第09話・新年
やがて年が明け、新築したばかりの百済宮で年始の行事が行われ、玄理も朝賀の儀に参内した。
朝庭には群臣が、厩戸皇子が制定した位階制度による冠の色ごとに居並んでいる。
隋の制度を模した位階制度「冠位十二階」は、それまでの世襲による地位ではなく、功績と能力によって位階を与えるという画期的なものだった。冠位十二階によると紫がもっとも尊い色であり、その下に淡い紫、青、赤、と続く。
能力主義といっても、実際には上位の冠は世襲である。上位の豪族は、よほどのことがない限り同じ地位を世襲し、元々の身分が低い者は能力があっても上位の地位につくことは難しい。それでも厩戸皇子以前の、世襲が全てだった時代を考えると、充分進歩したのである。
皆が勢揃いする前に奥から天皇が現れると、深い紫の冠を被った大臣蘇我毛人が臣下を代表して新年の挨拶をする。大臣の挨拶を受けて天皇が年賀を述べ、朝庭を見渡すと天皇は奥へ下がった。
あっさりした年賀に、玄理は呆気にとられた。
「ここ数年はこんな調子ですよ」
玄理の隣にいた河辺臣が言った。
「それでも今年は京にいるだけ、良いほうです。昨年などは伊予の湯に行幸されたまま新年を迎えられたのですから」
新年の祝賀行事も群臣を招いての宴も、天皇の体調がすぐれないという理由で近年は簡略化されているらしい。
「果たしてこの先どうなることやら」
飛鳥にいる豪族たちは、そろそろ次の世のことを考え始めているようだった。病気がちの天皇は、先が長くないと読んでいるのだ。
豪族たちは皆、常に次の天皇のことを考えている。天皇になりそうな有力な皇子に娘を嫁がせ、あわよくば天皇の外戚になろうと企んでいる。妹や娘は大事な道具だ。今の大臣蘇我氏も、そうやってのし上がってきた。
「十年とは言わぬが、あと五年はもってほしいものだ」
大臣蘇我毛人は、息子の入鹿と妻の兄である阿倍臣倉梯麻呂を邸へ招いての新年の宴で呟いた。
「病弱だと言われながらも何だかんだ今日までやってこられたじゃないか。この先もそれは変わらぬ」
倉梯麻呂が答えた。毛人が天皇のことを言っているのは承知の上だ。
過去に最も若年で即位した天皇、欽明天皇が即位したのは三十一歳。その年齢が暗黙の基準となっている。古人皇子はまだ二十代半ばだ。
「時を稼ぐに、ひとまず中継ぎとして山背皇子を立てるしかなかろうか」
毛人はため息まじりに言った。
「近頃の変な噂を立てている者たちもいるからな」
と倉梯麻呂が言った。
「変な噂?」
入鹿が聞き返した。
「天皇が病気がちなのは亡き上宮太子の祟りだとか」
「なるほど、上宮太子の祟りか。天皇が即位してからというもの、大水やら日照りやら、実りの良い年が少ないからな。天皇ご自身も体調が優れないようだし」
入鹿は杯を音を立てて膳に置き、毛人の言葉を遮った。
「父上は、そのようなことをいちいち真に受けるのですか。どうせ、上宮太子をいつまでも忘れられない者たちの言うことでしょう。天皇の御父君も病弱だったからであって、祟りなど関係ない」
「私だって祟りなどと思っていない。しかし、肝心なのは民の声だ。おかしな考えが広がるのはよろしくない」
「では、父上は山背皇子を天皇になさると」
「……そういう考えもある」
「そもそも今の天皇を選んだのは父上ではないですか。今更そのような言葉に惑わされるなど。山背皇子を天皇にすると、あの口やかましい皇女が皇后となり、彼女のことだ、きっと弟、或いは息子を皇太子にと言うでしょう。山背皇子を天皇にすると言うことは、つまり上宮家を第一の皇統として認めることとなるのです。その先の天皇は全て上宮家からということになる。皇統が変わるのです」
「しかし、山背皇子がそこまで考えるだろうか」
「山背皇子が考えなくとも、周りの人間が知恵をつけるものです。安易にその場しのぎの策を講じない方がよろしいかと」
「うむ、わかっておる。だがそうは言っても」
「とにかく、もうしばらく時を稼ぐために、天皇に長生きしてほしいものだな」
倉梯麻呂が場を取りなして言った。
年始の行事が終わると、玄理は蘇我入鹿の下につき、律令や税制度の作成作業をすることになった。
入鹿が言うには、全国の豪族の私有地や私有民を国が統治し、戸籍を管理し税制も改革したいが、古くからの地方の豪族の反発が強い、彼らを納得させるには時をかけて徐々に浸透させていくしかないのだ、ということだった。
玄理は思った。
豪族が納得しないのは、大臣が中心となって進めているからではないか。人を従わせるには二つのやり方がある。ひとつは力でねじ伏せる方法、ふたつ目は人徳を持って従わせる方法だ。前者の方法でやると人々の間に不満が蓄積されやがて破綻を来す。後者の方法なら……。
玄理の脳裏に厩戸皇子の姿が浮かんだ。




