7 時計の針は絶対に戻らねえ
街灯を持ったアリス。彼女の攻撃を予想するエレナ。この状態で投げ斧を使うのはありえない。だとすれば――
アリスは少しエレナに近づいたところで街灯を振るう。――違う。これはフェイント。フルスイングではないが、本命の攻撃がエレナに迫る。よけようとしても、受け流すにもタイミングが合わない。となると。
――くそ、あまりこれはやりたくなかったが。
街灯での攻撃が命中するとき。エレナはその攻撃を左手で受け止めることにした。
その一撃は重かった。吸血鬼の怪力に加え、イデアによる強化もあるのだからそれも頷ける。エレナはできるだけそのダメージを抑えようとした。
「受け止めたところでどうだ? カウンターでも狙う気かね?」
アリスは言う。彼女はさらに力を強め――エレナを吹っ飛ばす。その最中、エレナが覚えた左腕の違和感。
――肘から下が動かねえ。矢も放てねえ。受け止めるのは無茶だったか?
エレナはアリスの攻撃を受け止めたことで自身の攻撃手段をほとんど失った。だが、もしよけきれずに攻撃を受けていたら。おそらく、エレナは死んでいたのかもしれない。
「ブリトニー。私がアリスを食い止める。あんたは攻撃に集中するんだよ。ほら、わかったらやれ」
エレナは言った。
「わかったよ。何があったか知らねえが――エレナ!?」
「アリス! さっき、私のカウンターくらった時は相当なダメージだったらしいな! もう一度味わわせてやるぜ」
エレナはアリスに向かって突っ込もうとしている。光の魔法を纏い、イデアを用いて巻き込もうと。それに気づいたアリス。彼女は街灯を持ったまま跳び上がり、攻撃を躱そうとする。どうせ地上で避けたところでエレナは迫ってくるのだろうと考えて。そして。
「私にはこの能力もあるのだよ。お前が弱体化した今、どうするつもりだ?」
「それはお前の状況を考えてから言えよ。2対1だ。時計の針は絶対に戻らねえし止まらねえ――」
とエレナ。彼女がそう言った瞬間――アリスの能力が発動する。
「ほう? だが、遅くすることはできるがね? ついでにお前たちの認識もでき無くしておいた。つまり私の――」
勝ち誇ったアリスに迫ったのはブリトニーが放った光だった。その光はまばゆく、周囲は虹色に輝く。誰が見ているのかもわからないが、他の場所からでもサーチライトのように見えるのだ。
光の速度を前にすれば、アリスの能力など無力だった。いくら時の流れを遅くしても、アリスの行動が光の速さを超えることはない。それが弱点だった。
認識できないブリトニーによる光の攻撃。アリスは避けることもできず――全身が光に包まれた。
「なぜだ……私は……強くなったつもりだ! この私を……消すのかっ……!」
叫ぶアリス。だが、断末魔を聞いた者は誰もいない。引き延ばされた、孤独な時間の中、アリスは灰となる。彼女の着ていた服と灰だけがそこにあった。
認識不可能な時間の中で殺されたアリス、という結果だけが残る――
そして――
「この状況で……アリス?」
エレナが気づいたときにアリスの姿はなかった。ただ、空には光の残骸――虹色に輝いた攻撃の余波だけが残る。ブリトニーがやった、ということはエレナにも理解できた。
「おい、ブリトニー。何か知らねえの?」
「さあ。でも、あたしが光を撃った瞬間に意識が途切れたみたいなんだけど、気が付いたらあのザマ。あたしも何があったかわからないんだけど。とりあえずアリスは斃せたってことでいいわけ?」
ブリトニーは言った。
後味が悪すぎる。斃した敵――そもそも斃せたのかあやふやで、その結果と思われるものだけが残った状態で。エレナはアリスの残骸に近寄ると灰に触れた。それはきめ細やかで、どんな灰や砂よりもサラサラとしていた。
「吸血鬼の残骸だ。アリスの残骸で間違いないらしいな。それにしても……あのアリスが、あっけない」
と、エレナは呟いてため息をつく。服についた灰が舞い上がった。
「だな。それでもマルセルの仇は取れた。今はそれだけで十分だし、メルヴィンとユーリー達を待っていればいい。ユーリーも上手くやれていればいいけど……」
そう言いかけてブリトニーは言葉を止める。そして思い出す刑務所での出来事。直接その光景を見たわけではないが、トロイは確かにゲオルドを殺した。その時に見ていた2人にも理解できないような能力で。
トロイはブリトニーが考える以上に強いのかもしれない。
「あいつらで不安か?」
エレナは言った。
「不安に決まってる。だってさあ、トロイは誰にも理解できねえ力を使うんだよ。正体を最初から明かしてりゃ、能力の詳細までわかるっていうのに。あいつさあ、ユーリーが言うには二重でだましていたんだよ。わけわからねえ」
「一筋縄でも二筋縄でもいかねえな。私も加勢してやりたいが、いかんせんこの腕。残念ながら私はここでリタイアかねえ」
そう言いながらエレナは左腕を見た。肘から下は動かない。本来、神経につながっているはずのものが切れてしまったのだ。光の魔法は通せても、生活する、あるいは戦うための動作ができない。これでは足を引っ張ることは必至。
「だからあたしに任せたのか」
と、ブリトニー。やっとエレナの意図を理解した。
「そういうこと。私はヘンリクのところに戻るから、あんたは護衛な。両手を使うことができねえんだ」