5 密室はオレの世界
薄れ、消えゆく胞子。廃工場の部屋のなかに、いくつもの遺体が横たわる。どれもユーリーの殺人カビに侵されてぼろぼろになっていた。
そんな廃工場で、ユーリーはゆっくりと目を開ける。イザベラはすでにどこかへ消えており、この空間で生きている生命体はユーリーだけだった。
――またやってしまった。
ユーリーにのしかかる罪悪感。彼を殺そうとしていたとはいえ、ストリート・ギャングや浮浪者を一瞬にして皆殺しにしてしまったことはユーリーを絶望させた。
そして。彼はもう一つの可能性も考えざるを得なかった。それはクリフォードまで殺してしまった可能性。確認するまでクリフォードが死んだと決まったわけではないが、ユーリーの能力の性質上、生きている可能性は極めて低い。
現実はユーリーが『殺す者』であることを突き付ける。
「イザベラ……やっぱり俺は」
ユーリーの脳裏に浮かぶイザベラの顔。彼女だけではない。ジェラルドも、トロイも。かつて仲間だと思っていた彼らは、今やユーリーの呪縛でしかない。
廃工場に空いた穴から内部に風が吹き込んだ。
ユーリーは立ち上がり、崩落した場所へと向かった。崩落した場所は何かによってふさがれ、クリフォードの様子を見ることもできなかった。
クリフォードが生きていることを祈りながら、ユーリーは穴の外に出た。
さかのぼること10分。
崩落によってユーリーとクリフォードが分断されたとき、クリフォードは何者かの気配を感じ取っていた。
崩落する天井や柱をよけながら。クリフォードはその崩落が不自然であることに気づく。これも裏側で何者かが計算していたのではないかと。
すでに崩落した場所に身を移し、クリフォードは引き金を引いた。銃声が響くも、それが何者かに命中したということはない。
敵は見えない。
――今。誰かが動いた。
崩落がおさまった今。クリフォードは人の気配を探る。周囲の足音、動くものの気配。それらに気づくために感覚を研ぎ澄ます。
この空間に変化があった。
部屋の形がつくりかえられ、2つの部屋は分断される。クリフォードはそっと壁を離れてアサルトライフルを握りしめた。
――敵は、俺とユーリーを分断することを考えていたみたいだ。人工的に密室を作り出しているようにも見えた。敵の狙いは何だ?
姿を現さない相手のことを考えながら。クリフォードはあらゆる可能性を考えていた。
例えば、透明化する敵だとしたら。例えば、ここにクリフォードを閉じ込めて術中にはめる敵だとしたら。
膠着した状態はそう長く続かなかった。放置された機械が通常ではありえない動きを始めた。ベルトコンベアが無理矢理外されて、鞭のようにしなる。それがクリフォードのいる場所に向けて叩きつけられた。
――そう来たか!
瓦礫の上に叩きつけられたベルトコンベア。瓦礫が舞い上がり、ユーリーはそれを避ける。銃弾で粉砕することができない以上、この密室と設備を使った攻撃を防ぐ方法はないに等しい。クリフォードは一刻も早く敵を見つけ出したかった。
今度は青色の鉱石の破片が降り注ぐ。青色の鉱石はすでに何かを注ぎ込まれたのか、着弾と同時に炸裂する。
視界の端で捉えたその攻撃は、いともたやすく人の命を奪うようなものだった。
地面が抉られる。
かろうじて躱すことができたクリフォードはその攻撃がどこから来たのかを考える。場合によっては敵の場所を突き止めることができるのかもしれない、と。
――今の攻撃は斜め上か。敵は……
地面に炸裂した鉱石の破片が突き刺さる。一発も被弾することなく空中に躱すクリフォード。彼がその目の端でとらえたのは浮遊する鉈。錆びついてはいるものの、それ自体に脅威があることには間違いない。
鉈は誰かがそれを握っているかのように自在に振るわれた。4本の鉈がクリフォードの首をめがけて。
「クソッ……何が何なのかわからねえ!」
クリフォードは回避行動をとる。ユーリーと違って生身の体で戦わなければならないクリフォードは、このとき己の力の限界を悟っていた。
解毒剤という、攻撃には一切向かない能力。それをカバーするのは、鍛えぬいた己の身体と射撃の腕。だが、ここでそれが意味を成すのだろうか?
蠢く廃工場の中で。クリフォードはひたすら打開策を考えていた。
――赤髪の男はイデアを展開していない。アサルトライフル1丁だけを持って、あらゆる攻撃を回避している。
ぎりり、と少年は歯ぎしりをした。
完全な密室と化した廃工場の一室。その中で攻撃を続ける少年は、紫と緑で彩られたゴーグルをかけ直す。彼――ロドニーはゴーグル越しにクリフォードの動きを見ながら密室の鉄を操作していた。
だが、鉄がクリフォードをとらえることはない。クリフォードは先を読んでいたかのように攻撃を躱していた。
「畜生ッ! なんで当たらねえんだよ! 密室はオレの世界なのに!」
ロドニーは唯一崩落させなかった場所から、蠢く工場の設備を見ていた。翻弄されるクリフォードが反撃の様子を見せることはない。だが、彼はアサルトライフルを握りしめ、隙あらば発砲しようとしていた。
――見つかるのも時間の問題だ。もし、彼が気づいてしまったらアサルトライフルで弾丸を撃ち込まれるだろう。
攻撃のパターンが読まれてしまえばじり貧になることは必至。ロドニーは次なる攻撃に出た。
それは、廃工場に残されたワイヤーやチェーン。その空間のあらゆる場所から剥ぎ取られ、クリフォードに向かって伸びてゆく。
それと同時に――
「上だったか! 確かに、崩落が不自然ではあったよな!」
ワイヤーがクリフォードに向かうとき。クリフォードはロドニーに銃口を向けた。
「おいおい。俺を殺そうとするなら、俺に撃たれる覚悟もできてんだろうな?」
「……ちっ」
ロドニーは攻撃の手を止めた。正体がばれてしまえばロドニーに勝ち目などない。




