙が私のところに来るまでこんなに時間がかかる!」
バララット伯爵家次期当主、セヴラン・バララットの怒声が執務室に響く。居並んだ10名程の家臣らは顔を強張らせ、直立していた。
普段のセヴランは温厚な人物だ。怒鳴ることなど滅多にない。
「その、内容が内容のため、あちこちで滞留したようで……」
バララット家に仕える高位の文官が恐る恐る述べる。
「内容が内容だぞ! 即座に上げずにどうする!」
再び、声が部屋を震わせる。
そもそも、領地の南端の村の住民が「村がモンスターに襲われた」との証言と共に持ち込んだ手紙だ。その時点で重要である。
セヴランは自分の頭に手をあて、沈痛な面持ちで大きく息を吐く。
バララット家では大臣派との政争に備え、優秀な家臣は王都に配置していた。バルエリの運営は割りを食っている状態だが、それを差し引いてもお粗末だ。
「とにかく、今すぐに動ける人員だけでお迎えに上がるぞ。私も行く」
「と、いうことは、その手紙は本物なので」
家臣らが目を丸くする。無理もない。手紙の内容は「南方から魔族の大部隊が迫っているから防御と避難民受入れの準備をして欲しい、自分は難民を守りながらバルエリに向かう」というもの。そして差出人は王女エリーサ・ルドランとなっていた。
余りにも荒唐無稽である。
「恐らくは本物だ。エリーサ様の署名は見たことがある。筆跡は同じに見える。加えて、父から共有されていた機密情報とも一致する」
セヴランは父であるバララット伯から情報を共有されていた。王女エリーサが侍女らと共にヴェステル王国に入ったことは知っている。
筆跡だけなら似せて書いたという可能性もあるだろうが、エリーサの動向はフィーナ王国でもごく僅かな人間しか知らない。
それにエリーサの名を騙り魔族の襲来を報せるなど、謀略として意味不明だ。
「都市の防御も固めねばならない。都市内と近隣の村から冒険者を掻き集める。体格の良い領民もだ。少しでも戦力を積みませ」
セヴランは早口気味に指示を出す。
状況は悪い。国境に近いバルエリは他のフィーナ王国都市よりは防御されているが、それでも守備兵は500人程しかいない。
「承知いたしました。援軍の要請はいかがしましょう」
「間に合わないだろうがプレット基地の国王軍には援軍を要請する」
プレット基地はバルエリから最も近い国王軍の基地だ。要請をすれば援軍は来る。しかし近いと言っても、今から呼ぶなら20日はかかる。王都の精鋭を呼ぶとなれば最短で60日といったところだ。
「それと避難民収容のために広場にテントを張っておけ。以上だ、馬の準備を!」
セヴランは焦った顔で執務室を出た。
◇◇ ◆ ◇◇
ガルモス率いる魔族部隊は草原を進んでいた。バラバラになった戦力はほぼ再集結が完了し、一つの大集団になっている。
バルエリへと向かう途中、森の切れ目から草原に出るときには緊張していたが、行軍は順調だ。
「足止めは成功したようですね」
隣を進む副隊長が言う。
「ああ、大魔術師を引き離せたな。戦力を更に消費してしまったが、仕方ない」
この見晴らしの良い草原であの魔術師から攻撃されれば致命的な被害を受ける。森が途切れる地点までに彼女らを引き離すのは必須だった。これで、バルエリ近郊の森に無事に辿り着ける筈だ。
と、ガルモスのところに羊型モンスターに騎乗した魔族がやってきた。
「隊長、騎乗にて失礼いたします。街道を南に向かう人間の一団を発見しました。数は18、全員馬に乗っており、何やら急いでいる様子です。遠目ではありますが、装備が良質な軽装騎兵に見えました」
報告を受け、ガルモスは首を傾げる。バルエリの領主が我々の存在に気付き斥候を放ったのだろうか?
