3 自分が狩る相手から
夜のタリスマンの町を歩くマルセル。彼の持つクロスボウには銀のボルトが装填されている。いつ吸血鬼と鉢合わせになってもいい、という覚悟のあらわれだ。
レヴァナントの騒ぎの最中であるのに、今のタリスマンの町は静かだった。人の気配もごくわずかで、ここ数日のうちにゴーストタウンにでもされてしまったようだ。
「おい、そこの誰か」
マルセルの耳に入ったのはとある青年の声。
マルセルは振り返る。
そこにいたのは緑青色の羽織を着た黒髪黒目の青年だった。彼が持っているのは、刀。
「何だ?」
「服装がストリート・ギャングに似ていたが……シャルムという男を知っているか?」
その青年――トウヤは静かな声でマルセルに尋ねた。
「……いや? そもそもシャルムとは誰だ。俺はこの町の住人ではないが」
「そうか……すまなかった。ストリート・ギャングの残党を探しているだけだったのでね。君もこの町を離れられるなら離れた方がいい。そうできない事情があるのなら別だが」
トウヤはそれだけを言い残して去っていった。
このときまで、マルセルとトウヤはお互いの名前もお互いの事情も知ったことではなかった。
いや、知らない方がいいのかもしれない。
マルセルはトウヤが歩いてきた方向に向かう。
――僕は人間の心や人生に関心を持つことができなかった。人の心や人生に興味を持ち、積極的にかかわろうとしてきた兄とは正反対だ。だからこそだったのだろうか。僕は人の体に執着した。性的なものとは違うが。そうだな、いうなれば人体の蒐集か。僕は人の心なんてどうでもよかったから、興味を持った人の体を切り取っては薬品に漬けてコレクションにしていた。そんなことをしていたから、僕は兄から嫌われた。
……人の好みなんて、どうだっていいだろう。
過去を思い返すアンディーは刑務所近くを見回っていた。
少し欠けた月がアンディーとその近くを照らす。近くには金色の霧も立ち込めており異様な雰囲気であった。
アンディーは月明りだけで、近くにいた者の姿に気づく。まだ影しか見えないが――
「赤い髪。時代錯誤な服。あんた、アンディー・インソムニアか?」
男の声――マルセルの声がアンディーの耳に入る。
「どこの誰か知らないが、そうだよ。ああ、やめてくれよ。僕は生きた人間に興味がないんだか――」
アンディーが声を発してすぐ。光を纏ったボルトが彼の喉を貫いた。光の魔法――吸血鬼の弱点。アンディーの喉に走るのはボルトと光の魔法による、二重の痛み。
アンディーはマルセルの姿を確認するやいなや、剣を抜いた。
そして、少しずつ侵食される首には構わず、マルセルに詰め寄った。
「やはり急所を外すと厳しいものがあるな」
アンディーの斬撃をクロスボウのリムで受け止め、マルセルは言った。
この瞬間、マルセルにははじめてアンディーの顔が見えた。表情は読めないが、髪型や化粧を抜きにすればジェシーによく似ている。
やはり2人は兄弟だ。
マルセルはアンディーを剣ごと弾き飛ばそうとした。が、アンディーの力は強い。逆にマルセルが押され始める。
アンディーは剣でマルセルをクロスボウごと振り払いさらにマルセルに斬りかかる。
「くそ……」
マルセルは左手で剣を受け止める。
左手に食い込む剣。痛みがマルセルを襲う。アンディーは剣に力をかけてマルセルの左手を斬り落とした。
「これでクロスボウは引けなくなったか」
アンディーは血のついた剣を鞘に納め、斬り落としたマルセルの腕を拾う。
ずしり、と重い感覚がアンディーの手に伝わった。
「ふむ、案外筋肉質なんだね。その服に隠れてわからなかったよ」
人でなしの声がマルセルの耳に届く。
彼が持っているのは、そのマルセル自身の腕だ。断面を露骨に自身の方に向けられたマルセルは気分が悪くなった。
アンディーの喉の傷は治る気配もないが、侵食は止まっていた。
「さて。お前が僕に特段殺意を向けないのならば、僕はここを去ろう。正直、俺たちの敵かどうかもわからないからな」
と、アンディーは言う。
「……安心しろ、吸血鬼。お前は吸血鬼であるだけで俺の敵だ。それに加え、ストリート・ギャングに手を貸しているそうじゃないか。後者は正直どうでもいいが――」
金属音。マルセルは右手だけでクロスボウを操作し、リムとボルトを取り外す。リムが外されたその先端から現れる、銀の刃。
吸血鬼を狩るのであれば、遠くから一撃で殺すのが定石。しかし、その通りに行かないことも多々ある。だから、多くの吸血鬼ハンターは近距離でも戦える装備を持っていることが多い。
マルセルは立ち上がり、剣となったクロスボウをアンディーに向けた。
「さすがに剣王と呼ばれるような会長ほどではないが、俺はこちらでも戦える」
と、マルセル。
彼の持つ剣の切っ先が月の光を受けてギラリと光る。これが吸血鬼を屠る、銀の刃。
「向こう見ずな真似をするよ。まあ、僕が灰になろうが君の全身がコレクションに入ろうが、そのときはそのときだな」
アンディーはそう言って再び剣を抜いた。
先に動いたのはマルセルだった。
片腕の吸血鬼ハンターが狙うのはアンディーの首。すでにその中心に孔が開けられた状態であれば、少し光の魔法を当てるだけで簡単に片が付くだろう。
アンディーはマルセルの意図に気づき、剣――サーベルの峰で受け止めた。
そのとき、マルセルの剣が纏う光が強くなった。
アンディーは咄嗟に剣を手放した。そのときにはすでに、剣にも光の魔法が移っていたところだった。
「……よく考えたものだ。危うく、腕を失うところだった」
アンディーは後退しながら、その服の袖に仕込んでいたナイフを取り出し、放った。
吸血鬼の人間離れした腕力で放たれるナイフは回転しながらマルセルに迫る。マルセルはそれを剣で叩き落した。
次は、接近か。
アンディーは剣を振りぬき、ナイフを叩き落したことで隙のできたマルセルに詰め寄り、手を伸ばす。――違う。拳ではない、蹴りだ。
アンディーの放つ蹴りを正面から受け、マルセルは吹っ飛ばされた。
やはり、アンディーはこれまでにマルセルが戦ったどの吸血鬼よりも強い。マルセルは命の危機を感じていた。
脇腹に感じる痛み。マルセルはその痛みで顔をゆがめた。それと同時に、マルセルは激しい吐き気を覚えていた。
「さて、吸血鬼ハンター。どんな気分だ? 本来、自分が狩る相手からこうやって嬲られる気分は。嬲っているこちらとしては最高だよ」
血も涙もないアンディーの声が虚しくマルセルの耳に入る。
彼の首の傷は少しずつ再生し始めていた。