2 仲間殺しのユーリー
エレベーターが上の階に向かうように、箱ごとふわりと地面から浮いた。寝起きのユーリーはその感覚を覚えて今の状況をそれとなく察する。
今、ユーリーはタリスマンではないどこかの町に到着したところ。積み荷の種類から見るに、このあとコンテナは開けられて荷物がおろされる。その時にどうにかして脱出しなければならないと、ユーリーは考えた。
――タリスマンの町からどこに列車が出ているのか、すべて把握しているわけではない。願わくば、相当な辺境ではありませんように。
ユーリーはただ祈ることしかできなかった。
果たして祈って変わることなのだろうか。今までにユーリーが経験してきたことからしても祈りに意味があるとはいえなかったが。
しばらくすると、コンテナの扉が開かれて作業員が中に入る。作業員の姿を見るなり、ユーリーは口を開いた。
「ここはどこですか? 何て町なのか教えてください」
コンテナの中にいた予想外の存在に困惑する作業員。だが、ユーリーの持つ戦斧に気づき、作業員は青ざめた顔で言う。
「ええと……ディレインですが――」
「ありがとうございます! 俺のことは見なかったことに! 」
ユーリーはそう言って作業員を押しのけるとコンテナの外に出た。
――あたり一面は森林に囲まれているものの、建物だって存在している。300年ほど前の建物がそのままの状態で存在し、観光名所や鮮血の夜明団の本部として有名で――
運がよかった、とユーリーは胸をなでおろす。もしレムリアの南部などに到着することになれば、これからの行動を決めることも困難になってくる。
今、逃亡者の身で後ろ楯もない状況でどうしていいのかもわからないのだから。
ユーリーはここがディレインの町であることを確認すると、建物が多く建っている方に向かって走り始めた。
本部だ。ケイシーがトロイの不正の証拠を本部に送るとの話をしていた。本部に送る文書は基本的に1日で届く。だからユーリーは本部に急いだ。幸い、トロイとは違う話の分かる会長も本部にはいる。頼るべきは、会長だ。
ユーリーが本部へ急いでいるとき。彼の後ろに誰かの気配が現れた。それは殺意を伴った気配。ユーリーはすぐさま後ろに向き直る。
「よう、仲間殺しのユーリー。支部長まで殺そうとしたと思えば逃亡だって?相変わらず忠誠心のかけらもないなあ? 」
ユーリーの神経を逆なでする一言を発したのは、かつてのチームメイト。スティーヴン・エルドレッド。ケイシーらとともに、任務をこなしていた仲間だ。それだけではなく、やさぐれていたユーリーを立ち直らせたうちの1人である彼が、なぜ。そして、スティーヴンは単独で引き受けた任務の途中で――
「おい、スティーヴン。こりゃ一体何のつもりだ? お前、俺の仲間じゃなかったのか? 」
「笑わせるな、ユーリー。仲間はな、金より安いんだぜ、人の命も。あのとき俺は外で支部長から急遽任務を受けた。成功すれば3万デナリオン。内容はお前を殺すこと!」
スティーヴンはユーリーがかつての仲間であるからといって見逃すようなことはしなかった。彼はイデアを展開し、口角をあげた。
青く濁った液体。それがスティーヴンの展開したイデアだった。ユーリーもよく知るその能力は、粘着――ガムと接着剤の特性を併せ持つものだった。
「いくぜ、ユーリー! お前はもうチームメイトじゃなくてターゲットなんだからなあ!」
スティーヴンがそう言って鞭を手に持った。
振るわれる鞭。彼の能力――イデアの展開範囲の狭さをカバーするために鞭を使うスティーヴンはユーリーの捕縛を狙った。一度とらえてしまえばそれで終わりだということ。
ユーリーはその鞭をよけた。
――能力も、その使い方も知っていて。対処法がわからない方がおかしい。
ユーリーは鞭をよけた後もスティーヴンの動向を見ていた。彼は次に何をしてくるのだろうか――
スティーヴンは鞭を左手に持ち替え、右手には何か別の武器を。ナイフか――違う。それは手裏剣だった。
ユーリーが戸惑ったその瞬間。スティーヴンの手から手裏剣が離れた。
