4 俺はいつの間に
うずくまるマルセル。彼は激しく咳き込み、口から赤黒い塊を吐き出した。
――気持ち悪い。だが、なんだ。この妙な気分は? まるで、俺の傷が治されていくようだ。それこそ、医療錬金術みたいに。
マルセルが覚えたのは妙な感覚だった。吐き気は収まらないものの、脇腹の痛みが少しずつ治癒している。
その次は腕だ。欠損しているはずだった左腕は吸血鬼が再生するのと同じように元の形状に再生を始めていた。だが、違う点といえば、どこかから放たれる光と共鳴するようなものに包まれていた。
――何が起こっている……? 俺はいつの間に吸血鬼になったんだ? 俺の周りにある十字架は一体何なんだ……?
マルセルには確かに見えていた。彼の周りにある、白い十字架。十字架は光を放ち、マルセルの傷の治りを進めているようだった。
そして、アンディーは表情をゆがめていた。
「何が起きている。腕を落としたときまでは現れていなかったが、まさかお前も――」
マルセルはアンディーの言葉の真意を理解できないでいた。
「さあな……今の出来事は俺の知ることではない。が、この感じだと俺はまだいけそうだ」
この再生速度は吸血鬼みたいだが、と言いかけたマルセルはクロスボウから外したリムを拾う。アンディーはただそれを見ているだけだったが――
マルセルはリムをブーメランのように、投げた。込められているのは光の魔法。
アンディーが避けたと思えば、マルセルは彼の懐に斬りこんだ。その切っ先に込められた光が放つのは、命の理から外れた者を消滅させる光。
「受け止めようが無駄なことだ。これでも俺は――」
マルセルの静かな声はアンディーの未来を暗示しているようだった。が、アンディーは紙一重で躱し――
「無駄? ああ、君はまだ僕の力すべてを見切ったわけではなかったか」
アンディーはマルセルが何度も繰り出す斬撃を受け流しながら言った。
そんなアンディーからにじみ出る、圧迫感。マルセルは一瞬だったがそれに怯んでいた。
アンディーの圧迫感の正体とは――
アンディーの周りに展開される血のようなもの。今のマルセルにははっきりと見えていた。
何か仕掛けてくる。
マルセルは構えていた。だが。
「来なよ。僕を殺すんだろう?」
アンディーはマルセルを煽るような口調で言った。
――状況はかなり変わっているみたいだ。もし俺がクロスボウをバラしていなければ。
後悔しても遅い。マルセルは覚悟を決め、彼の持つ武器の切っ先に光の魔法を纏わせた。
そして。赤い液体の鎧の上から切りつけんと、アンディーに迫る。そのときにアンディーは不敵な笑みを浮かべ、その斬撃をあえて受けた。
「……こういう仕掛けだったか。最近の吸血鬼は……」
突然の鋭い痛みがマルセルの腹部を襲う。血か汗かはマルセルの知ったことではないが、彼の腹部から液体が流れ出ているのを知覚した。
マルセルは歯を食いしばってマルセルと距離を取る。
対するアンディーは自分からマルセルを攻撃するような気配もなく、ただ彼を見つめていた。
「つづけるかい? 少なくとも僕はメリットがあると思えないんだけど」
「ふざけるのも大概にしろ。俺にはメリットがある」
――攻撃のダメージを俺に返していたようだった。もしそれが俺に効かないような攻撃だとしたら? 素手でアンディーに触れてみればわかるかもしれない。
マルセルは自身の腹部の傷が癒えてゆくのを感じながら再びアンディーに近づいた。剣の切っ先に光の魔法を纏わせて。その刃で彼の喉を切り裂こうとして。
アンディーは眉間にしわを寄せ、剣でそれを受け止めようとした。
だが。マルセルの本命は剣ではない。
「……そっちか」
アンディーはマルセルの左手に気づく。
その手は光を纏っていた。アンディーの体に直接触れようとして。
アンディーはマルセルの剣を振り払い、後ろに下がった。
――今、避けたか。もし俺にもダメージが来るのなら避けなかったとしてもおかしくないが。少なくともアレを貫通して光は通るということか。
マルセルはアンディーの体をちらりと見た。傷こそない――赤いものに隠れているが、その体から少しずつ灰が出てきている。
アンディーの能力はダメージこそ跳ね返せても、吸血鬼の弱点となる光の魔法は赤いものを越えてしまえば防げないということ。
マルセルはアンディーの能力の穴を見つけた。
アンディーはマルセルの表情を見て――
――早々に片付けないと僕の弱点を見破られる!
次に仕掛けたのはアンディーだ。表情こそ変わらないものの、彼はかなり動揺していた。
振るわれる剣。マルセルはそれを躱す。が、アンディーはすかさず蹴りを入れる。
――逆にチャンスだ。
マルセルはその寸前に、蹴られると予想した場所に光を集中させた。
アンディーが気づいたときには遅かった。マルセルの脇腹に集中していた光がアンディーの脚に伝わり、彼の脚を痛みが襲う。
アンディーはその痛みに顔をゆがめた。
「野郎……こんなことまで考えるのか」
アンディーはそう吐き捨てると、左脚を庇うようにして後ろに下がった。
マルセルはそれを見逃さず、さらにアンディーに迫る。まずは片腕を覆う赤いものを剥がす。そのために刃を突き立てる。
刃が食い込んだ。相対する2人の顔が歪む。
「……まだ、だ」
痛みに耐えながら。目覚めたばかりの能力で傷を癒しながら。マルセルはアンディーの顔に手を伸ばす。顔だけは赤いもので覆われていなかった。
「やめろ……僕に触れるな!」
アンディーは叫ぶ。
そんな彼を目の前にしても、マルセルはその手を止めなかった。
――わかっている。確かに僕はこうなってもおかしくないことをした。それでも、顔面から灰にされる最期なんて……
マルセルの手がアンディーの顔に触れた。彼の手に込められていた光がアンディーを侵食する。
アンディーは30秒と経たないうちに絶命した。残ったのは、灰となった顔を持つ亡骸だけだ。いずれ、彼の体も灰になるだろう。
マルセルは斃すべき敵の死を見届け、安堵したかのように片膝をついた。
――興奮していたからか。考えれば吸血鬼の攻撃を受けてここまでの痛みを感じない方がおかしいな。
脇腹の痛み。それだけでなく、左肩をも激しい痛みが襲う。
マルセルは空を見上げながらこの戦闘で負った傷を癒していた。仲間と合流するのはもう少し先になりそうだ。