2 不幸なすれ違い
異界からやって来たアディナを助けたのは執行部と呼ばれる組織の面々だった。世界線を移動し、困難に遭って疲弊した彼女を見つけた白い髪の女。まだ、アディナは彼女の言葉がわからなかったが、助けようとしていることだけはわかった。
「私たちなりの正義で、あんたに危害を加えたやつらに罰を与えてやろうよぉ」
イザベラはこの世界の言葉を理解できるようになったアディナをそそのかす。彼女もまた狂っているところがあったのだろう。だが、アディナは狂った彼女の誘いに乗った。
「いいね。私も、法や倫理で言えば悪といわれることをされたのだから。どうして彼らが裁かれないのか、私も不安だったの」
と、アディナは言うのだった。
2人が本来所属していた執行部。表向きには存在を知られておらず、鮮血の夜明団やその近くの間違いを秘密裏に正す。イザベラとアディナもその考えに染まり、幾多の人物を殺めていった。たとえそれが誤解だったとしても――
彼女たちは誤解に気づかない。彼女たちの正義は暴走し、取り返しのつかないほどの『悪』になり果ててしまったのだ。
アディナから見ればメルヴィンは悪の方向に進んだ裏切者だった。執行部から見ても、その考えに染まってしまったアディナから見ても。だから、彼女は殺すことを選んだ。ここで土の槍をメルヴィンに放って。
「あなたが、悪の方向に進んだから――理由なんてそれだけで十分でしょう? ねえ、ストリート・ギャング。あなたのしたことは到底許されることではないの」
言葉を投げかけられたメルヴィンは一瞬だけであったが、アディナと目が合った。彼女の目はかつての彼女のそれとは変わっていた。もう、かつてのアディナ――アドリエンヌ・フランクールはいない。メルヴィンに現実がつきつけられた。
土の槍は四方八方から襲い来る。もう、避けることはできないだろう。
メルヴィンは能力を自分自身に作用させた。物体を水に。メルヴィン自身の体を水の塊に。そうすれば、一時的に攻撃をしのぐことはできる。
水の塊と化したメルヴィンを素通りする土の槍。これで致命傷を与えられることは当然なく。アディナは舌打ちをして、メルヴィンの下から槍が現れるように地面を操作した。
「刺さるまでやり続けるだけよ、メルヴィン。あなたを殺すしかないから」
アディナは攻撃の手を緩めない。対するメルヴィンは――イデアを展開あるいは使用していられる限界を考えざるを得なかった。
――今の調子で使い続ければ残り5分。やれるのか? ただでさえ、傷口をごまかしているのに。
追い詰められつつあるメルヴィン。そんな彼だったが、アディナの攻撃の隙を見つけた。
抉れた範囲。アディナの攻撃が届きにくいのは抉れた場所――すでに攻撃に使われた地面の跡だった。メルヴィンはアディナの攻撃が来る瞬間、抉られた地面に身をひそめて能力の一部を解除した。
能力を解除した瞬間に襲う、軽い疲労。だが、メルヴィンはまだやれる。歯を食いしばり、イデアを展開して土の槍に触れた。だが――
「その程度で私をどうにかできると思ったの……?」
上だった。
能力の解除で隙ができていたメルヴィン。彼が能力を解除したときに、アディナは視界から消えていた。どこにいたのか、と考えながらも抉れた地面で安心してしまったメルヴィン。そんな彼の前に巨大な影が迫る――
「潰れなさい。あなたはただ、正義の礎となればいい」
アディナが片手で抱える巨石。彼女がいるのは、先端を切り落とされた土の槍の上。メルヴィンの頭上から投げつけられる巨石。
メルヴィンは再びイデアを展開しなおし、自分自身の体を水に変えた。
――そこまで粘れるか……?
巨石に押しつぶされ、水のように飛び散りながら、メルヴィンは考えた。痛みはなくても疲労は確実に溜まってゆく。どうにか突破しなくては。あるいは――
ふと、メルヴィンはシャルムから手渡されたものを思い出す。それは、手を組んでいる者たちのうち、メルヴィン以外は知らないもの。イデア覚醒薬。
「……取りこぼしたか。相変わらずやりにくいのね。彼も万全ではないようだけど」
巨石とその周りの蠢く水を見ながらつぶやくアディナ。先端の欠けた土の槍から飛び降りると、その巨石を再び持ち上げる。彼女が考えた通り、メルヴィンの姿はない。かわりに水がみるみるうちに一か所の集まり――メルヴィンはアディナから距離を取る。どうにかして、死角へ。
――命が無事である保証はない。だが、このままだとアディナは止められない。
メルヴィンはズボンのポケットから注射器を出し、左腕に刺した。
――妙な感覚だ。目が回る、頭も痛い。それでも、力そのものはみなぎる感覚がある。これは覚醒か。さすが、覚醒薬ってだけある……
これがOD。不調と力を同時に感じながらメルヴィンは立ち上がる。荒い呼吸、そして制御不能になるほどの力。
「アディナ……来い。思想が違えば殺し合うのは当然のことだからな……俺達の関係は、どちらかが死ぬことで終わる。せめて裏切った理由くらいは」
と、メルヴィン。
「裏切ってなどいない。私はもともとあんたと仲間になったつもりもなかったし……信じられなかったのも私。私とメルヴィンにとって不幸なすれ違いだったのよ」
その声とともに放たれた巨石。瞬く間にメルヴィンの目の前にまで迫ってくる。メルヴィンはイデアを展開したままその巨石に触れた。巨石は次第に水へと変えられた。それでもメルヴィンは完全に防ぎきることはできず、吹っ飛ばされる。
そんな中でアディナはとどめを刺そうと、砲弾のような塊を地面からいくつも生成する。対するメルヴィンは。
「アディナ……ごめんな」
それだけをつぶやき、水の塊をコントロールしながらアディナに向けて放った。それは水の大砲などではない。もっと細かく操作できるもの。アディナの体内に入り込み――彼女を陸上で溺死させる代物。
――多分俺は、向こうでも同じことをした。結局これが運命というやつか。
水浸しになったクレーターの中で女性が倒れている。彼女はメルヴィンに殺された。
メルヴィンは彼女の様子を直視することができなかった。かつて――6年以上も前に仲間だと思い、勝手に会いたいと考えていた女性は殺される運命だったのだ。
メルヴィンは踵を返し、その場を去るのだった。