6 お父様
動く死体など、存在しないといわれていた。いかなる方法をとったとしても、死んだ人間をそのまま動かすことなどできなかった。動かすだけでも不可能だというのに、自律して動く死体があるはずがない。そういわれていたはずだった。
♰
彼女は権力を愛した男から娘と呼ばれていた。フリルのついた服を赤い血で濡らし、彼女は健気に生きていた。いや、生きていたといえるのだろうか。
7年間変わらぬその姿はどこか不気味だった。そして。彼女の服についた血は――
「エミリー。殺すのはいいが、あまり服を汚さないようにするんだよ。怪しまれてしまうから」
「はい、お父様。私は誰を殺せばいい?」
「ストリート・ギャングどもを皆殺しにできるのならやってくれればいい。君のできるところまででいいから」
権力を愛した男――トロイは言った。
エミリーは頷いて、外に出た。荒廃した町のメインストリートを行く彼女。その手に握られたものは鉈だった。少女の姿をした彼女は身の丈に合わない武器を持ちながら、目的地へ向かう。
ストリート・ギャングを殺せ。奴らこそが排除すべき相手。容赦はいらない。ただ、殺せ。
♰
少女はストリート・ギャングの男を睨みつけた。銀髪の彼の周りには輪切りにされた女の死体と首のない2人の男の死体が転がっている。
「ふふ……私が殺すのはあなただけ?」
少女――エミリーは言った。濁ったその目に映るのは銀髪の男。返り血を浴びた彼はエミリーに気づき、彼女を見た。
「おいおい、お前みたいなのがこんなところに来るか? 家に帰って――」
「あなた、ストリート・ギャングでしょう? その体を掻っ捌いて内臓を引きずり出してやるから」
エミリーは人ではない。
トミーがその異常さに気づいたときにはすでに遅かった。エミリーは恐るべき速さでトミーに詰め寄ると、鉈を振り上げた。対するトミーはピアノ線を出現させ、エミリーの首を狙う。
ピアノ線がエミリーの首に巻き付いたかと思えば、彼女の首がごろりと落ちた。その傷口から血が噴き出すこともなく――
エミリーは平然と首を拾う。
異常だ。人間の姿をしていながら、人外の特徴を備える少女。彼女を見て、トミーはほんの少しだが焦りを見せた。
――彼女は人間が太刀打ちできる存在なのか? それとも――
「どうして首を切れば死ぬと思ったの? それだけで絶命するのは人間だけだというのに」
拾い上げた頭を首に載せながらエミリーは言った。首は不安定ながらも、エミリーは一歩ずつトミーに迫る。鉈が握りしめられ――
――首が落ちても死なないようなヤツは確かにいる。ボスみたいな吸血鬼は確かにそうだ。それでも、吸血鬼は昼間に動けるはずがない。昼間に首を落としても平然としていられるのなら――
「俺が人間じゃねえ化け物を知らないから……だ……」
トミーが絶望したその瞬間。
鉈が振り上げられた。
戦意を失ったトミーは一歩も動くことはできない。
エミリーが鉈を振り下ろす。少女にあるまじき膂力で振るわれる鉈はトミーの胴体を袈裟斬りにした。傷は深く、骨も切られ、内臓にまでその刃は達した。
鉈を振るったエミリーは無表情でトミーの傷を見ていた。
「ァ……嘘だろ……」
ヒュー、ヒューという音に混じってトミーは声を絞り出す。彼の傷口からはボタボタと血が零れ落ちていた。もう少し傷が広ければ内臓も見えていただろう。
かろうじて生きていたトミーはその右手にピアノ線を出現させたが――
「無駄。あなたと私では圧倒的な力の差があるんだから」
エミリーはトミーの傷口に鉈を突き刺し、傷を抉る。
トミーの内臓がグチャグチャにされてゆく。胃や腸、肺や肋骨の一部が抜かれた鉈とともに地面に落ちる。さらに、鉈とともに引っ張り出される腸。
少し前に人を殺したトミーはそれ以上に苦しみを伴う仕打ちを受けている。これは、人を殺す者――悪事を働く者への罰なのか。それとも、彼を越えた悪者の悪戯か。
痛みに薄れる意識と混濁する自我の中で。トミーはエミリーの薄ら笑いを見ていた。
彼女はもはや人ではない。
――助けてくれ。兄弟。俺が悪かった。俺がこちら側に進んでしまったから。生きていくためだと割り切っても、俺は……。もし、こちら側にいなかったらもっと長生きできたのか?教えてくれよ、ボス。兄弟。リーダー――
本来鋭くない鉈で心臓を一突き。破裂した心臓から血が噴き出し、トミーは絶命した。血の雫を浴びながら、エミリーはトミーの死体を見ていた。
これで、ダウンタウンで戦っていた者全員が殺された。
「帰ろ。お父様に報告しないと。服は血塗れになってしまったけれど」
エミリーは踵を返し、来た道を戻る。彼女が向かうのは『お父様』のいる場所。
――お父様は私の人生……違う、人死の道しるべ。お父様がいてくれれば。
『お父様』とエミリーが呼ぶ者は、タリスマンの町のとある場所にて彼女を待っていた。
アトランティスロードに面した、スラム街のない方にある民家に入るエミリー。血だらけの鉈を玄関前に立てかけ、彼女はドアを開けた。
そして向かった、リビングルーム。
「お帰り」
エミリーが『お父様』と呼ぶ男――トロイ・インコグニートは本を閉じて振り返ると言った。
「ただいま。ワイヤー使いを殺してきたよ。ちょっと首が不安定になっちゃったけど」
と、エミリーは言った。彼女の淡々とした物言いとは裏腹に、彼女の首には一筋の傷――トミーによって一度切断された跡が残っている。血は出ていない。
「そうか。後で治療してあげるからね。首が不安定なのも不便だろう?」
トロイはそう言って「ふっ」と笑った。が、その一方で、この空間――タリスマンの町全体を覆う違和感に気づいていた。
「この町で何かが起こる、か」