11 なぜお前は目をそらす
廃工場の建物の入口で、売人たちはユーリーに銃口を向けていた。彼らは四方八方にいる。ユーリーを取り囲み、殺さんとしているのだ。
肝心の■■■■■はいつの間にか廃工場の中に姿を消していた。
はめられた。
ユーリーはこのとき、自分の置かれた状況を確認した。まず、彼の仲間はここにはいない。外で別の敵と戦っているとのことで、廃工場近くに来るまでに時間がかかる。それに加えて敵は多い。視界に収まりきれないほどだろう。
そんな中で、ユーリーは解決策にたどりついてしまった。
『殺人カビという能力でここにいる敵を皆殺しにすればいい』
それはユーリーも取りたくない選択肢だった。いくら粛清対象とはいえ、自分が忌まわしいと思っている力で殺すなど言語道断だ。が、今はなりふり構っていられない。
ユーリーは動かずにイデアを展開。廃工場に漂う埃に混じって灰色の胞子が漂い始めた。
――やめろ。絶対にするな。そんなことをしてしまっては彼らも死んでしまう!
「てめぇ、銃口向けられてるってのにそんなツラしてられんだなァ!」
売人らしき人が言う。
勿論、その声もユーリーの耳に入る。
無意味なのだ、その声など。売人の声は単なる負け惜しみにしかなり得ない。なぜならば。
――彼らはこれから殺されるのだから。
ユーリーは無言で顔をあげた。その緑色の瞳が映すのは紫に染まりゆく胞子。彼の命を狙う者は何も知らない、死神の息吹。ある者はそれを知覚することなく。ある者はその目で胞子を見て恐怖におののき、死んでゆく。
――死ぬな、殺すな。いや、俺はこの光景を見たくもない! せめてこれだけは偽りであってほしかったというのに!
売人が気づいたときには既に遅かった。
感染する胞子は急速に人々を蝕み、無へと変えてゆく。無惨に食い尽くされた残骸へと変えられてしまうのだ。
殺した人数は20人を上回る。それも、粛清対象以外の人々までも。
そのときに緊張感から解放されたユーリーは無意識のうちにため息をついていた。だが、それと同時に安堵し、自分の実力を誇る気にもなっていた。
――どうやら、この記憶だけは本物らしい。ヘザーのやつも性格が悪い。
10分ほどしてユーリーのもとに現れるケイシー。返り血を浴びているが、本人は無傷だった。
そして、ケイシーは廃工場の様子とユーリーを見てこう言ったのだった。
「流石だ! 人を殺すことについてはお前の能力の右に出るものはいないだろ!」
笑顔で言うケイシー。
そう。彼からしてみればここでの出来事は単なるユーリーの戦果としてしかとらえられていない。実際、ユーリーもそのときは戦果だと考えていた。
――あのときは。あのとき、俺は人を殺すだけの存在だったのか。■■■■■をデモニと呼んで、関係ない人を殺すことを当たり前のことだと思って。
「そのうち殺す者って言われるかもな」
と、ケイシーは言う。
「確かに俺にはそういうことしかできねえからな」
ユーリーもそれに応えるようだった。まだ何も知らない彼はたとえ人を殺すことであっても、必要とされるとこに存在意義を見いだしていた。
「それでもいいじゃねえか! そういや、ここにデモニが逃げ込んだらしいが」
「逃げ込んだな。それで、売人たちもろとも俺が殺したつもりだ。俺のあの能力をくらって生きていたやつなんていないぜ。多分、もう生きちゃいねえ」
ケイシーに聞かれ、ユーリーは答える。
――俺は何てことを。
ほどなくして、タリスマンでは『殺す者』という存在が語られるようになる。『デモニ』より広く、悪魔か何かのように。
それは確実にユーリーを苦しめるのだ――
廃工場で人を殺すのは一度にはとどまらない。戦果と考えていたものはいつしかユーリーを蝕む毒となる。
そして、正義を疑った『殺す者』は――
「おい、ユーリー。お前さあ。昨日はあの家で何やってたんだ?」
――待て。こんなことは記憶になかったはずだ。いや――これは、半年前か。そうか。俺が変わったと言われるようになったのも半年前だな。
尋ねてきたのはジェラルド。元々覚えていなかったことなのだが、ジェラルドはユーリーを責めるような口調で話す。元々の性格はこうなのだろう。
しばらくするとジェラルドに加えてケイシーまでやって来たのだ。ケイシーは話まで聞いていたのか、こう言った。
「どうしようか。彼、再教育が必要だろ? 変な考えを身に付けてるし、こいつに限ってはそんなもの必要ない。ただ、人殺しをやってくれればそれでいいんだが」
――ケイシー……。
ケイシーは乱雑な手付きでユーリーの腕を掴む。ユーリーは振り払おうとしたが、ジェラルドまでユーリーの腕を掴むのだ。流石のユーリーでも抵抗はできない。いや、イデアを展開すればできるのだがもしそれをやってしまっては最悪処刑室送りだ。
ケイシーは催眠ガスのスプレーを取り出し、ユーリーの口元に押し当てて噴射した。
――そんなこと、するよな。確かに再教育なら俺もされた。それまでの経緯がこれか。ふざけんな。
途切れる記憶。ユーリーの記憶はその後に起こることへと繋がるのだ。
再教育により、再び殺す者として。タリスマンで人を殺すのだ。しかし、ユーリーが思い出したのはそれにとどまらない。
「――間違いを自覚していながら、なぜお前は目をそらす」
『デモニ』――メルヴィンは再教育を受けたユーリーの前でこう呟いた。場所は教会の廃墟。対峙していたユーリーとメルヴィンの間には妙な空気があったのだ。
そこに介入するケイシー。彼は背中に黒い翼を生やし、メルヴィンに詰め寄る。
「おうおう。生きていやがったか、デモニ! あの廃工場で死に損ねたことを後悔しろよ!」
鬼のような形相のケイシー。
空中からブレードを振り下ろす。メルヴィンはそれを避け、地面の一部を水に変えた。水は竜巻のように渦を巻き、ケイシーを飲み込もうとする。
「ユーリー、お前もタリスマンの人間なら手を貸せよ! そいつの首を落とせよ!」
ケイシーは声を張り上げる。
ユーリーは歯を食い縛り、メルヴィンに詰め寄った。
「失望したぞ。ジャレッドの言葉を聞いておきながら」
ユーリーの耳にはその言葉だけが残っていた。
そしてユーリーの意識はここから離れるのだった。
俯瞰していたところから、元の場所へ。記憶から現実へ。
†
――お前は逃げたんだよ。俺を置いて。なんでケイシーを信じたんだ?
その姿はユーリーの心を揺さぶるには充分すぎた。
現れた男、クヌートはもはや生きているとは言い難い状態だったのだ。近いのはレヴァナント。いや、レヴァナントそのものと大して変わらない。一度殺されて、その遺体を再生させられたようだった。
「クヌート……嘘だよな?」
ユーリーは声を発した。
見ない方がいい、というのはこのことなのだろう。