1 俺は逃亡者
新連載です。よろしくお願いします。
青年が見ているのはトロイ・インコグニートという男。魔物ハンターという者たちを束ねる鮮血の夜明団のタリスマン支部の長にして、ルナティカ・キールの投獄に関わったと思われる男。
「話があるのなら武器を下ろしてくれればいいではありませんか」
眼鏡をかけた金髪の男――トロイは言った。
だが、青年は武器を下ろさない。
「てめぇ相手にそうする必要もねぇよ」
前髪を紫色に染めた身長190センチ弱ほどの青年――ユーリー・クライネフは言った。
彼の顔に滲み出るのは憎悪と憤怒。もはや彼は人間の姿をした化け物だ。その敵意を止められる者はここにはいない。
「何回交渉しても応じねえ。果ては賄賂だ?ふざけんな。ルナティカを……! 」
ユーリーはイデアを展開し、斧を構えた。
トロイが「行け」と指示を出すと同時に四方から襲いかかる生ける屍――何者かの手でアンデッドと化した人間。彼らが何なのか、ユーリーもよく知っている。刑務所から横流しされる、素行の悪い、または死刑が確定した囚人。
タリスマン支部のアンデッドのさらに詳しいことはユーリーも知らないが、見ていて気分のいいものではなかった。
アンデッドがユーリーのリーチ内に入る。
振るわれる戦斧。ユーリーは距離が近いものから順に、斧で首を落とした。
――吸血鬼だろうと、人間だろうと、はたまたそれ以外の人外のものであろうと。首を狙うのは、特殊な力を持たない者や、それを使えない理由がある者にとっては定石だ。7年前に裏切者の吸血鬼を殺した神守杏奈だって、首を落とすことでその吸血鬼に勝利した。
ユーリーの振り回す斧で落とされた首と、首を失った体が地面に転がり、血しぶきが散る。ユーリーは血を浴びないようにと飛びのいた。
――いくら返り血でもかかってしまえば俺も無事でいられる保証はない。タリスマン支部のアンデッドが何者かの能力によって生まれていることはわかる。問題はそれが感染するか、はたまたネクロマンシーのように感染しないのかどうか。ウイルスで広がるゾンビ映画のように感染するものであれば、非常に危険だ。
次は、左右から。ユーリーは勢いをつけて斧を振り回す。右、左。狙いすましたその一撃で、アンデッドの首が落ちる。
――まだだ。まだ、相手はいる。
いい具合に数を減らしただろうとユーリーが確信し、彼がトロイに狙いを定めたときだった。
「私が死ねば、君の大切なルナティカも死にますよ。方法は言いませんが、私は監獄とも関係がありましてね。何なら、ルナティカの代わりなら探せばいるはずだ」
トロイは今、ユーリーがせんとしていることを見抜いていた。
彼はにっこりと黒い笑みを浮かべながら言った。トロイの言っていることは間違いではない。トロイは、忠告を守らなければ容赦なく手を下すような人物だ。ユーリーがあがいたところで――
ユーリーは歯ぎしりをしてトロイから離れたと思えば、支部長室の壁を破壊して外に出た。
――逃げねば。自分一人では何もできないうえ、支部長にまで手をかけようとした。
ユーリーは必死の思いで中庭に逃げ込んだ。
彼を追ってアンデッドたちが穴に殺到する。ユーリーはそれをチャンスだと判断して――
中庭。ユーリーは壁に空いた穴を警戒しながら敷地外に出ようとしていた。先ほどはアンデッドたちが穴に殺到したおかげで引き離すことができたが、穴から出られてしまえば有利だとはいえなくなる。それ以上に、トロイが何人のアンデッドを引き連れていたのかも定かではなかった。
そんなとき、ユーリーは追っ手の気配を察知した。支部長室から来たのではなく、べつの場所から。
――いくら何でも早すぎるのではないか。まだそれほど時間が経ったというわけではないが。トロイが何らかの手段で連絡をしていればその可能性が否定できるものではなくなるが。
ユーリーの警戒とは裏腹に、彼の前に現れたのは敵意ある人物ではなかった。
