9 お前は逃げたんだよ
「あいつとは絶縁していたつもりだったが、そうか……」
イアンは呟いた。
アレンと戦った場所から少し離れたところ。ブリトニーらは移動しながらトロイのことを話していたのだ。
「相当仲が悪いようだな。まあ、やつなら仕方がないとも言えそうだが」
と、メルヴィン。
メルヴィンはトロイについてゲオルドから少し聞かされ、ルナティカからも聞いた。だが、イアンとの関係について語る者はいなかった。
「ああ、そうだね。私も大概だが彼もなかなか頭のおかしい人間だったよ」
イアンはそれだけを語る。
「さぁて、情報共有したとこで殴り込みといくかい? 相手方がどういう態勢かわからねえが」
ブリトニーは言う。
メルヴィンは答えるまでもなく、頷いた。これでも、妨害されたとしてもブリトニーとメルヴィンは先陣を切る役目。急がなければならない。幸いバイクは破壊されておらず、まだ動かせるようだった。
ブリトニーとメルヴィンは破壊された市街地を後にしてタリスマン支部へ向かう。
イアンも2人を見送り、クレーターの方へ足を進めるのだ。
クレーターの淵からその底を覗き込めば、死体泥棒だった者の姿があった。いや、彼はもう生きてはいない。
「酷い有り様だね。ブリトニーも流石と言うべきか」
イアンが見たのはアレンの遺体。焼け爛れた遺体は誰のものであるかわかりにくい。が、イアンは、損傷した遺体を見慣れた彼はよくわかっていた。
――この遺体は死体研究所の検体とする。なかなかお目にかかれない代物だが、イデア使いが増えている今は興味深いデータが得られるのかもしれない。レムリア大陸全体で不審死……いや、イデア能力を使った殺傷事件が増えているみたいだからね。
イアンは白いスーツのポケットから携帯端末を取り出し、研究所の者に電話をかける。
すぐに電話に出たのは研究助手の女――タリアだった。彼女の優しくもりりしい声が耳に入り、イアンは少しであるが安心感を覚える。
「タリアか。君が出てくれてよかった。早速だが頼みがある」
と、イアン。電話のむこう側にいるタリアもイアンの居場所を知っていた。
死地とも言える今のタリスマンの町にいるだけでイアンの身に何が起こってもおかしくない。
『はい、私は何をすれば』
「遺体を回収してほしい。このタリスマンでの騒動で出た遺体の回収と調査。身元が確認できれば返してくれればいい。それと」
イアンは一瞬、言葉を止めた。
「おそらく私は殺される。いつになるかはわからないが。私の死後、私の体を検体としてほしい。これがきっと最後の頼みになるのだろうね」
『――!』
電話のむこう側から、タリアの言葉にならない声が聞こえた。
タリアに自分の死を意識させるようなことを言った。イアンはそれをわかっていたが、研究所でも信頼している彼女にしか言えなかった。トロイは――自分自身の死期を悟っていた。死の運命に向かって歩み、それは一本道のようで。
トロイの手も震えていた。
ユーリーとクリフォードが遠目から見たのは洒落にならない規模の爆発だった。いや、何らかの力で範囲は限定されたのだが、付近の建物が破壊されているようだったのだ。
「おっかねえな……もしイデア使いなら単独で町を滅ぼせるだろ……」
ユーリーは声を漏らす。
だが、そんなユーリーも町ひとつを滅ぼしうる力を持っている。生命を蝕むカビという能力を。
「そんな使い手がいるのか……いや、もしかするとイデアの新しい姿かもしれないぞ」
と、クリフォード。
彼はあの爆発の理由――とある人物によるイデア覚醒薬のODについて知るよしもなかった。そのうえ、イデア覚醒薬のODについても知らない。が、胸騒ぎは確かだった。
このとき、クリフォードは仮に爆発の理由がイデア使いだったら、ということを考えていた。
最悪、その人物を相手取ることになるのだろうと予想して。
「ユーリー。あの2人は強い。だがな、最終的に信じられるのは自分だけだぞ」
と、クリフォードは言う。
「そうだな。タリスマンは、いつ裏切りが起きてもおかしくない場所だったうえ……いや、なんでもない」
ユーリーはどこか意味ありげに言葉を飲み込んだ。それを隠すようにして爆発の方向を見るのだった。
「行こう、俺達も早くタリスマン支部に行かないと――」
このとき、ユーリーは思い出したくもないことを思い出そうとしていた。
ケイシーとクヌートは? 自らの手で始末したスティーヴンとジェラルドの様子はわかったが、残りの2人の元チームメイトはどうなっているのだろうか。
「そうだな」
と、クリフォードは言う。さらに彼は振り返り。
「お前、トロイを殺す以外のことも考えてんだろ」
「な……なんでわかった?」
ユーリーは取り繕うこともできず、思わずそう言った。
「裏切ったにしろお前はタリスマンの人間だったわけだ。恨みのない相手には――」
「ルナティカとクヌートだな。二人のことは気遣えるが、他はもう無理だな。思い出してしまったんだよ……」
ユーリーは言う。
かつての友人、ケイシーの仕打ちを思い出し、ジェラルドのとき同様に怒りと喪失感を覚えている。
ケイシーは――
「本当に何があったんだよ……顔色が悪いぞ……」
「気のせいだ。俺があいつを惨殺して、それからだ。話すのは……」
と、ユーリー。
このとき、クリフォードは思い出した。ユーリーの精神状態は決して安定した状態ではない。殺意に駆られて暴走することだってあり得るだろう。
もしそうなったら止めるのはクリフォード。彼は仲間であるとともに、ユーリーの監視役でもあるのだ。
そしてユーリーはある気配に気付く。
懐かしくて忌まわしい。かつての仲間だった者の気配。
自分が捨ててきた、と言わんばかりに向けられる憎悪。
イデア使いは親しいイデア使いの気配がわかるという。ユーリーも勿論そうなのだが――
「クヌート……」
ユーリーは呟いた。置いてきた仲間の名前を。
未だに姿を見せない彼だが、その気配だけはユーリーに訴えかける。過去の出来事、偽の記憶ではない出来事を、思い出させようとしている。
そう、なつかしさなどという生易しいものではない。見捨てて逃亡したユーリーを恨んでいるようだった。
――お前は逃げたんだよ。俺を置いて。なんでケイシーを信じたんだ?