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第07話・山背皇子(やましろのみこ)

 十二月に入り、玄理は思い立って斑鳩宮を訪ねることにした。年が明けると忙しくなるだろうから、今のうちに挨拶に行こうと思ったのである。

 そこで、玄理は馬を借りに旻法師を訪ねた。

「馬、ですか? 」

 旻法師は不思議そうに返した。

「ちょっと遠出をしたくてな、いや、無理ならかまわぬ、他をあたる」

「私は構いませんが……、蘇我大臣に言えば馬などいくらでも貸してくれましょうに」

「ああ、まあその、斑鳩を訪ねようと思うのだ。聞けば大臣と山背皇子とはあまり良い関係ではないとか」

「確かに良い関係ではないけれど、喧嘩している訳でもありません。内緒にすることではあるまいに。第一、隠していても大臣にはすぐに知られましょう。貴公の屋敷の下人は皆、大臣が手配してくれた者たちでしょう」

「む」

「それだったら、内緒にして妙に勘ぐられるより、恩のあった上宮様の宮を訪ねたい、とはっきり言ったほうがよろしいかと」

 結局、玄理は旻法師の助言に従い、毛人に事情を話して馬を貸してくれるよう頼んだ。

「馬か。私としたことが気が回らず、すまなかったな。早急に手配しよう。そなたの屋敷に置くから、好きに使ってくだされ」

 毛人は快く承諾した。玄理の心配は全くの杞憂に終わった。

 玄理が帰宅して時間を置かずに、馬とその世話をする下男が届いた。

 玄理は旻法師の言葉を思い出した。

「私は見張られている、か……」

 常識で考えたら当たり前のことだ。どの権力者もそれくらいのことはする。自分のような大陸の最新技術や知識を持った人間が、反対勢力に近づかないよう監視するのは当然のことだ。見張っていないほうがおかしい。

「日本に帰ってきて気が緩んだかな……」

 玄理は苦笑いを浮かべた。

 ・ ・ ・ 

 飛鳥京から斑鳩へは、太子道と呼ばれる厩戸皇子が整備した街道を行く。かつて厩戸皇子が馬で通ったという街道は広く、どこまでも平らだった。

 斑鳩の街道からまっすぐに伸びた松並木道を進むと、厩戸皇子が創設した斑鳩寺があり、上宮一族の宮がある。

 亡き上宮太子が整備した街道、松並木、斑鳩寺を中心にした美しい街並み、あちらこちらに上宮太子の面影を感じられる。上宮太子はこの地に京を作ろうとしたのだろうか。

 玄理は大きく息を吸い込んだ。冷たい空気の中に松の香りがする気がした。


 斑鳩宮へ入り大殿の部屋へ通される途中、玄理は松や梅に囲まれる中庭を見た。

 三十二年前、自分はこの庭に跪き、その奥の壇上にあのお方は座っていたのだ。

「よくぞご無事で帰られました」

 宮では、山背皇子と舂米皇女つきしねのひめみこ夫妻が玄理を迎えた。

 山背皇子は厩戸皇子の最初の子であった。母親は大臣蘇我毛人の同母姉、刀自古郎女とじこのいらつめである。玄理は山背皇子と直接会ったことはなかったが、玄理が隋へ渡る前も既に厩戸皇子の嫡男として名前は知られていた。

 正妃の舂米皇女は、山背皇子と父を同じくするが、母は膳菩岐々美郎女かしわでのほききみのいらつめである。つまり山背皇子の異母妹であった。

 この時代、天皇家では高貴な血筋と財産を引き継いでいくために、こうした異母兄妹同士の結婚が少なくなかった。二人の父、厩戸皇子が死んでからは、彼の遺言により、山背皇子夫妻が父の宮であった斑鳩宮に住み、上宮一族の長として弟妹たちをまとめていた。

「異国の地でさぞご苦労なさったでしょう」

 客人を喜んで迎える穏やかな老人、これが厩戸皇子の嫡男、山背皇子か。齢は自分と大して変わらないはずなのに、白髪混じりの髪のせいか随分と老けて見える。覇気がなくまるで世捨て人のようだ、と玄理は思った。

 この宮も主が変わったのだ、と玄理は時の流れを痛感した。

「いいえ、苦労など。上宮様が私に勉学をする機会を与えてくださったことに、心より感謝しております。上宮様とお会いすることができなかったのは、誠に残念でした」

 玄理は、深々と頭を下げた。

「上宮様が薨去されたことはあちらでも噂になっていました。高句麗の高僧、慧慈えじ法師が、一年後の同じ日に上宮様を慕って後を追った、と、あれほどの高僧が敬い慕うお方はどのようなお方なのだと、皆に質問されました。ただ私は、上宮様が亡くなったことが信じられませんでした」

 歓迎の宴を、と言う山背皇子の誘いを「今日中に京へ戻らねばなりませんので」と玄理は丁重に辞退した。

「そうですか、残念ですが仕方あるまい。京には位奈部橘王いなべのたちばなのおおきみがおられます。機会があったら訪ねてみてください」

 位奈部橘王とは、推古天皇の孫娘であり厩戸皇子の妃である。早くに母親を亡くした山背皇子にとっては継母にあたる。厩戸皇子の妃の中で存命なのは、今では彼女一人だけとなっていた。

 帰り際、玄理は言いにくそうに言った。

「てっきり山背皇子が位につかれたのだと思っていました」

 山背皇子は、目を細めて穏やかに言った。

「私のような未熟者が国を治めるのは無理だったのです」

 玄理は、その表情から皇子の本心を窺い知ることはできなかった。

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