11 俺を殺す権利は
――これでシャルムの身体を蝕むことはない。これで忌まわしき力を使うこともない。
穴の中。光が消え去った後、ユーリーは斧を強く握りしめた。イデアは展開できる。殺人カビとしての力だけが封じ込められたにすぎない。
目が眩む中で、ユーリーは目の前の敵の顔を見た。シャルムの顔は怒りに満ちていた――だが、それと同時に行き場のない思いもあった。
「おい、シャルム。何か勘違いしていねえか?」
ユーリーは斧を握りしめたまま言った。
「それはないな。お前が兄弟を殺したという事実は動かない」
シャルムはそう吐き捨てると、腰に差していた2本のジャックナイフを抜いた。彼がジャックナイフを手にした瞬間、その刀身は消えた。だが、柄だけはその手に握られていた。
シャルムにはまだ、何かがある。
今度はユーリーが先に動く。斧を振りかぶり、シャルムの首を狙って振るう。
シャルムは斧での攻撃を見切っていた。刃の消えたジャックナイフで斧を受け止める。が、ユーリーの攻撃はあまりにも重く、シャルムは吹っ飛ばされた。
さらに追撃しようとするユーリー。建物の壁にぶつかりながらもユーリーから目を離さないシャルム。2人の間にはゆずれないものがあるようだった。
建物の壁が崩れる。人間がぶつかっただけで崩れるような代物ではないのだが、不完全ながらもイデアを展開するユーリーとシャルムはそれをいとも簡単に破壊した。
崩れ落ちた瓦礫の中。シャルムはその隙間からユーリーの姿を見ていた。
斧を持ち、イデアを展開したユーリーは神話の破壊神か、英雄のようだった。その姿を前にして、シャルムの中で「勝てる気がしない」という思いが湧き上がる。だが、シャルムはユーリーを殺さなくてはならない。これは兄弟たちへの弔いだから。
瓦礫の山が消滅する。押しつぶされかけていたシャルムは立ち上がり、ジャックナイフを持ち直す。
斧を持っていたユーリーは自分から仕掛けてくることもなく――
「来いよ」
ユーリーは言った。
彼には何か意図がある。無意味にシャルムを挑発しているということでもなく――
シャルムもユーリーの意図にはそれとなく気づいていた。そうしたうえで。
口元はガスマスクで覆われてわからないが、シャルムの顔は笑っていた。
「いいだろう……」
シャルムはあえて、ユーリーの挑発に乗った。
刃の消えたジャックナイフにイデアを集め、ユーリーに詰め寄る。この刃で、ユーリーの首筋を掻き切らんと。
ユーリーは間一髪のところで躱す。が、刃に触れた毛髪が消えた。
――なるほど。その刃そのものがイデアになったってわけか。
シャルムのイデアの全容。使い手でもないユーリーの知ったことではないのだが、その予想はついていた。
能力が『消滅』であること。それも範囲を自在に操れるような。その最大の範囲はわからなくとも、クレーターを作るくらいは造作ないこと。
ユーリーはふらついた身体を起こしながら、シャルムの連続した斬撃を躱す。
消滅の斬撃を受け止めるようなことがあれば、ユーリーの方が無事では済まないだろう。
――消してやる。殺してやる。
シャルムの怨嗟がユーリーに伝わる。彼は憎しみに駆られている。己の古巣を憎むユーリーと同じように――
シャルムの刃が空を切る。ユーリーは彼から間合いを取ろうと後ろに下がるが、その距離も詰めてくる。
見えない刃は実体がない。振るわれるたびに空気は動くが、その姿はとらえることもかなわない。だが、ジャックナイフを包むようにイデアは展開されていた。
後ろに下がることしかできないユーリーはついに追い詰められた。
ユーリーの後ろは壁だ。このままであれば、シャルムの能力で殺されるだろう。
まだ勝つ方法ならばある。手段を択ばなければ、シャルムなど簡単に殺せる。が、ユーリーはその気にはなれなかった。
振るわれる不可視の刃。だが、刃はユーリーの目の前で止まった。顔に傷を入れることもなく。
「何だ……」
戸惑うユーリー。すると、シャルムは口を開く。
「トウヤ・インコグニートを殺したのはお前か?」
「俺が殺した。実際にそうする理由があったからな」
隠す必要もない。何を言ってもシャルムはユーリーを殺しにくるだろう。ユーリーはそう考えていた。
だが――
「そうする理由……? 元はそいつらと同じことをしていたお前だ。相当な事情でもあったんだろう。例えば、失望するようなことがあった」
シャルムはユーリーの状況を見抜いていた。
ユーリーは顔を引きつらせて言う。
「あったよ。それも、ヤツらを殺すに十分な動機になりうることが。それでも、お前にも俺を殺す権利はあると思うぜ」
「それは知っている。せいぜい、楽しく戦うか? 俺はこう見えて戦うことは好きだ」
シャルムはそう言って、突き付けていたジャックナイフを下した。いつの間にか、シャルムのジャックナイフの刃が元に戻っていた。それだけでなく、シャルムの展開していたイデアだって消えている。
そして、シャルムの表情も変わっていた。彼の敵意は少しずつ薄れている。
「そうさせてもらうぜ。けどな、お前はなんでイデアの展開をやめた?」
と、ユーリーは尋ねた。
「俺の中に迷いができてしまったからだ。だが、勘違いするな。敵が同じだからとはいえ、兄弟を殺されたことは忘れない。俺がやめるのは戦うことではなく、お前を消滅させて殺すことに過ぎない」
シャルムは言った。
すると、ユーリーもイデアの展開をやめて斧を持ち直す。
「わかったぜ。お前の敵意なら受け止めてやる。多分、そうすることしかできねえからな。お互いにイデアだけ封印ってことでいいだろ?」
「構わない」
シャルムはそう答え、「ふっ」と笑った。
2人は因縁を乗り越えたようにも見えた。
ユーリーとシャルムを見失ったクリフォード。
完全に取り残されたようだった彼は、2人が入り込んだ市街地の方に――市街地の建物の屋上に人影を見つけた。
それは12歳くらいの少女だった。黒を基調としたロリィタ風のワンピースを身に着け、その姿に似合わぬ大きさの鉈を持っている。
――危険だ。
本能がクリフォードに訴える。
そんな中で、少女――エミリーは建物から飛び降りてクリフォードの方へ向かってきた。
「ユーリーはむこうに行ったみたいよ」
エミリーは市街地の方を指さしながら言った。
「そうか。向かってみる」
クリフォードはエミリーの言葉を真に受けてその方向に向かおうとした。が――
「わたしもついていく。手助けしてあげないと、ユーリーが可哀想だから。わたし、こう見えて人の首を落とすのが得意なの」
エミリーは言う。
彼女が放つのはおおよそ少女とは思えない不気味さ。拒否すれば殺しにかかる。人外の力に殺される。そのような不気味さだ。
「……危なくなったら逃げるんだぞ」
エミリーの圧に押されたクリフォードはそう言った。
2人が向かうのは、ユーリーとシャルムのいる市街地。彼らはそこで戦っているはずだから。




