第34話・乙巳の変後
翌朝早く、再び里の様子を見にいった弟子が戻ってくると言った。
「甘橿岡から煙が上がっています。おそらく大臣の邸から火が出ているかと」
玄理と旻法師は互いに顔を合わせた。
「終わったようですね」
弟子たちは、情勢がはっきりわかるまでは出歩かないほうがいいと、戸を閉めたままでいた。
玄理は庭に出ると、畑の手入れをしている弟子のひとりに声をかけた。
「中臣連はこちらへよく来られるのか」
「最近は姿をお見かけしません。先生がおられる頃はしょっちゅう来られていたのですが」
「どのような方なのだね」
「ええ、先生の一番弟子でした。私など足元に及ばないほど、すごい方で、私はてっきり、鎌足連が塾を引き継いでくださると思っていたのですが。残念です」
「葛城皇子と会ったことはありますか」
いつの間にか外に出て来ていた旻法師が訊いた。
「いいえ」
弟子はキョトンとした。
玄理が口を開こうとする前に、旻法師が腕をひっぱり玄理を庭の隅へ連れていった。
「やはり、葛城皇子は身分を隠して通っていたようですね。葛城皇子がここで鎌足連と会っていたのは、請安様から聞いていたでしょう」
「うむ、だがどうして……、まさか、ここで入鹿臣を殺害する計画を」
旻法師は目で頷いた。
「請安様は、いつか鎌足連は何かをやるだろう、と言っておられた」
「しかし、入鹿臣を殺害してこれからどうするつもりだ」
「きっと全て、鎌足連の計画にあるのでしょう」
昼近くになって、請安の庵にいる玄理と旻法師の元へ中臣鎌足からの使者が来た。使者たちは武装していた。
彼らの話によるとこうだ。
天皇を王とも思わない入鹿の傲慢な態度に日頃から反発していた豪族たちが、葛城皇子に味方し、逆賊蘇我臣入鹿を天皇に叛いた罪で誅殺したという。
「逆賊入鹿臣は国を傾けようとする輩、断じて許してはならぬ、と葛城皇子が天皇に訴えたのです」
「天皇は、なんと? 」
「葛城皇子の言い分をお認めになったそうです」
「天皇が、葛城皇子に入鹿臣を誅殺するのを許したのか」
玄理は、上宮一族の件と同様、不可解な感覚を覚えた。
「そのように聞いております。それで、入鹿臣を誅殺した後、葛城皇子は大臣との戦さをするご覚悟で飛鳥寺に陣を張ったのですが、多くの豪族が大臣を見限り葛城皇子の味方となり、大臣の家臣軍団も巨勢臣の説得で投降したので、戦さにならずにすみました」
「先ほどの火の手は」
「孤立無縁となった大臣が、観念し自邸に火を放ち自害なさったのです」
「ううむ」
「旻法師も高向臣も何もご心配なくご自邸へお帰りくだされますよう。私どもが護衛いたします」
玄理はもっと詳細を聞きたかったが、彼らはそれ以上話すことはなく、無言で邸まで歩いた。
ここに蘇我総本家は滅びた。蘇我総本家の財産は全て没収され、蘇我氏の家臣は天皇の臣としての忠誠を改めて誓うことで許された。
双方の軍隊が解散し混乱が収まると、時を置かず、天皇であった宝皇女は位を弟の軽皇子に譲り、自身は皇祖母尊となった。




