第29話・上宮一族の滅亡
山背皇子はじめ上宮家の一族全員が滅ぼされたと玄理が聞いたのは、十一月十二日の朝だった。
役人の話だと、斑鳩宮を軍隊に取り囲まれた山背皇子は、自ら宮に火を放ち、軍隊が気を取られている隙に逃げ出して無事だったそうだが、結局その後、逃げきれぬと悟り斑鳩寺にて一族全員で自死したという。
「一族皆とは、どういった訳だ」
「入鹿臣の軍隊から逃げることは不可能だと考え、皆様で御命を絶ったそうです」
「だから、なぜ皆なのだ」
「皆様、上宮大兄様と運命を共にされようというお気持ちだったそうな」
「そのようなこと、誰が」
「捕えられた家臣だか、斑鳩寺の僧侶だかがそう聞いたとか。大兄様は、兵を集めて戦えば勝つかもしれないが多くの民に犠牲が出る、自分のためにそのようなことは望まない、我が身ひとつをくれてやろう、と最後におっしゃったのだと」
「だったら尚のこと、山背皇子おひとりでいいではないか。一族皆が共にすることはなかろう」
役所内では、時の権力者蘇我入鹿に気を使ってか、それ以上のことを話す者はいなかった。またそのようなことがあっても、入鹿は普段となんら変わりがない様子だった。
「わけがわからぬ」
どうにも合点がいかない玄理は、午後になって飛鳥寺の旻法師を訪ねた。
「宮に火を放ってまで逃げたのに、なぜ自死したのだ。しかも一族全員とは一体どういうわけだ」
「……」
「山背皇子の妃だけなら、山背皇子と共にしようと思う気持ちはまだわかる。だが長男次男、孫皇子、弟妹や甥っ子まで道連れというのはどうにも理解に苦しむ」
「……何者かの謀略だというのは確かだと思います」
旻法師は厳しい顔で言った。
「うむ、何者かが山背皇子に無実の罪をきせ、滅ぼそうとした。それなら山背皇子の処罰だけでいいのではないか。なぜ皆」
「自死、とは誰が言ったのでしょう」
「え」
「皆で自死とは到底受け入れがたい話。一族皆死んでもらわねばならない、でも、殺害したことにはしたくない、そういったところではないでしょうか」
「皆殺しとなれば、世間から非難されるからか。でも、皆を滅ぼす理由が」
「もし男子を一人でも遺しておけば、いずれ上宮様をお慕いする氏族が生き残った皇子を擁立しようと考えるでしょう。このようなことになったのなら尚更、世間の同情は上宮王家に味方し、上宮王家の悲願、残った皇子を天皇にしようと思うでしょう。つまりはそうなっては困る人物がいて、男子全員を滅ぼしたかったと言うことです。将来の障害となりうる男子は全て排斥する、昔からの常套手段です。貴公もよくわかっているはず」
「では、自死ではないとすると誰が……」
「そもそもなぜ上宮王家は滅ぼされなければなかったのでしょう。屯倉を廃止することについて上宮王家が反対していたのは事実です。一部では、屯倉の廃止に反対する皇族に対しての見せしめだ、とも言われていますが、本当にそうでしょうか」
「というと」
「おそらく入鹿臣の独断ではないでしょう。勝手に軍を動かし皇族を滅ぼすなど、入鹿臣の方が謀反だと言われる危険があります。天皇の許可があったはずです。或いは天皇の命令だったか。山背皇子が謀反を企てたという情報も信用できるのか怪しいものです。何者かが密告したのでしょうが」
「誰が」
「それは私にも見当がつきませぬ。ただ、その不確かな讒言を天皇が何のお疑いもせず信じるというのもおかしな話」
「まさか……天皇が」
「考えてはなりませぬ。たとえそうだとしても、貴公も私も口にしてはいけないこと。関わってはならぬのです」
旻法師の言う通りである。天皇が命令を出したというなら、批判を口にするのは自分の身を危うくする。
「なんと……」
先だっての白髪部皇子の死も、やはり仕組まれていたのだろうか。いよいよその疑いが濃厚となってきた。
「貴公が上宮様に思い入れがあるのはよく存じています。でも、ここで私たちは騒いではならぬのです。私たちの使命、この国を創り上げる、そのことだけを考え、私情に動かされてはならぬのです」
旻法師は既に心を固めたようだった。
しかし、玄理は橘王に近すぎた。
玄理は橘王のことが気になった。息子を亡くしたばかりだというのに、親族のほとんどを亡くしてしまったのだ。さぞ心細かろう。
「これが上宮王家の宿命なのでしょう」
玄理が見舞うと、橘王は穏やかな顔をして答えた。まるで仏のような顔だと玄理は思った。
「我が君もおっしゃっていました。世の中を変えようとすると必ず反対する者が出てくる。力尽くでも止めようとする。良いことを為そうとする力が強くなればなるほど、妨害する力も強くなる。だがもし我が害されても、その心は必ず誰かに引き継がれる。我が命は無駄にはならない、と」
厩戸皇子が死んだ当時、この国にいなかった玄理だったが「もしかしたら上宮様も陰謀によって殺されたのかもしれない」と感じた。
厩戸皇子の息子と孫息子は全員滅ぼされたが、女子の何人かは生き延びたという。他の皇族と結婚した皇女や飛鳥に住んでいる皇女には類が及ばずに済んだ。斑鳩寺に保護され無事だった幼い少女もいるそうだ。
謀反人となった山背皇子だったが、天皇は「上宮様の功績に免じて墓に埋葬することを許可する」とした。また、一緒に自死した一族の者には罪がないので手厚く葬ることを指示したそうだ。遺体は既に入鹿の兵によって生駒山に埋葬されており、厩戸皇子の甥、高橋皇子(厩戸皇子の実弟来目皇子の息子)が供養していくという。
「これを機に、私は白髪部皇子の宮を寺にしようと思います。天皇もそれは良いことだと言ってくださいました」
その時、どこからか幼女の笑い声がした。
「姫様、そんなに走っては危のうございます」
下女の声が続いた。
橘王は声のするほうを見やった。
「……白髪部皇子の娘です。私が祖母に育てられたように、私も姫王を育てようと思って斑鳩から呼び寄せていたのです。おかげで難を逃れることができました。今はあの娘だけが私の心の支え」
橘王の目は遠くを見ていた。
「上宮様が偉大だったからこそ、その威光を利用する人間が出てきます。このように皆、滅ぼされてしまえばもうその心配もなくなりますわね」
橘王に似つかわしくないどこか投げやりとも思える言葉だった。白髪部皇子の死が彼女を変えてしまったのかもしれない、と玄理は思った。




