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第03話・旻法師(みんほうし)

 十一月に入って、玄理は毛人が用意した屋敷へ移った。部屋数も少なく狭い屋敷だったが、家族のいない玄理が住むには充分な広さだった。別棟には身の回りの世話をする使用人も手配されていた。

「本格的な仕事は年が明けてからでよかろう」

 毛人は旅の疲れを気遣って言った。

「この国を律令制度の整った国にしていくために、そなたの力がひつようなのだ。手伝ってくれるな」

 毛人は穏やかに、だが、断れない口調で玄理に言った。

「唐の国の中央集権制度や律令について詳しく教えて欲しい。我が国でも中央集権を進めてはいるが、地方の豪族たちまで浸透しない。良き知恵を欲しい」

 本来なら南淵請安も一緒に仕事をするはずである。しかし彼は、病気を理由に隠居すると言って断った。

「ただ、体調の良い時は自邸で塾を開き、これからこの国を担う若者たちのために勉学を教えましょう」

 そう言って、飛鳥の奥、稲淵の地に居を構えた。

 玄理には、入鹿という人間が気に食わないから断ったのだ、と言っていた。

 玄理は請安が羨ましく思えた。自分も政争に巻き込まれず自分の好きな勉強だけをして暮らしたい、そう思いつつも、きっぱり断る強さが玄理には無かった。


 帰国後一ヶ月ほど経って漸く、玄理は留学生仲間で先に帰国していた旻法師とゆっくり会う機会を持った。

 旻法師は今、飛鳥寺の僧坊にいる。

 飛鳥寺とは、今から約五十年前、当時の大臣蘇我馬子の発願によって作られた日本で最初の本格的な仏教寺院である。

 仏教がこの国に伝来した当時、仏教を広めようとする蘇我氏と、古くからの国神を礼拝する物部氏や中臣氏は対立していた。新興勢力である蘇我氏は、新しい宗教の中心的存在となって全国に仏教を広め、旧態勢力の中で最大の力を持つ物部氏をしのごうと考えたのである。やがて、蘇我氏と物部氏は天皇の後継問題を端に武力衝突し、蘇我氏が勝利し物部氏を滅ぼした。

 そうして豪族の頂点に立った蘇我氏が、自分の権力の象徴として建立したのが飛鳥寺である。

 蘇我氏は飛鳥寺に大陸から招いた高僧を次々と迎え入れ、この国の仏教の中心地とし、さらに大陸文化や学問の研究の場にした。

 旻法師は八年前に唐から帰国した後、飛鳥寺の僧侶として抱えられ、また、大臣の政治顧問となり政に携わった。その傍ら、定期的に皇族や豪族の若者たちを集めて周易や儒教の講義も行っている。

 玄理と請安は飛鳥寺の旻法師を訪ね、現在の詳しい政治状況を聞くことにした。


 旻法師によると、厩戸皇子が押し進めた中央集権型国家を完成させようとするその方向は変わっていないらしい。ただ、地方の豪族たちの反対は根強く、天皇は消極的のようだ。そうはいっても元々蘇我大臣の後押しによって天皇になったようなものだから、大臣の推す政策に反対をしない。身体が丈夫でないこともあって、大臣に全てを任せているようだ。

 しかし、天皇も蘇我氏も、大陸の文化を積極的に取り入れていく姿勢に変わりはないから、玄理らのことも重用してくれるだろう、と旻法師は言った。

「大臣はどのような人物なのでしょう」

 玄理は旻法師に尋ねた。

「表面上はとても穏やかで、皆の意見を聞いています。でも、私には、有無を言わせず人を服従させる力を持っているように感じます。他に台頭する豪族もなく、今は敵なしといった状態だからでしょうか」

 請安が言った。

「跡取り息子の入鹿臣はどうだ。なんだか目つきが気に入らない」

 旻法師は微かに笑った。

「彼は……確かに気が強い。毛人大臣が周囲から懐柔していくのに対し、入鹿臣は真正面から力で押す、そういった感じを受けますね。でもまあ、多少強引ではあるものの、頭が良い人物です。私が教えている者の中では一、二を争うほど」

 請安は気に入らなそうに言った。

「ふん、頭がいいから傲慢になっているのか」

「一、二を争う、というと、まだ他にも優れた者が」

 玄理は気になった。

「ええ、中臣連鎌足なかとみのむらじのかまたりという者です。彼はものすごく頭が良い。先のことまで考え、同時に多くの事柄を考えられる。もしかしたら入鹿臣より優秀かもしれない」

「中臣……?」

「前神祇伯だった中臣御食子連なかとみのむらじのみけこの嫡男だとか。このまま中臣の家にいるのはもったいないほど、何しろ頭が良い」

「将来大臣になれるほどに?」

「いやそれは、いくら能力があっても蘇我氏がいる限り無理でしょう。ただ彼は……」

「ん」

「危険なほどに頭が良い人物というのを見たことがありますか」

「鎌足連がそうだと言うのか?」

「いえ、私の思い過ごしかもしれませぬ」

「旻法師がそこまで言う男、会ってみたいものだ」

 請安が興味深そうに膝を乗り出した。

「そのうち会えるでしょう。請安様が塾を始めたら、そちらに行くよう勧めてみるけれど、私が言うまでもない。きっと彼は貴公に興味を持つ」

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