187.波澄阿修羅と【アオアクア】前編
-2004/08/30 22:16-
-2004/08/30 23:25-
-2004/08/30 00:00-
-〈多世界code『luck0085536995443』→→→→→『unl03612445891445652』〉-
-junction-
-junction-
-junction-
…………〈connect〉
──【1998/08/15 波澄阿修羅13歳】──
----------
-----
「阿修羅ー、ご飯どうするのー?」
「…………いらない、行ってきます……」
──蝉時雨の鳴り止まない、入道雲が蒼に添えられる陽気の日々。好奇心と冒険心が全身を擽るような晴れやかな夏──そんなものを学童時代に置き去りにした大人達がどう捉えるかはさて置いて……窮屈な学舎から解き放たれた子供たちにとってはまさに彩りの毎日と成り得よう。
しかし、少年はそんな夏が嫌で堪らなかった。
当時は部屋にエアコンも無く、ネットも無く、そして、共に過ごす予定の友人もいない。
そんな少年にとって……ただ暑く、過ごし辛いだけの時間の積み重ねは耐え難く……何かをしなければと志すも、それができるだけの金も、するだけの度胸も、やるだけの意味も無かった。
(……つまんねぇ………くだらねぇ……)
中学一年生という身分にとって、お小遣いとお年玉貯金をゲームや漫画に使い果たすと当然の如く懐など素寒貧で……それらに飽きても無意味に部屋に横たわるしかできなかった。
そんな繰り返しの閉塞感に耐え兼ね、その日は当てもなく外に出てみようと少年は思い立ったのだ。
茹だるような暑さの中に飛び込む夏の虫のような愚行でしかなかったが……『そんな思い付きが格好いい』と中二病全開だった少年は微塵の計画性も無く、街をぶらついた。
(……馬鹿どもがアホみたいに騒いでやがる……あ~あ、早くこの世界終わってくんないかな……)
片田舎とは言え、駅前まで出るとそれなりに人の姿があった。
普段であれば知り合いに見られるのが嫌で人の集まりそうな場所は避けがちな少年だったが……中二病を発症していたため……そんな想いを抱きながら気を大きくして、界隈で唯一の賑わいをみせるCDショップへと足を踏み入れたのだ。
特に用があったわけではない──手持ちのない中学生にとって、意味もなく立ち寄れて時間を潰せる場所が本屋かCDショップ、イ●ンモールくらいしかなかったのである。
(アイドル……フォーク……jpop……どいつもこいつも『恋』だの『失恋ソング』だの『素晴らしい世界』だの『輝ける明日』だの『桜が綺麗』だの……他に歌うことないのか?)
斜に構えた少年は、クラス内や街中を賑わせていた一辺倒でありきたりで微塵も感性に響かないような楽曲の数々に辟易していた。
どいつもこいつもが人に寄り添う振りをしながら『前向きに生きる』事を推奨する。
『明るく』『元気を出して』『希望を持って』生きる事で道は拓ける、と。
だが、裏を返せばそれは『それができない人間は社会不適合』と言っているのと同義だ。臭いものには蓋をして切り捨てろと暗に示しているだけだ。少なくとも少年にはそうとしか聴こえなかった。
──だから頑張れ。と。
──そうなりたくなければ、と。
学校の教えも、周囲の人間も、両親でさえも。蔓延する歌詞の通りでいることを薦める。
友達は多ければ良く、少しくらい勉強出来なくても健康であれば良く、周りに馴染んでいれば心配ない──『それが人の生きる道だ』と。
つまり、それができていない人間は世界に求められていないのだ。
ナンバーワンじゃなくても、唯一であれば良い──じゃあ、オンリーワンにすらなれない人間は生きる資格もないのだろうか?
人は一人じゃ生きられない──つまり一人で生きる事は許されないのだろうか?
笑って歩こうよ──つまらないのにどうして笑わなければならないのか、笑わなければ弾かれるのは当然の事なんだろうか?
人と同じように生きなければ、生きてちゃいけないのだろうか?
勿論、そんな歌詞を綴る全てのミュージシャンがそう思っているわけではないだろう。世代や時代を反映させた……戦略として売れ線を取り入れてもいるのだろう。
しかし少年はそれを理解して尚、嫌気が差していた。
自分の想いを歌詞に乗せるはずのミュージシャン達がこぞって周りと『同じ』になり、思想が人々に伝播し、そんな人々の求める詞を音楽家達が書き綴る。
そうして社会の『普通』は出来上がる。
普通に流されないやつは、当然のように弾かれる。
誰も普通じゃないことを認めてはくれない。
誰も彼もが、音楽さえもが少年の世界を否定する。
人と違って何が悪い──中二病であり頑固だった少年は普通に社会に反発して、ごく当然に孤立していた。




