3 『殺す者』と呼ばれても
――もしクリフォードが生存できなかったら。もし己の力で再び仲間や無関係な一般人を殺すことがあったら。
ユーリーの中によみがえるのは、己の能力によって、師匠を殺したあの瞬間。同じ廃工場の最奥部で。師匠は無惨に蝕まれていった。
「畜生……俺は……」
ユーリーの体に、少しずつ力――筋力が戻り始める。彼は斧を手に取り、周囲を見回した。
纏わりついていた黒い影はもういない。近くにはぼろぼろに蝕まれたネズミやコウモリの死骸が転がっている。そしてうずくまるクリフォード。
ユーリーから半径7メートルの範囲内は、死の空間と化していた。いや、生きている者はまだいる。うずくまるクリフォードの背中は上下に動き、彼が呼吸していることを示していた。
「クリフォード……」
「大丈夫だ。俺とヘンリクの予想通り、お前の能力は解毒できるみたいだ」
「解毒……」
ユーリーは聞き返す。
――そういえば。最初に顔を合わせたとき、クリフォードは彼自身の能力を語っていた。彼の能力は解毒剤。弾丸の形状をしたもので、撃ち込めばその対象を解毒する。
「そう。つまり、俺はお前の隣に立てるってわけだ。タリスマンでの元の仲間とは違ってな」
クリフォードはにっと笑う。
「お、おう。さっさと中に入ろうぜ。この廃工場はストリート・ギャングが出入りしているみたいだが」
ユーリーは頬を赤らめながら言う。彼の視線は廃工場の建物の入り口を向いていた。
その廃工場の建物は、爆破されたにしては綺麗な穴が空いていた。これはかつてジェラルドが彼自身の能力で空けたもの。ユーリーにとっては下手に思い出したくもないものだった。
2人は周囲を警戒しながら建物の中に入っていった。
クリフォードの前に立つユーリーが確認した限りではここに何かがいるというわけではない。ユーリーが合図を出し、2人は先に進む。
廃工場の内部はかつて機械が作られていた設備が壊されながらも残っていた。地面に散らばるのは工場内で稼働していた機械の動力だった青色の鉱石。それはわずかに残ったエネルギーで発光していた。
クリフォードは青色の鉱石の欠片を拾う。
「それは?」
「何かに使えると思ってな。ま、ここで使うことにならなくても本拠では使えるはずだ」
ユーリーが尋ねると、クリフォードが答えた。
青色の鉱石を拾いながら2人は先へ進む。もちろん警戒も怠ってはいない。だが、先ほどの黒い影は一切現れない。
いつも犯罪者や浮浪者たちの居場所となっている廃工場。今では静まり返り、人の気配もない。それらが変貌した可能性のあるレヴェナントの気配もない。ユーリーはこの状況を不審に感じていた。
――人の出入りが多い廃工場が、なぜここまで静かなのだろう。おかしい。
ユーリーは灰色のイデアを展開した。すると――
廃工場の天井が軋む。ミシミシと音を立てて、天井の素材がはがれ始める。これは崩落の前兆か。
「走るぞ! 後ろから崩れている!」
危険を察知し、ユーリーは声を上げる。クリフォードの左手を掴み、2人は走り出す。
2人が走った後のところから崩れる天井。走らなければいずれ天井の下敷きになるだろう。2人は必死に走るが、レヴェナントが2人の視界に現れる。
「くそ、こんな時に出やがったか」
ユーリーはクリフォードの左手から手を放し、レヴェナントに詰め寄る。
そして振るわれる斧。
レヴェナントの首が胴から離れるのと同時に、天井の柱が地面に落ちる。ユーリーとクリフォードは分断された。
――またやってしまった。俺は。
転がるレヴェナントの残骸を見ながらユーリーはため息をつく。
罪悪感にさいなまれながら、ユーリーはレヴェナントがいないかどうか確認する。この部屋にレヴェナントはもういないようだったが、それとは別の何かがいる。ユーリーは斧を握る手に力を入れた。
そんなユーリーの前に現れる、黒いコウモリの影。その数は建物の外にいた影の数の比ではない。四方八方。あらゆる方向からそいつは現れる。当然、斧だけでどうにかできるものではない。加えて、完全な密室ではない空間。そこからユーリーのイデア――胞子が漏れることがあれば、クリフォードを再び巻き込むことになる。
ユーリーはただ、クリフォードが今度こそ解毒し損ねることを恐れていた。
斧を振るいながら。ユーリーは少しずつ全身の力が抜けていくのを感じていた。
全く重さを感じていなかった斧が少しずつ重くなる。動きが鈍ったところにコウモリたちがまとわりつく。するとユーリーの力はさらに弱まる。
ついにユーリーは斧を手放した。
――まだイデアは出せる。俺はクリフォードを信じていいのか?
両脚が筋力を失い、ユーリーは地面に崩れ落ちる。
その姿を見ていたのは黒と蛍光グリーンの衣装を纏う青年。予想通り、と言わんばかりに彼は笑っていた。
「いくら『殺す者』と呼ばれていても、力を奪ってしまえばこの通りか。無様だな、ユーリー・クライネフ」
青年は静かな声で言った。その声もユーリーには聞こえない。
今ここでユーリーを殺すか否か。青年はただそれだけを迷っていた。この安全圏にいるからこそ、ユーリーの仲間に手出しされることはない。一度分断したものの、地上におりてしまえば手出しされる可能性だってある。念のため、として青年はさらなるイデアを展開しようとした。だが、そのときだった。
何者かによって砕かれる壁。犯人はいともたやすく壁を粉砕し、その衝撃で青年は窓の枠から落ちる。
「さっそくストリート・ギャングがいるじゃない。それだけじゃないね。ユーリーまで!」
女の声。ユーリーは不安をあおる彼女の声に覚えがあった。
「イザベラ……何のためにここに……」
地面に横たわるユーリーは声を絞り出す。
彼の目に映るのは、白髪でマゼンタと蛍光ブルーの付け毛をつけて、サイバーゴス風の衣装を纏う美女。ぞっとするほど美しい彼女は、「くくく」と笑っていた。
「何って、秩序を乱すクソ野郎をぶっ殺す為だよ」