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第22話・橘王の希望

 その年も桃の季節になると、玄理は橘王の桃見の宴に招待された。

 招待客は昨年とほぼ同じような顔ぶれだったが、玄理は自分も橘王の親しい友人の一人として数えられているのかと、嬉しく感じた。律令制度作りは難航していたが、唯一、橘王とのことだけが心の安らぎとなっていた。

 白髪部皇子を見ていると、若き日の自分を思い出す。

 上宮太子に命じられ勉学に励み、この国をもっと大きくもっと豊かにしていくために、精一杯励むのだと大きな理想を抱いていた若きあの頃。

 結局、上宮太子の役には立てなかったが、この先もし白髪部皇子が天皇となる日が来るのなら全力で彼を助けたい、そんな気持ちを抱いていた。白髪部皇子は橘王の希望であったが、また玄理の希望でもあった。


 しかし、その夏、白髪部皇子が突然死んだ。

 この数日、具合が悪かったそうだが、看病の甲斐なく逝ったという。

 知らせを聞いた玄理は、橘王のことが心配になった。

「あれほど白髪部皇子の将来に気をかけていた橘王だ。今頃はひどく悲嘆に暮れているに違いない」

 そんな橘王に弔問に行くのは玄理もつらかったが、礼を失してはならぬ、意を決して着替えると橘王の宮へ向かった。

 

 橘王は、御座の前に御簾を垂らしていた。

「この度は、誠に残念なことで、さぞお心落としのことと存じます」

 玄理が深々と頭を下げると、橘王は下女に御簾を上げさせた。本来なら誰にも会いたくないだろう。涙に濡れた顔を、気位の高い彼女は誰にも見せたくないはずだ。

 橘王は白い喪服に身を包み、目は落ち窪み、頬には血の気がない。それでも毅然と姿勢を正して客を迎える姿に、玄理は余計に痛々しさを感じた。

 玄理とは顔馴染みとなっている橘王付きの下女が言った。

「皇子は毒を盛られたのに違いありません」

 玄理が驚いて顔を上げると、橘王が弱々しい声で叱った。

「憶測でそのようなことを言ってはなりません。皇子は天命だったのです」

「誠に、お気持ち察するに余りありまする。天は残酷すぎます」

「早くに両親を亡くし、夫も亡くし、親代わりだった祖母も、皆いなくなってしまったけれど、子供たちがいれば幸せに生きていけると思っておりました。でも、それももう終わり。私は……この先何を頼りに生きればいいかわからない」

 橘王は白い着物の袖で顔を覆い、肩を震わせた。橘王のこのような姿を見るのが玄理は苦しかった。

 

 帰り際、先ほどの下女が玄関まで見送りについてくるので、玄理は聞いた。

「毒を盛られたと言うのはどういうことですか」

 下女が真剣な目になった。

「先月、軽皇子の宮の午餐に呼ばれ、帰ってきたその後に体調を崩したのです。きっと……」

「それ以上は」

 玄理は自分の口元に指を当てて見せた。

「軽々しいことを言っては姫王の身に災難が降りかかりましょうや。どうか、今は心の中にしまい、姫王を支えて差し上げてください」


 橘王の宮から戻った玄理は、外出着から着替えると請安に会いに行った。こういった陰謀に関しては自分より詳しい。毒を盛られたと聞いては黙ってはおれぬ。

「なるほど、白髪部皇子が」

 請安はさほど驚かなかった。

「皇太子は古人大兄だが、もしも古人大兄に何かがあったとき、白髪部皇子の名前が浮上するかもしれぬからな」

 玄理は請安の顔を見た。

「上宮様の皇子で、母親は小治田天皇の孫、申し分なかろう。白髪部皇子を邪魔に思う人間は見当がつく。そうか、軽皇子の宮から帰った後に具合が悪くなったと、下女が言ったか」

「どういうことだ」

「貴公は深入りしないほうが良い。今回も、これからもだ。こういった策謀に関わらず、ただ学問に専念しろ。それが貴公の生きる道だ」

「しかし、これからも私の身辺でこのようなことはあるかもしれぬ」

「貴公の武器は優れた頭脳だ。その頭脳を使って策謀から逃げるのだ。巻き込まれてはならぬ。せっかく大陸でも難を逃れて生きてきたではないか。貴公は生き延びるのだ」

 玄理は、橘王の無念を思い、唇を噛んだ。

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