第21話・紫の冠
宝皇女が天皇となって一年が過ぎた頃、大臣蘇我毛人は高齢のせいか体調を崩す日が多くなった。そのため、嫡男の入鹿に代役を任せることもあった。
入鹿は頭角を表していき、入鹿が大臣となったら父親以上に権勢を振るうだろうと言われた。
入鹿は、年長者にも天皇にも直言するのを憚らず、誰に対しても気兼ねしなかった。玄理の前でも天皇に対しての不満を平気で口にした。
「天皇は国家というものを全く理解しておられない。地方の豪族と変わらぬ。この国の土地も人民も全て天皇の持ち物だと勘違いしておられるのです。全国にある屯倉を国家が管理し、皇族の私有を廃止しようとしても嫌な顔をなさる。税制度というものをご理解していただかないことには、困ったものです」
推古天皇の時代、皇子皇女の部(私有民)を増設した。それは当時、皇子皇女でありながら質素な生活を送らねばならない状況が多く見られたからである。欽明天皇以降、皇位継承を途切らせないように天皇が多くの子孫を作ったことで皇族が増えていった。欽明天皇の皇子皇女だけでも二十人超、その息子敏達天皇の皇子皇女も十数人、それぞれの皇子が複数の子をなして、その数はどんどん増加していくばかりだった。
入鹿は皇族の部だけでなく、皇族の数を減らすことも考えており、それには玄理も賛同できた。だが、天皇や皇族の反発も強かろうと想像した。
時には入鹿は、女帝が思ったように動かず手を焼いているようにも見えた。
「天皇は何でもかんでもおひとりで決めたがる。各地から収められた税も天皇家が好きに使っていいと思っておられる。この国は天皇の独裁国家ではありません。豪族の合議制による中央政府でなければならないというのに」
国の政策は中央政府が決定する。天皇、皇族、豪族の財産を国有化し、税を取り中央政府が各所に分配する。入鹿の目指す国は理解できるが、その中央政府の頂点に蘇我氏がいることは忘れてはならない。蘇我氏が大臣の座を専横している限り、歪な力関係が続くということを、入鹿は気付いていないのだ。
そんな中、入鹿にこんなことを言ってくる者がいた。
「最近、上宮大娘女(=舂米皇女)が入鹿臣のことを悪く言っているそうです。大臣に対する不満を口にしているようですよ」
「それがどうした。斑鳩の娘女の言うことなど、いちいち気にしていられぬわ」
「このまま上宮家を放っておいてよいのでしょうか。山背大兄はともかく、その息子たちの中にははなかなか血気盛んな皇子もいます、いつかことを起こすかも知れませぬ」
「まさか」
入鹿は軽く笑ってあしらった。
大臣蘇我毛人が病気で朝賀を欠席した時、毛人は息子の入鹿に代わりに参内させた。その際、大臣の紫冠を入鹿が被っていたことに、多くの人々が眉を潜めた。
「天皇に無断で紫冠を譲るとは」
上宮王家の舂米皇女もそう批判する一人だった。
「大臣の位は天皇だけが任ずることができるもの。どのような力で入鹿臣に紫冠を被せるのか」
上宮大娘女が憤っていたと飛鳥中の評判になった。入鹿が皇族の屯倉を廃止しようと企んでいることも、舂米皇女ら皇族はよく思っていなかった。




