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第17話・山背皇子の苦悩

 山背皇子の元へ、皇后宝皇女が即位することが決定したと知らせが届いたのは、寒風が吹き荒ぶ師走の午後であった。

「なんと。皇后が立たれるとは」

 知らせを受けた舂米皇女は、憮然として言った。

「なぜ、皇后が立たねばならぬのです。なぜ我が殿ではなく、皇后なのです。ここにきちんとした皇子がいるというのに」

 頬を紅潮させて憤慨する舂米皇女をよそに、山背皇子は何も言わなかった。

「皆、上宮様のことをお忘れか。大臣も大臣じゃ。一体何を考えてのこと」

「私を天皇にしない、それだけのことだ」

 それまで黙っていた山背皇子が、ようやく口を開いた。

「そのようなこと」

「そなたがうらやましい。幼き頃より父上のもとで父上に愛され育って」

「貴方だって、父上に愛されておられました」

「いや私は、……少しひとりにしてくれないか」

 舂米皇女は、はっとして言葉をのんだ。一番傷ついているのは山背皇子なのだ。

「……はい」

 舂米皇女が部屋を出る際振り返り見た山背皇子の横顔は、暗く寂しそうだった。


 ひとりになった山背皇子は、部屋の隅にある火鉢に身を寄せた。

「やはり私は父上の本当の子ではないのだ」

 山背皇子は、子供の頃を思い出していた。

 生まれてすぐに父母から離され、山背の地で乳母の手で育てられた。

 当時の皇子の養育にこのようなことは少なくなく、大概の皇子はある程度の年齢になるまで天皇の領地で別々に育てられた。宮が襲われるなどの有事の際に、皇子全員が同時に死んで後継者が絶えることを避けるためである。厩戸皇子が父親の近くで育てられたことは例外であり、舂米皇女とその兄弟が斑鳩の高橋宮の母の元、厩戸皇子のすぐ近くで育てられたことも、きわめて珍しいことであった。

「山背にいる頃はよかった」

 山背の地では「上宮太子の大兄皇子」と皆が大切にしてくれた。

 弓を引けば皆が「お見事」と褒め、勉学も剣も、何をしても「さすがは上宮様の大兄皇子」と褒め立てた。周りの者、誰もが自分に敬意を払っていた。

「思えばあの頃が一番幸せだったのかもしれない」

 その後、厩戸皇子が斑鳩宮を建てると、自分も斑鳩の岡本宮に呼び寄せられた。

 ある時、昼寝をしていると、釆女たちのひそひそ声が聞こえてきた。

「なんだか、山背皇子は上宮様と比べると、見劣りするわね」

「仕方ないわ。上宮様は特別だもの」

「それとも、あの噂、本当なのかしら」

「あの噂って」

「山背皇子は上宮様の本当の御子ではないって」

「なんですって、どういうこと」

「上宮様が皇子のお母上、刀自古郎女と婚姻なさった時、刀自古郎女は他の男性の子を身篭っていらしたとか」

「だって、上宮様は山背皇子をご自分の大兄皇子とされているじゃない」

「そりゃあ、郎女のお父上はあの蘇我大臣ですもの。自分の子でないなんて言えないでしょう。認めざるを得なかったのよ」

「これ、何を無駄話しているの。滅多なことをお言いでない。そのような噂、二度と口にしてはなりませんよ」

 ……自分が父上の本当の子ではない……?

 山背皇子は、衝撃を受けた。

 いや、そのようなことがある訳がない。現に、父上は自分を大兄として認め、弟妹たちの長となれと、常日頃から私に言っているではないか。そうだ。私は紛れもない父上の子なのだ。

 そう思う山背皇子だったが、それ以来、周りの者たち皆が自分のことを厩戸皇子の子ではないと疑っているのかもしれないという思いは消えなかった。本当のことを確かめることもなく父は死んだが、自分が天皇になれば皆も認めるだろうと思っていた。

「やはり私は父上の子ではないのだ」

 再び山背皇子は呟いた。

 大臣蘇我毛人は、血の繋がった叔父である。自分は大臣の実姉の子なのに、それなのに自分を天皇とすることに反対するのは、自分が厩戸皇子の子ではないからなのだ。今日、はっきりとわかった。

 子供の頃から自分は全然父に似ていないと思っていた。異母弟の泊瀬皇子はつせのみこ、舂米皇女の同母弟である泊瀬皇子だが、彼のほうがずっと父に似ていた。周辺の人々の反応もそうだった。泊瀬皇子が成長するにつれ、顔貌だけでなく、物腰や声、喋り方が父にそっくりになっていく様子を、皆が喜ばしく見ていた。あの、蘇我馬子の弟である境部臣摩理勢さかいべのおみのまりせでさえ「孫娘が成長したら泊瀬皇子の妻にしたい」と言っていたほどだ。厩戸皇子の正当な後継者であるこの私の妻ではなく、弟の妻に、と。皆が、自分より泊瀬皇子に父の姿を見ているのだ。

 先の天皇の後嗣争いの最中、泊瀬皇子が病死した時、正直なところ安堵した。これで父の後継者は自分だけだ、と。

「そのようなことを思った自分が、天皇になどなれるはず無いのだ……」

 部屋の外では白い北風が庭の松葉を揺らしていた。

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