「周囲を探っている様子だったか?」
ガルモスの問に羊型に乗った魔族は首を横に振る。
「いえ、大急ぎで南を目指しているようで、偵察には見えませんでした」
偵察でないとすると、見当が付かない。南に向っているということは、そのまま進めば大魔術師達の所に辿り着くだろうが……
「どういたしましょう、今なら殲滅は十分可能ですが」
暫し思考を巡らすが、ガルモスにはその集団が何を目的としているのか、予想が立たなかった。
とはいえ、人間である以上敵だ。放置するのも好ましくない。
「機動力のある小部隊で遠方から攻撃し、即座に離脱しろ。大魔術師に捕捉される危険は冒すな」
ガルモスはそう指示した。これ以上戦力を失いたくはない、安全な範囲での攻撃に留めるべきだろう。
羊型モンスターに乗った魔族は「はっ、承知いたしました」と返し、命令を実行すべく去っていった。
◇◇ ◆ ◇◇
「だいぶ足止めされちゃったなぁ……」
エリーサは口の中で小さく呟いた。
夜明け前の魔族による襲撃の後、必死に負傷者の治療を行った。幸いなことに死者はゼロに抑えられたが、移動を開始できた時には既に昼になっていた。
治療に加えて、荷車の運用の調整にも時間を要した結果だ。
足に欠損レベルの負傷をした者は、エリーサの回復魔術で再生してもすぐには上手く歩けない。昨日まで荷台で移動していた老人や子供のうち比較的体力のある人を徒歩組に振替え、負傷者を乗せる必要があった。
当然、移動速度もやや落ちている。
昨夜の襲撃の目的は恐らくエリーサ達の足止めだ。ならば魔族は目的を達したことになる。良くないとは思うが、遅れを取り戻す手段も思い付かない。
ぞろぞろ、ぞろぞろと避難民の列は街道を進んでいく。
「エリーサ王女殿下、その、魔力は大丈夫でしょうか」
隣を歩くアマンダが心配そうに尋ねてきた。
「大丈夫です。荷車の調整中にだいぶ回復しましたので」
確かに四肢を再生させまくるのは大変だったが、エリーサは魔力の回復速度も早い。全快とはいかないが、問題はない水準だ。
「ならば良いのですが、ご無理はなさらないでくださいね」
やがて、街道の横に広がっていた森が途切れた。視界いっぱいに草原が広がる。地面の緑と空の青、二色に塗り分けられた景色が綺麗だった。
「森の切れ目まで来ましたね。バルエリがだいぶ近づいてきました」
アマンダの言葉にエリーサは"よし"と思った。
バルエリにさえ着けばトリスタが待っているかもしれないし、少なくともバララット伯の息子がいる。彼が諸々の判断はしてくれる筈だ。避難民に頼られ、内心オロオロしながら物事を決めていくストレスからは開放されるに違いない。
エリーサもバララット家の長男セヴランは何度か見たことがある。年齢は30代前半で妻子もいた筈だ。領地運営をほぼ任されているらしいからきっと優秀だろう。
そう思うと少し足取りも軽くなる。
と、その時避難民の列の先頭付近からざわめき声が聞こえてきた。何だろうと思ったら、列の前側から人が走ってきた。
「前方に人が倒れています! 20人ぐらいで、騎士のように見えます」
エリーサは一瞬考え「行きます!」と声を上げた。ここは見晴らしがよい、列中央から離れても奇襲はされにくい。
全力で走り、先頭まで行くとそれが視界に入る。確かに騎士のような一団だ。人数は18、馬もたくさん倒れている。
馬の方は数匹所在無さげに立っているが、人の方は全員地面に横たわっている。
まだ息があるかもしれない。急ぎ駆け寄り、確認する。
一つ、見たことのある顔があった。
エリーサが頼る気まんまんだった人物、セヴラン・バララットが血の中に伏していた。




