8 死んで終わりではない
生首となったトウヤは何も喋らない。ユーリーはその首を抱え、タリスマン支部の方に行こうとした。
だが――
「首のない死体か。君がやったのかな?」
ユーリーの耳に入る忌まわしき声。その声の主なら、ユーリーも知っている。
トロイ・インコグニート。タリスマン支部の支部長にして、ユーリーを苦しめた男。そして、殺すべき敵。
「……俺がやった。ちょうどお前の目の前にコイツを放り出してやりたかったところだ」
ユーリーは振り返り、抱えていたもの――トウヤの生首を左手に持ってトロイに見せつけると、それをトロイの足元に放り出した。
「やはり君がやったのか……私を殺せないと知って八つ当たりか? 全く、私が汚いと陰で言っておきながら君も相当だろう。なにより、君の行為がそう証明しているよ」
トロイは言った。
優しい言葉の圧力がユーリーを追い詰める。今、ユーリーは愛する人を人質に取られている。その気になれば今のトロイ程度であれば簡単に殺すことができるだろうが、人質がいることでユーリーの行動は制限されていた。
「……だよなあ。俺は今、とんでもねえ悪事をやっちまった自覚がある。だが、優劣がつけられなくともお前だって悪事を働いてることに変わりないんじゃ――」
「これ以上言うことはないぞ、ユーリー!」
ユーリーの後ろでクリフォードは言葉を遮った。そしてトロイに向ける、アサルトライフルの銃口。
「どうやら私は命を狙われやすいようだ。ここは立ち去りましょう。ですが、君たちも気を付けることです。トウヤも他の3人も死んで終わりではないのだからね……」
トロイは両手を挙げて言った。まだ彼は何か隠しているようだったが、これ以上の深追いはできないだろうと直感するユーリー。クリフォードもアサルトライフルを下した。
そして。ユーリーも自分のおかれた立場をよく理解していた。いくらトウヤを殺したとしても、ルナティカを人質に取られていることには変わりない。湧き上がる怒りを抑え込み、ユーリーはただトロイを睨むだけだった。
「行こう、ユーリー。ここにいて何かがあるわけじゃねえんだ」
と、クリフォードは言う。
「そうだな。とりあえず事情はわかっていてもゲオルドたちが受け入れてくれるとは思えないが」
「お前、悲観的すぎるんだよ」
2人は言葉を交わしながらその場を去った。
その場に残されたのは、殺されたトウヤとトロイ。トロイは何かを思いついたかのようにイデアを展開する。2つの赤い棺と、そこから漏れ出る腐敗液。
「トウヤ……首を落とされただけで安心したさ。首を落とされて15分以内であれば、蘇生したという記録もあるくらいだ。そこから吸血鬼になって今も生きているヤツだっている。君は運がいい。まだ死んだとは言えないからね……」
放り出され、砂で汚れたトウヤの生首。トロイはそれを拾い上げ、横たわるトウヤの体に近づけた。
「君はまだ生きるべき人間だ。人間でいられないとしても、エミリーのようにはなれる。与えようか」
赤い棺の蓋が開いた。腐敗液は次第に手の形を成し、トウヤの体を掴む。すると、その手は棺の中にトウヤを引きずり込んだ。
血のように赤い棺の蓋が閉まる。
この棺は人を弔うためのものではない。人が生まれ変わるためのものだ。この町を徘徊する者たちと同じ、レヴァナントとして。
「それにしてもひどいやつらだ。かつての仲間に刃を向けて、殺そうとする、か。そういうところは感心できるが相手を間違っているだろうに」
トロイはぶつぶつと呟きながらその場を去った。
ユーリーとクリフォードが向かう場所は本拠。ユーリーは拒否していたが、クリフォードが無理矢理説得して本拠に向かうこととなったのだ。
「不安か?」
クリフォードは尋ねた。
「逆に不安じゃない要素がない。いや、あるとしたらあんたがいることか。俺1人じゃないだけでここまで心強いとは思えなかったぜ」
「ま、そうだよな。一度お前をチームから外したんだ。お互いに気まずいのはよくわかる。もしかすると俺、ゲオルドのヤツに嫌味でも言われるかもなあ」
クリフォードは笑いながら言う。が、彼の目は笑っていない。彼もまた、これからのことを案じている。
タリスマン支部近くから住宅街とダウンタウンを横切れば本拠まではすぐそこだ。
覚悟を決めた2人は路地裏にとめていたバイクに跨り、本拠を目指した。
――あの2人は。いや、あの男は。
メルヴィンの目に入ったのは彼と因縁のある人物の姿だった。一部だけ紫色に染めた髪をなびかせながら、バイクでダウンタウンを駆け抜けてゆく。
「いたのか、ユーリー・クライネフ……」
メルヴィンは呟いた。すると、猫に餌を与えていたシャルムの肩がぴくりと動いた。
シャルムが反応したのもユーリー・クライネフという名前だ。やはり、以前のユーリーの行動のためか、シャルムもメルヴィンもユーリーに対しては相当な憎悪がある。シャルムに至っては、その手でユーリーを殺そうと決めている。
「メルヴィン。今ユーリー・クライネフの名を」
「言ったぞ。今、この目で見たんだよ。廃工場で好き放題暴れたあいつだ」
と、メルヴィン。
シャルムは眉間にしわを寄せた。
廃工場でのできごとはシャルムもよく知っている。あの場所で、ユーリーはデーモンボーイズのメンバー――兄弟たちを何人も殺したという。それは余計にシャルムの怒りを駆り立てる。
「殺すしかないな。それが死んでいった兄弟たちへの弔いだ」
シャルムは言う。
このときのシャルムの顔には、得体のしれない黒い影が現れていた。
「リーダー。いくら弔いだからといってあんたまで犠牲になることはない。確かに俺たちは……」
「余計な心配はいらない。仮に俺が死んだとしても、お前なら任せられる。俺はユーリーを殺しに行く」
シャルムは立ち上がり、メルヴィンに微笑みかけた。