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第39話・遣唐使

 そう思い始めた矢先、玄理に遣唐使として唐の皇帝と会うよう、皇太子から命令が下された。

 日本政府には前々から、百済より「新羅に度々侵略を受けているのでなんとかしてほしい」と援助の要請があったが、天皇はその要請をかわし、百済と親しくする一方で、新羅の皇太子を日本に招聘するなど、新羅と親しくする外交も変わらず行っていた。

 だが親百済派の皇太子は違った。自分が実権を握るようになると、百済を助けたいと言い出した。唐の皇帝に、新羅に百済侵略を止めさせる要請をするよう、玄理に命令を下した。

 玄理は、そのようなことは我が国が口を出すことではないと思っていた。日和見的な天皇の態度は正しく、半島の国の争いに我が国が首を突っ込む必要はない。またそれを唐に要請するのは見当違いで、唐はどちらかといえば新羅に近く、百済を助ける筋合いはない。おそらく皇太子は百済に対して「我が国は唐をも動かす」ということを見せたかったのだろうが、それは無理だと思った。


 玄理が遣唐使に任命され、難波の天皇の宮に挨拶に行くと、宮殿内はひっそりとしていた。門には衛兵が立っているものの、本来ならもっと衛兵が多いはずの朝庭も、官人が仕事をする朝堂も人影がなく、広い宮殿がさらに広く感じた。

 難波の宮は、唐の宮殿に倣って建設されたものである。宮殿を囲む高い板塀、大きな門を入るとまっすぐの大路と広い朝庭、左右には朝堂、その先には回廊に囲まれ松や桃の植えられた中庭と真新しい大極殿と内裏があった。

「このような立派な宮を建てたのに。まるで打ち捨てられた都のようだ」

 宮が完成してわずか一年ほどで、皇太子は飛鳥に京を移したのだ。


「そうか。体に気をつけて任を全うするがよい」

 しばらく会わない間にすっかり生気のない顔になってしまった天皇は、それだけ言った。

 その後、内臣中臣鎌足の邸に呼ばれた。

 玄理と鎌足は仕事上での付き合いはあったものの、互いの邸を訪問するような私的な交わりはなく、二人きりで会うのは初めてである。

 鎌足はまず、遣唐使として任命されたことの祝いを述べた。

「しかしなぜ、国博士の貴方様が行かねばならないのでしょう」

 純粋に疑問に思っているようだった。鎌足が薦めたのではないのだろうか。

「私が、新羅と仲良くすることを進言したのが、皇太子の気に入らなかったのでしょう。政権から私を遠ざけたいのです。表向きは、唐と新羅や半島の三国の様子を探りつつ、和平への道筋を作れとのことですが」

「難しい任務ですね」

「状況を見て、唐に、新羅が百済を攻めるのを止めさせるようにと言われています」

「唐は新羅を止めるでしょうか」

「行ってみないとわかりませんが、不可能に近いでしょう」

「唐と新羅が近しいというのは本当ですか」

「ええ、唐は服従の意を示さない高句麗を一番に警戒しています。高句麗を落とすためには新羅の力を借りたいところです。しかし高句麗は、百済と協力して新羅を攻め、思うようにさせない。つまり百済は、唐の高句麗侵略を遠からずじゃましていることになる。唐に百済救援を頼むなど以ての外なのです」

「もし新羅がこのまま百済を滅ぼすようなことがあったら、我が国にも攻め込んでくるでしょうか」

「私は無いと思っています。新羅に海を渡って攻めてくるほどの力はないはずです。後ろに高句麗もいますし」

「そうですか……」

 玄理はかつて蘇我入鹿に助言した時を思い出した。

「新羅と争ってはなりません。百済の、いえ、大陸の争い事に口を出すのは我が国にとって良いことではありません。半島のどの国にも肩入れしないという天皇の態度は正しいと思います。内臣、皇太子をお止めくださるよう、どうか」

「そのような力は、私にはありませぬ」

 鎌足は諦め顔で首を横に振った。

「……どうぞ、ご無事で」

「中臣連もお元気で」

 別れの挨拶をしても、鎌足はまだ何か言いたそうな顔をしていた。

「高向臣にこのようなことを申すのはおかしいかもしれませんが……」

 彼は、今までに見たことのない神妙な顔をして床に手をついた。

「私の長男、定恵が遣唐使として渡っております。もし会うようなことがあれば、何卒、お力添えを」

「定恵様……」

 玄理はその名を思い出した。

 確か、鎌足の長男でありながら出家し、わずか十歳で学問僧として大陸へ渡った。鎌足には他に息子はいない。本来なら長男を出家させるなどあり得ない話だし、その上、充分な年齢になっていないのに遣唐使とするなど、よほど深い事情があるのだろう。長男をこの国においておけない事情が。

「父はいつもそなたを案じていると、どうかお伝えください」

 鎌足は政治家ではなく父親の顔になり、深々と頭を下げた。

 玄理はこれまでの人生で多くの陰謀を見てきた。順風満帆に出世しているように見えた鎌足もまた、人知れず苦労してきたのかも知れない。

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