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第15話・舒明天皇薨去

 玄理が帰国して一年ほど経った十月九日、天皇が薨去した。風邪からの肺炎が急に悪化したのだ。

 大臣蘇我毛人は、急の知らせに動揺した。

 蘇我氏としては血縁関係にある古人皇子を天皇にしたいが、如何せんまだ若すぎる。強引に即位させようとすればあちこちから反発が起こり、他の皇子を擁立しようとする人間が出てくる危険がある。

 どうしたものかと毛人は頭を悩ませた。


 数日後、豊浦にある毛人の邸で、葬礼についての諸々と皇位継承者を決める会議が開かれた。

 毛人が上座に座り議長役を務めるのは小治田天皇薨去の時と同様である。当時はまだ若く会議に参加していなかった入鹿が、今回は阿倍臣倉梯麻呂のすぐ下の席に座っている。その下に有力豪族が左右に分かれて座っていた。

「亡き天皇の大兄皇子、古人皇子が適任かと思いまする」

 そう言うのは蘇我氏に気を使った阿倍臣である。

「はて、亡き天皇の皇子といっても、古人大兄皇子、中大兄皇子、共に十分な年齢になっておられない。ここは年長の上宮大兄山背皇子に立っていただくことがよろしいと思いますがな」

 意を唱えたのは紀氏。蘇我氏の専横をよく思っていなかった。

「私も山背皇子に賛成ですな。他に誰がおろう」

 厩戸皇子贔屓の豪族が口々に賛同し始めた。

「しかし、それだと京を斑鳩に移さねばならぬ」

「それは飛鳥の宮に住んでもらえば何も問題はなかろう」

「うむ、山背皇子でよいのではないか」

 厩戸皇子が薨去して二十年、今、政治の中枢にいるのは皇太子厩戸皇子の治世に青少年時代を過ごした世代だ。子供の頃から厩戸皇子の偉大さを見てきた。皆、多少なりとも山背皇子に思い入れがある。

「確かに山背皇子は立派なお方。だが、一度候補から外れたお方……」

 議長役の毛人は言葉を濁した。

 結局この日は、葬礼の担当者や儀式の詳細を決めるだけに留まり、次の天皇の決定には至らないまま、散会となった。


 会議が開かれたことを聞きつけた軽皇子は、早速その夜、中臣鎌足を宮へ呼んだ。

 鎌足が皇子の部屋へ入ると、皇子は待ちきれない子供のように腰を浮かして鎌足を迎えた。

「で、どうだった、会議は」

 落ち着かない様子の皇子をよそに、鎌足はわざとゆったりとした動作で座り、居住まいを正した。

「結論から申しますと」

 もったいぶってひと呼吸置いた鎌足の次の言葉を、皇子は身を乗り出して待っている。

「今日の会議では決まりませんでした」

「あん?」

 皇子は間の抜けた声を出した。

「大臣は、血縁の古人大兄皇子を天皇にしたいようでしたが、ところがまずは年長の山背大兄皇子にと言う者たちと意見が分かれまして」

「我の名は。我の名は出なかったか」

「やはり、山背皇子が健在である間は、先に山背皇子だという意見が根強く」

「山背皇子はもう隠居したも同然ではないか。何を今さら」

「そこは、聖人と謳われた上宮様の大兄皇子にございます。上宮様の時代を知っている年長者には、今でも山背皇子の即位を願っている者が多くいるようです。ですが、もし山背大兄が天皇になるようなことがあれば、殿下が天皇になるのが困難になります」

「そんなことはわかっている。だから、どうしたらよいのじゃ」

「殿下の岳父、阿倍臣に連絡を取ってくださいますか。それから殿下の姉君、皇后にも」

「何をするのだ」

「皇后には、もし山背皇子や古人大兄が天皇の位につかれたのなら、葛城皇子に順番が回ってくるのは難しくなりましょうと。それともうひとつ、古人大兄が位につかれると、大兄のお母上が天皇の母君、皇祖母命すめみおやのみこととなられますこともお伝えください」

「うむ、それで」

「そのことを皇后にお伝えになって、皇后に天皇となっていただくようお願いするのです」

「なんと、姉上が天皇とな」

「過去にも皇后が立ったことはあります。ご存じのはず。なんとか皇后を説得してください。そうすれば、殿下は天皇の弟君となります。天皇の位に最も近い皇子となり、山背大兄など敵ではなくなります。そして皇后には、二、三年後にでも、頃合いを見て譲位していただくのです。葛城皇子が適齢になるまで殿下が時間稼ぎをする、他の皇子を阻止するためにはこの方法が一番良い、と提案するのです」

「ふうむ、なるほど。確かにまあ、姉上なら話も通じやすい」

「それで数年後には殿下は問題なく天皇になれるはずですが、阿倍臣に協力してもらうことが必要です。阿倍臣だって、娘が嫁いでいる皇子が天皇の弟となったほうが都合がよろしかろうと」

「なるほどな。しかし、たとえ姉上が天皇となったとしても、大臣は血縁の古人大兄を皇太子にするのじゃろう」

「私に考えがあります。それに関してはいずれ」

 鎌足は、そう言って口元だけで笑みを作った。

「ふむ、何だか知らんが、任せた。楽しみにしているぞ」

 鎌足を信頼しきっている軽皇子は、子供のように笑った。


 その頃、斑鳩宮では、山背皇子と、妃の舂米皇女が夕餉を取っていた。

「今度こそ、貴方の番ですね」

 舂米皇女が、山背皇子の杯に酒を満たしながら言った。

「それはどうかな。私は叔父上によく思われていないようだし」

 山背皇子は穏やかに言った。

「何をおっしゃいます。貴方は天皇家のお方。大臣など関係ありませぬ。貴方は父上同様、民に慕われておられます。貴方がならずして他に一体誰が天皇になるというのです」

 山背皇子は苦笑いをした。

「相変わらずはっきりと物を言う」

「貴方が遠慮なさっている分、私がこうして申しているのです」

「そなたが男だったら、今頃は私でなくて、そなたが父上の跡を継いでいたかもしれんな」

「まあ、私が跡を継いでいたら一族は滅びてしまいますわ。貴方だから、皆こうして円満に暮らしているのですよ」

「確かに、そなただったら口やかましくてしょうがないだろうな」

「まあ」

 舂米皇女は頬を膨らませてみせた。その顔を見た山背皇子は思わず拭きだし、釣られて舂米皇女も笑い出した。

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