183.女子高生(おっさん)のユメカナ
「あ……あっ……あぁ………」
「──会えて光栄だよ、波澄阿修凪さん」
呼吸と心臓が荒い、眼がからからに渇く、指先がチリチリする、目の奥が熱い……ソルジャークラス1st(笑)さんのような感情が俺を支配する。
何故──ここに、あなたが。
これは夢か幻か、それとも違う世界線か。
いや、ここは確かに紛れもない現実で、おっさんが女子高生に憑依した世界だ。
混乱した思考が走馬灯のように脳を駆け巡って何も考えられない。
身震いする。
視界が歪む。
スキルも発動せず、汗が止まらない。
もしかしたら……俺はもうここまでかもしれない。
ここにいるはずもないあの人が目の前に立ち、おっさんと邂逅している。
そんな事実……到底受け止めきれない。
これは──ユメカナ?
夏と、夏休みと、夢のような世界が終わりを迎えようとしていたある日の最中に起こったこの出来事に……俺はこの世界へ来て初めて『死』というものを間近に感じた。
そして……走馬灯は加速する。
今日のこの時に至るまでを改めて確認させるかのように。
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「──はい、今向かってます。あと一時間で着きますよ」
8月最終週、宿題もイベントも無事に完了させた俺は出版社へと足を運んでいた。
コミケの時に編集長に言われた『メディアミックス化』について話し合うためだ。ハリウッド映画化だけはなんとしても阻止しなければならない、まだCG技術が発展途上であるこの時代にファンタジー作品を実写化するなど自殺行為である。そもそも実写が難しい作品を無理矢理映像化する必要性は一ミリもない。
(まぁハリウッド化はさておき……ついにアニメ化かぁ……なんか、全部がトントン拍子に進んでいくなぁ)
──『おじさんが来てからというもの全てがそんな調子でしたよ』
(はは、確か今更だ。けど……それは阿修凪ちゃんの美貌あってのものだから)
──『でも、それまでの私はなんにもうまくいきませんでしたから……やっぱり外見なんて関係ないですよ。中身が大事なんです』
(いいや、やっぱり人間は顔。阿修凪ちゃんが持って産まれた容姿こそが最強の武器)
──『いいえ、おじさんの心の奥から溢れ出るその優しさと愛らしさが最強です。人間はやはり中身なんです』
タクシーに乗り、過ぎ去っていくビル群を横目に、俺と阿修凪ちゃんは論争という名の誉め合いをしながら他愛もない話を繰り広げていた。
(けど……本当にアニメ化の話は受けていいの? これからもっと脚光を浴びることになるけど……)
──『……憂慮してくれるんでしたらずっとこの世界にいてください』
(………)
──『……あ……ごめんなさい……もう覚悟したはずなのに……駄々をこねたつもりじゃないんです……任せてください! ちゃんとやってみせますから!』
おっさんが元の世界へと帰還する事を表面上では納得したものの……やはりどこか踏み切れていない様子の阿修凪ちゃんは空元気を感じさせながらそう言った。
……ごめん、阿修凪ちゃん。けど……やっぱりおっさんは帰らないといけないんだ……何故なら──と、思考しかけたところで考えるのを止める。
その理由だけは阿修凪ちゃんに知られるわけにはいかない故に。
「お客様、つきましたよ」
女性のタクシードライバーがちょうど良きタイミングで声をかけてくれて、そんな心の内は中断された。
とにかく今は阿修凪ちゃんのこれからを考えて、将来に何の苦労も与えないようにしなければ──と親のような感情を抱きつつ、仲良くなった出版社の受付嬢に挨拶してエレベーター前へと向かう。
(……出版社の前にリムジンが停まってたけど……有名人かなんか来てるのかな?)
エレベーター待ちしていると、ふと、いつもと違うような空気感が入口フロアに蔓延してるのに気づいてそんな感想を抱いた。浮き足立ってるようでいて物々しいようなピリつき具合が警備員さんや受付嬢から感じ取れたんだ。
今にして思えば……ここが分水嶺だったのだろう。
なにかを感じ取ったこの時に、あそこへ向かう選択肢を取っていれば……もう少し落ち着けたかもしれなかったのに。
(ま、いっか。興味ないや)
たとえ芸能人が来てたとしてもどうでも良かったおっさんは、そんな風に何も考えずに寄り道もせずに編集部へ向かってしまった……そして──編集長室に入って……待ち構えていたその人と邂逅したんだ。
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「──はじめまして。【アオアクア】ボーカルの【ido】です」
そこにいたのはおっさんにとっての【神】だった。液晶の向こう側の遠い存在、青春時代を捧げた憧れの存在、眺めるしか出来なかった存在。
──ヤバい。
──死ぬかもしれない。
──トイレに行って髪とかチェックしてくればよかった。
──寝癖つけたまま適当に来てしまった。
──顔もすっぴんで……あ、化粧なんかした事なかった。落ち着け、俺。
混乱というか最早、発狂しそうなおっさんにido様は優しく微笑みかけてくれた。
「会えて光栄だよ、波澄阿修凪さん」
「イド様しか勝たん」
女性のこういう台詞やノリは嫌いだったおっさんでも推しを前にしたら自然とそんな事を口にしてしまっていた。