その人物はユーリーもよく知る人物。とても彼に敵意を持つとは思えない人物で――
「ケイシー……お前」
「立場が危うくなるのは承知だ。俺も支部長のしたことは知っているから今の状況を放置するつもりはない。後で証拠を送るから、今は逃げろ」
ケイシー・ノートン――ユーリーと同じチームで任務をこなす、タリスマン支部のエース級の魔物ハンターは言った。
話と事情のわかる彼は、もとからユーリーに何かあれば逃がすつもりだったらしい。彼は今この場で何かを語るつもりなどないようだが。
「俺なんかが生きていていいのか?味方殺しの俺が。俺、この能力で師匠まで殺しているんだぞ」
と、ユーリーは言う。
「味方殺しでもいざというときに一番生き残れるのはお前だろ。だから、さっさと逃げろ。裏門には誰もいないはずだ!」
ケイシーはチャクラムを取り出しながら言う。
彼の言うことも確かに理にかなっていた。というのも、ユーリーの能力は殺人カビの胞子を操ること。ひとたび胞子を休眠状態から解き放てば敵味方関係なく殺すことができるのだ。もっとも、それがユーリーを味方殺したらしめた元凶であるが。
「いいのか、ケイシー。俺は支部長を」
「いいから行けっつってんだろ! 本部に送るから心配するな! そこからシオン会長を通せばなんとかなるはずだ!」
声を荒らげるケイシー。
ユーリーは彼に応えることもなく、中庭を走り去る。彼の中に複雑な思いが渦巻くが、今どうにかできるものではなかった。
――俺は反逆者で逃亡者。親友さえ見捨てたクズだ。それでも支部長ほど腐った人間ではないと信じたい。
ユーリーの視界に入ったのはヒイラギの生垣。傷つくことは必至であったが、ユーリーは気にする余裕もない。ユーリーは生垣に突っ込んだ。
顔に小さな切り傷を負いながら。ユーリーはただ、タリスマンから出ている貨物列車のターミナルに向かった。
荒廃した町、タリスマン。『レムリアで3番目に危険な町』との異名を持つ。今、こうして町の中心部にある本部から抜け出したユーリーが見る風景は、決して栄えた町のそれではなかった。
――かつて産業で栄えたタリスマンも、その衰退とともに荒廃していった。犯罪は放置され、スラム街が形成される。裕福な者は町を出て、残されたのは貧しい者や差別される者。鮮血の夜明団の支部が移転してきても、わずかな産業が復活するにとどまり、かつての活気を取り戻すことなどなかった。
この町に未来などあるのだろうか。
ユーリーは通りを駆け抜けながら考え事をしていた。通りに面した家屋が燃えるのを見て、いつものことだ、と目をそらして。家屋で麻薬が取引されるよりは火災で家屋が焼け落ちる方がまだいいだろうと考えて。
今日に限っては、さらにユーリーの目を引くものがあった。
――あれは何だ。人が人ではないような……。何かに操られている?それとも、もともと人間ではない?
ユーリーが見たものは、町を徘徊する浮浪者。浮浪者の肌は薄汚れ、ところどころ肉が見えていた。あれで痛みを感じないようにも見えるが。まさかアンデッドがここまで――?
ユーリーは浮浪者から目をそらし、走り出す。向かうべきは、タリスマン郊外の駅。そこから、タリスマン以外の場所に向かえばいい。
逃亡者・ユーリー・クライネフは貨物列車のコンテナに忍び込み、そこで1日ほどの時間を過ごすこととなる。ターミナル近くの売店で買った飲料水と携帯食料を口にしながらユーリーは呟いた。
「俺も見つかったら殺されるか。せめて、ケイシーがどうにかしてくれれば、な。短い人生だったぜ」
ユーリーはそう呟き、揺れる列車の中で眠りについた。
貨物列車は約1日半という時間をかけてタリスマンから付近――それでも時間のかかる場所に向かう。その目的地は平野部に位置するタリスマンの町とは打って変わって、盆地に作られた町。そこには古いながらも建物が立ち並び、活気もある町だった。
逃亡者はその町で何を想うか――