器用さには定評があり、様々な種類の武器を扱えるスティーヴン。その応用範囲は幅広く、いつも使っている鞭にはじまって、拳銃、クロスボウ、チャクラム、そしてたった今使った手裏剣など。
彼の戦法はパワーで押すユーリーとは対照的に、機転とスピードと戦略で成り立つ奇襲戦法だ。
ユーリーは手裏剣を受け流す。これも、スティーヴンとの手合わせで身に着けた技。
だが――
「やっぱり俺とは相性が悪かったな! 俺はこっちだぜ! 」
一瞬にしてユーリーの目の前から消えていたスティーヴン。彼はイデアで強化した脚で跳び上がり、すぐ近くの建物に移る。そこで彼はレッグホルスターから2丁の拳銃を抜き、銃口をユーリーに向けた。
銃口から放たれた弾丸は青い粘液を纏っていた。
銃声に気づいたユーリーは振り向きざまに弾丸を回避しようとした。
回避は、間に合わない。
ユーリーの両足が地面にくっついたまま動くことができない。まるで、地面がユーリーを捕まえているかのように。彼の足には、青い粘液がまとわりついていた。
ユーリーはバランスを崩して跪く。
そんなユーリーの目の前に、スティーヴンは飛び降りる。
「おい、お前今どんな気分だよ? かつての仲間に裏切られて、こうやって銃口を向けられて! 仲間を大切にしていたお前なら、結構くるよな?」
銃口を向ける悪魔の化身。
かつてのチームメイトはユーリーをいともたやすく裏切り、彼の前で嗤っている。いや、裏切者はユーリーなのかもしれない。そんなユーリーは湧き上がる罪悪感を感じていながら、見て見ぬふりをした。
「スティーヴン……それを言っちまえばケイシーはどうなるんだよ。ジェラルドも。クヌートも」
「さあな。とりあえず、元チームメイトの俺から言わせてもらえばクヌートとジェラルドはマジで見ない方がいいぜ。仲間思いだったお前ならなおさらな。ま、その前に俺が――」
銃口を向けられたユーリーは密かにイデアの展開範囲を広げていた。彼を中心に、半径10メートルの範囲に広がる灰色の粉塵。それは、中心にいるユーリーによって引き起こされる災厄の前兆だった。
「スティーヴン……お前の殺意はよく伝わったぜ。これが何か、わかるよな?」
ユーリーは上目遣いでスティーヴンを見上げ、呟いた。
スティーヴンの脳裏によみがえる記憶。
あの日、ユーリーは灰色の粉塵――それが活性化した、紫色の粉塵でもう1人のチームメイトを誤って殺している。あれはまさに悪夢だった。
今。灰色の粉塵が紫色へと変われば、スティーヴンもほどなくして死ぬだろう。ユーリーは今、スティーヴンの命を握っているともいえる。
「殺人カビか。それで何ができる? 人の命の重みを知った人殺し! どうせジャレッドとかいうヤツに何か吹き込まれたんだろ!」
「黙れ! そして、俺の近くにいる人間は逃げろ! 5秒時間をくれてやる! 」
ユーリーは叫んだ。それと同時にパニックに陥る周囲。これこそがユーリーの狙いだった。少しでも一般人を巻き込まずに、目の前の敵を斃す。
「おら、スティーヴン。撃てるなら撃ってみろ。頭でも心臓でも構わねえ。俺がこいつを紫色に変えるその瞬間にな」
「いいだろう。後悔するなよ? 」
――1秒。
銃声。灰色から紫色に変わる粉塵。
銃弾は上体を反らせたユーリーの額を削り取り、紫の粉塵――殺人カビの胞子は瞬く間にスティーヴンを蝕んだ。
スティーヴンが死ぬのにはそれほど時間はかからなかった。
ユーリーは運がよかった、とばかりに額の傷口にイデアを展開。足元の青い粘液が消えたのを確認すると、彼はスティーヴンの亡骸を見た。
スティーヴンだった物体はカビに食いつくされ、見るも無惨な状態だ。彼に感染したカビも、ユーリーが10メートル以上離れたのなら消える。
ユーリーはカビを灰色に戻し、その場を立ち去った。
――この能力は難儀だ。殺すと決めてしまえば仲間だろうが一般人だろうが無差別に殺してしまう。殺しそのものへの抵抗は薄れたが、やはり能力そのものを好きになることはできない。だが、向き合わなければならない。この殺しだけに特化してしまった能力に。
彼の背を見て感じるものは。
彼の背にあるものは後悔だった。
ユーリーの後悔と押し込んだ葛藤に、初めて見た者でありながら気づいた者がいた。その者は――