第05話・軽皇子(かるのみこ)
中臣鎌足は、かねてより皇后の弟である軽皇子と親しかった。
軽皇子は皇后宝皇女の実弟である。敏達天皇の孫、茅渟王を父に、推古天皇の姪、吉備姫王を母に持つ。
両親とも皇族、自身は天皇の曾孫という血統の軽皇子であったが、幼少の頃の病気が元で足が少し不自由なこともあって、子供の頃から人前に出ることを極端に嫌っていた。新年の祝賀などの皇族が出揃う行事の場でも、父母や姉の陰に隠れ、なるべく人から声をかけられないようにしていた。父が死んだ後も、他の皇族と交わることもなく、父から引き継いだ宮で母と共に住み、書を読んだり下男と囲碁を打つなどしてひっそりと暮らした。決して派手な暮らしではなかったが、不自由を感じたことはなかった。妻を娶る年頃になっても、縁談を持ち込む皇族も豪族もいなかったのだが、このまま独りで好きなことをして過ごしたほうが気楽だと軽皇子は思っていた。
軽皇子の人生が変わったのは、彼が三十四歳の時だった。姉の再婚相手が天皇になったのである。翌年には姉が皇后に立てられ、軽皇子は突然、皇后の弟という立場になった。
母や姉の元へ次々と人々が訪れ祝いを述べる。それまでは見向きもしなかった者たちも、皇后の弟ということで、軽皇子を持てはやすようになった。
中臣鎌足も軽皇子を訪ねてきた群臣の一人だった。
一族の名代として祝いの品を持ってきたという彼は「私のような者が皇子にお目にかかれるとは」と感激した。
鎌足は、軽皇子より十六歳も年下だった。
鎌足は人懐こい笑顔で言った。
「亡き父から、皇子は大層聡明で、日々勉学に励んでおられると聞いておりました。私は若輩者ですが、この国のために勉強しようと思っています。ご教授願います」
聡明と褒められて悪い気はしない。軽皇子は人が良さそうなこの若者に、宮へ出入りすることを許した。
幼い頃から宮に籠もりがちで人付き合いの苦手なこの皇子が、人懐こい鎌足に心を開くようになるには、さほど時間は掛からなかった。
時が経ち、他の豪族たちが軽皇子の存在を次第に忘れ足が遠のく中、鎌足だけは違った。鎌足は軽皇子の宮を時折訪ね、一緒にすごろくや囲碁を楽しんだり歌を詠んだりするようになった。
軽皇子が結婚し、息子が生まれた時も、鎌足は自分のことのように喜び祝福した。親子ほどの年齢差ではあるけれど、軽皇子にとって鎌足は初めての友と言える存在となった。