7 殺しを好む吸血鬼とは違うんでね
「つ……強い。身体能力もさることながら、戦闘のセンスも見えない能力も……」
ハアハアと息の上がった状態でマルセルは呟いた。
ジェシーにはまだ1度しか攻撃は当たっていない。再生が遅いはずの光の魔法による傷もすでに治癒していた。
マルセルの前にいる蛍光色の吸血鬼は。ジェシー・インソムニアは、これまでマルセルが相手にしたどんな吸血鬼よりも強い。
「降りるかい? 今降りれば、命だけは助けてやる。その凍傷も、指なんかは切断するしかない状態だしね」
マルセルに1度は敵意を向けられ、さらに化け物だと決めつけられたジェシーは言う。彼にはまだ良心があった。いや、彼は本心から人間を殺すことを望んでいない。
が、マルセルのプライド――吸血鬼殺しの魔物ハンターとしてのプライドがジェシーの本心を拒んでいた。吸血鬼が人間に慈悲を持つことなどない、吸血鬼を殺すことこそが己の存在意義だ、と。
――故に、彼はジェシーをその手で殺すまで勝負を降りることなどないのだろう。たとえその身体がぼろぼろにされたとしても。
「吸血鬼に情けをかけられる筋合いなど――」
「下がれ、マルセル!」
彼の後ろから。この距離で聞こえるはずもない声がする。その声の主は今、本拠にいるはずだ。なのに。
「下がれと言っている。こんなところで死ぬなど、俺が許さない」
「ゲオルドさん……」
マルセルが気づかぬうちに、ゲオルドは本拠から出ていた。彼を追うように、本拠の玄関からはユーリーとアディナも出てきている。
彼らはジェシーとの戦いで、圧倒的なセンスとマルセルには見えないイデアという能力で傷ついてゆくマルセルを見かねて加勢、いや、止めに入ろうとしていた。それを提案したのはゲオルドだった。
「いい采配をするんだね。助かったよ。シャーベット状の血を味わうことにならなくて」
ジェシーは言った。すでに彼の顔からは先ほどまでマルセルに向けていた殺意が抜けていた。
「そうやって褒めても何も出ないぞ。行動次第ではそこにいるユーリー・クライネフがお前の首を落とすだろう」
マルセルとジェシーの戦いに割って入ろうとしたゲオルドは言う。彼も彼で、ホルスターに収められた回転式拳銃に手をかけていた。ジェシーが変な動きをすればその時点で彼の心臓を貫けるようにと。
「今、何て言った?」
ジェシーは聞き返す。
「ユーリー・クライネフがお前の首を落とす。俺もお前の心臓を貫くこと自体はできるが」
ゲオルドは確かにユーリーの名を口にした。彼の前にいたジェシーはすぐさま展開していたイデアを解除した。もはやジェシーに戦う気などない。
「今の僕はここを襲撃しに来たわけじゃない。信じてくれなくてもいいから、ユーリーと話してもいいかな」
と、ジェシーは言った。
今のジェシーは丸腰だ。身体能力が人間離れしているとはいえ、彼の紳士的な態度から殺意を読み取ることはゲオルドにもできなかった。
「いいだろう。ただし、俺とアディナとマルセルの監視の下でという条件をつける」
「構わないよ。本来、僕はメッセンジャーに過ぎないし。殺しを好む吸血鬼とは違うんでね」
ジェシーは言った。
マルセルとアディナはジェシーを警戒する一方、ゲオルドはジェシーを信じているようだった。
「君がユーリーだね?」
「あんたこそ吸血鬼なんだろ。吸血鬼がメッセンジャーやるなんて何かしら事情でもあるんだろ。さっさと話せ」
ぶっきらぼうながらも、ユーリーはジェシーの話を聞こうとしていた。少なくとも、斧をジェシーに向けることはない。
「ルナティカ・キールから伝言を預かってきた。彼女、タリスマン刑務所にいたんだけど。やっぱりレヴァナントの危険性を理解しているみたいだね。安全だから刑務所の外には出ない、と。その代わりに伝えてくれといわれたのがコイツだよ」
「ルナが……」
ジェシーがユーリーに手渡したものは紙切れ。ユーリーはそれを受け取り、文章に目を通す。
――文字はルナティカのもので間違いない。書かれていることは、今のタリスマン支部で起きていることが書かれていた。確かに彼女の能力であれば、刑務所の中からでも探りを入れることはできるのだが。
そして。ユーリーは息をのんだ。手紙に書かれていた、驚愕の事実。
「そんな……これほどルナの情報収集が間違っていてほしかったと思ったことなんて、ねえよ」
震えるユーリーの手。彼が戸惑う理由を知る者は誰もいない。
「気分を害してしまったかい? それについては申し訳ないけど――」
「いや、あんたは悪くねえから黙れ。それと、申し訳ないと思うなら。俺とルナティカの間のメッセンジャーを続けてもらえるだろうか」
ユーリーは湧き上がる激情を抑え込みながら言う。もし、この吸血鬼が間に入ってルナティカとの連絡が取れるのならばそうしてしまいたい、と。
「彼女と、君の仲間が納得すればね」
ジェシーは答えた。
「ゲオルド。リーダーであるあなたはどう考えるんだ?」
「利用できる人は利用すればいい。それに、彼は十分信じられる特徴をしている。もし彼が裏切るようなことがあれば俺を殺せ」
と、ゲオルド。
――同盟は成立した。マルセルは不服そうな顔だが。ジェシーが信用に足るとも言い難いが。だが、人を見る目のあるゲオルドを信じる方がいいだろう。
「わかったよ」
ユーリーはそう言って、マルセルに近寄った。
「お前、簡単に吸血鬼の言うことを信じるのか」
「ああ? 俺としては吸血鬼より害悪なのはタリスマンにレヴァナントを放ったヤツだと思うがな。あと、その状態で戦えると思うな。今すぐヘンリクの治療を受けてこい」
ユーリーはマルセルから視線を逸らす。
――マルセルの左手はひどい凍傷だった。あれで戦おうなど、足を引っ張る行為でしかない。
マルセルは渋々と本拠に戻っていった。