15 現実は時に残酷だな
混濁する意識の中、ユーリーが見たのは顔が認識できない2人の男だった。その2人の男は、どこかで聞いた声で、どこかで見た髪の色で――
――彼らは誰だろう?
ゲオルドらがユーリーと合流して20分ほど。ヘンリクが廃工場の一角に現れた。治療用の器具が入った鞄を持ちながらやってきた彼は、ユーリーの姿を見て唖然とする。
意識はあっても自我はない。まるで心が壊れているようだ。心理的な部分もそうだろうが、手術されて縫われずに放置されているかのような傷もある。痛々しく、耐性のない人であれば目をそむけたくなるような光景だろう。
ヘンリクにとって、信じがたい光景だった。
「僕は夢でも見ているのか? マルセル。これはありのままの事実なのかい?」
ヘンリクはユーリーの姿を見てしばらくの沈黙を破る。
「事実だ。現実は時に残酷だな……」
マルセルは感情を押し殺しながら言った。
事情をそれとなく察したヘンリクは無言でユーリーに近寄る。やはり彼がここで自我を取り戻すということもなく、彼はずっと虚空を見つめていた。
「確かにそうだね。だが、僕が今やるのは彼の腕を治療することだよ。いくら錬金術が医療に転用されようとも、心のケアまではできない。治療するよ」
ヘンリクは鞄から消毒液とピンセットを取り出し、ユーリーの腕をとる。切り開かれたユーリーの右腕は不自然なほどに綺麗だった。手術された状態のまま放置されたように。少し埃がかかっている程度で、砂が傷口に入っていることもない。
誰がこのような切り開き方をしたのだろう?
ヘンリクがユーリーの手当てをしている間、外から足音が聞こえてきた。ゲオルドとマルセルは不審に思い、それぞれの武器を取る。
無鉄砲なようで、警戒はしているような。その足音は少しずつ近づいてきた。
そして、足音はすぐ近くに。
「動くな! 下手に動けば撃つ!」
ゲオルドは声を張り上げた。すると――
「ゲオルド! 俺だよ! ユーリーとはぐれてさぁ!」
ゲオルドやマルセルもよく知る声。その声から少し遅れて姿を現す赤髪の男。
足音の主はクリフォードだった。彼は無事だったが、この廃工場でユーリーとはぐれていたようだった。
「勘違いしてすまなかった。とにかく、お前も無事で何よりだ」
と、ゲオルドは言う。
「おう。カミサマがいるのなら感謝しねえとな。いなかったとしても、運命あたりに感謝するか!」
服が汚れ、顔に痣ができてきるクリフォードは言う。が、そんな彼もユーリーを気にしないはずなどなかった。
クリフォードの視線はユーリーに向いた。彼の見たユーリーは、ここにやってきたときのユーリーとは別人のようだった。虚ろな目で虚空を見つめながら涙を流す。そんなユーリーは今、ヘンリクから治療を受けている。
「ごめんな……」
クリフォードはユーリーに聞こえないくらいの声で呟いた。自我が消失したに等しいユーリーにこの言葉が届くはずもなかった。が、クリフォードはそのようなことなど考えていなかった。
「ゲオルド。ここに来た時、ユーリーはどうなっていた? 最初からこんなだったのか?」
クリフォードは振り返ると言った。
「ああ。誰がやったのかはわからないが。いや……」
ゲオルドには心当たりがあった。
ユーリーをこのような姿にしたのはあの男――ジェラルドなのかもしれない、と。壁の断面もユーリーの傷口も、無駄がないように切られていた。精密な作業でなければなしえないような状態で。
「犯人らしき男はいた。名前はわからないが、金髪で水色のメッシュの男。得物は鍵と刃物が合体したようなものだな」
と、ゲオルドは答えた。
「なるほど……。俺にはわからねえな。ユーリーに聞くのが一番早いんだろうが……」
それでもユーリーはこのざまだ。クリフォードだって、直接彼に聞くことなど今はできないのだろうとわかっていた。
「それはユーリーの心のケアができない限り厳しいんじゃないかな」
ゲオルドとクリフォードの間に割って入るヘンリク。どうやら、治療は終わったらしい。
「君ならわかるだろう、クリフォード。ユーリーはあれでも君のことを信頼していた」
「……全部ではない。でも、確かにあいつはタリスマンでされていたことを話していた。あのときからか、ユーリーの心が不安定じゃないかと思っていたのは」
と、クリフォードは言う。
――タリスマン支部で、ユーリーは心を壊されるような仕打ちを受けていたという。厳しい訓練、目上の者からの罵倒。だが、任務――殺しができたのであれば評価される。そのような中でまともな精神状態でいられるわけがないのかもしれない。
「それで黙っていたのかい? はっきり言って、彼をこのまま作戦に参加させるわけにはいかないのだが」
と、ヘンリク。彼が告げたのは残酷な現実。クリフォードやゲオルドも良く分かっていたが、ゲオルドはユーリーをチームから外す気にはなれなかった。
ゲオルドは彼自身が考えていた以上に、ユーリーに肩入れしていたのだ。
「そうか……」
ゲオルドは事実を受け入れる気にはなれなかった。
期待していたがゆえに――
「期待と肩入れほどしょうもないものはない。ゲオルド、リーダーである君に決定は任せるが、僕は彼をチームに入れておくのには反対する。」
と、ヘンリクは言う。
これは残酷な現実だ。
「あなたの意見を取り入れよう。会長からチームの指揮を一任されているが、ユーリーをこのチームから一時的に外す」
ゲオルドは言った。ここにいる誰もが、もはやユーリーは戦えないのだと確信していた。
「アトランティスロードの向こう側に宿を手配しよう。ユーリーはそこで休ませればいい」
苦渋の決断だった。
自分では何もできないゲオルドは歯がゆく思い、その一方でユーリーを信じていた。彼はきっと戻ってくる。
主人公が離脱。ですが、準主人公が頑張ってくれるでしょう。