5 法で裁けない悪
少し視点が変わります。ゾンビが発生している場所でのできごとです。
貧民街を人ならざるものが徘徊する。
ここはタリスマンの町。産業の衰退によって荒廃し、治安も悪化した町だ。魔物ハンターの監視の目もあるが、彼らを束ねる者の噂も出回っているというのが事実として存在する。
「あはは……笑えませんね。ギャング、脱獄囚ときてゾンビだなんて」
眼鏡をかけた少年――ダリル・グラッドストンは言った。
今、彼は壁が黄色く塗られた部屋の椅子に座っていた。彼の前にいるのは45歳くらいの男性だ。彼の名はジャレッド。この黄色い壁の家の家主であり、家出した少年、売春婦、ホームレスなどに居場所を提供している。
「ああ。なんでもそのゾンビにも黒い噂がある。鮮血の夜明団を知っているか? 」
ジャレッドは言った。
ダリルも『鮮血の夜明団』という言葉には聞き覚えがあった。犯罪から観光客や住人を守るために仕事をしている、一般の法では裁けない犯罪者を相手にしている、という話を知っていた。実際にダリルも、彼らに世話になったことがある。
「知っていますよ。それで、あの人たちが何ですか?確かにタリスマン支部の前身はストリート・ギャングの1チームだと聞きますけど」
「違う、構成員じゃないぞ。噂が出回っているのはその支部長の方だ。トロイ・インコグニート。なんでも7年前から人が変わったようで、噂によれば法で裁けない悪を金にものを言わせる形で刑務所にぶち込んでいるらしい。ほかにも、ゾンビを使って俺たちを監視しようとしたり、な」
それはとらえ方によってはただの陰謀論ともいえるのかもしれない。権力者が裏でよからぬことを企んでいる、といったような。
だが、ダリルもジャレッドの言うことが嘘であるとは思えなかった。
「ええ……あの人が、ですか?観光客に鮮血の夜明団から護衛やガイドをつける人なのに……」
「きっと金目当てか、今のこの町を見捨てたか。まあ、この町に未来がないというのは結構有名な話だなあ」
ジャレッドはそう言って頭をかきむしる。
「本当に、嫌な町に生まれたなあ。未来がないって言っても、僕はここで朽ちていくしかない。だって、僕には町の外に出ていくためのお金も、生きる方法もないんだから」
ダリルは言った。
――彼の生家は事業に失敗した実業家だった。10年前までは活気のあったこの町で、ダリルの家族は新たなる事業に手を伸ばそうとしたが、産業の衰退に伴って破産。彼の家族は多額の借金を背負い、タリスマンの町の外に引っ越すこともできなくなっていた。
そして。彼らはストリート・ギャングのはびこる町に、ヒーローが現れることを望んでいた。実現しない望みだということはわかっていても。
「だろうなあ。せめて俺も、まともに――」
外で物音がした。いや、それだけにはとどまらず、銃声と叫び声も聞こえる。いつものギャングの抗争――主に鮮血の夜明団とストリート・ギャングとの抗争だが――とは比較できないほどの、恐怖に満ちたもの。
ジャレッドは急いで窓の外を見た。
「……おいおい、マジかよ!アレは何だ!? 」
窓の外。空き家の多い通りで行われる、異常な戦闘。
片方はストリート・ギャングの青年4人。そして、もう片方は――人間のようで人間ではない者。浮浪者のようにボロボロの服を着ているが、何より特徴的なのは理性が失われたかのような挙動。
「く、来るな!こいつ、何発か撃ち込んでも動いてやがる! 」
発砲。
浮浪者の体に穴が開き、その穴から血が地面に滴る。
――血液の放つ、かすかな腐臭。
青年はパニックに陥り、何度も拳銃を撃つ。2発ほど命中したものの、それは浮浪者を黙らせることもなく――
「ああああああああああ……」
浮浪者の口が裂けた。彼は青年に襲い掛かり、首筋にかぶりつく。
「に……逃げろ!こいつ、人間じゃねえ! 」
残り3人のストリート・ギャングの青年たちは浮浪者から逃げる。
すると、浮浪者は噛み殺した青年の遺体を放り出して、3人を追い始めた。動きは鈍いものの、浮浪者は3人を標的として定めているようだった。
「あぁ……なんてことだ」
ジャレッドは窓を閉めて言った。
「何かあったんですね? 」
「あったよ。このところ噂になっているゾンビだ。たった今、ギャングの1人が犠牲になったみたいだな」
「本当にいたんですね、ただの噂ってことでもなく」
ダリルは言った。
「だな。籠城するか? 」
「いえ、戦います。自分の身を守るくらいですが。僕、これでも人間を吹っ飛ばせるくらいの爆弾は作れるんですよ」
ダリルの周囲に展開される、液体のようなもの。――7年前タリスマンの町に異界へつながるゲートが現れ、それに伴って現れた能力。何がきっかけで目覚めたのかもわからないその能力は、物体に爆弾の性質を持たせた。
ダリルにとって、その能力はトラウマや足かせでしかなかったのだが――
「何を言っているかわからないが……」
ジャレッドは聞き返す。
ダリルには見えていて、ジャレッドにはそれが見えない。ダリルは数年前に聞いたことを思い出した。
――能力は人によって見える、見えないが異なる。
「ジャレッドさん。6年前の爆発事件って知ってます?あれ、僕がやったんです。能力が暴走して、家そのものを爆弾に変えてしまったんです」
「……その節については大変だったな。が、君をここに置いておくべきかまた考え直す必要が出てきたな。6年くらいここで面倒を見て何も起きなかったが、明日それが起きないとは言えないだろう?他の人たちを危険にさらすわけにはいかないなあ」
ダリルが過去についてほんの少し語るだけで、ジャレッドは彼を拒否したようだった。確かに、ダリルも危険人物になりうるのだが――
「ですよね。僕もこの能力を見せたらストリート・ギャングくらいにはなれるのかな。でも、麻薬の取引は……」
――わかっている。ダリルはまともに生活していくことだってできなくなるだろう。いくら勉強ができても、この場所はそれが必要とされる場所ではないのだ。
「すみません、ジャレッドさん。お世話になりました。こんな状況ですけど、なんとか生き抜いてくださいね」
ダリルは椅子から立ち上がり、ジャレッドに言うと家を出た。もう、2度と戻らないだろう。
――空き家が燃える。その前には、生ける屍。生きながらにしてレヴァナントにされた人間は、ある者の命令でこの町の見回りをしていた。
「どんな悪い人間も、■■にしてしまえば言うことは聞く。そいつに見回りをさせることは効率的でしょう。特にこの犯罪都市においては。人を動員しようにも人が足りないではありませんか」
ダリルはこの小説における、ユーリーともう1人に続く主人公です。