6 はるかに遅い世界
アリスの目的はエレナ達を殺すことではない。あくまでもその力を測るため。マルセルにアリスの個人的な恨みがあったにしても、彼女はまだ本気を出していなかった。
「かかっておいで。だが、私はこの通り強い」
と、アリスは言った。
「上等だ! あんたもこのタリスマンを腐敗させた1人なんだからな!」
エレナはそう言うと銀の義手に光を込めた。光の魔法はイデアと違って基本的に持続時間は無限。エレナはそうやってアリスをけん制しようと考えていた。
彼女を相手取るアリス。向かってきたエレナを相手に投げ斧を手にし、エレナの拳を突き上げた。響く金属音。この一撃でバランスを崩したエレナ。アリスはさらにエレナの横腹に蹴りを入れた。
――やっぱり一筋縄じゃいかねえな。
フェンスに激突するエレナ。そんなときでもアリスはエレナに迫る。能力は使っていないようだが――
「私の片腕でも欠損させればお前の勝ちだよ」
アリスは不敵な口調でそう言った。
「はっ、またゲームマスター気どりかよ。いいぜ、片腕と言わず全身灰にしてやる」
エレナもそれに応じるようにして義手をアリスに向ける。義手の甲からは矢のようなものが出ており、それが放たれる。アリスは寸前に気づき、矢を避ける。エレナは舌打ちしたが今の一撃で隙ができた。
エレナは立ち上がり、右手に隠し持っていたチャクラムを放った。
――不意打ちだろうが勝てばいい。吸血鬼相手にして手段を選んでいる暇なんてねえんだよ。
切り裂かれるアリスの服。どうやらアリスの体を抉ることはなかったらしい。エレナは再びアリスに近づき、左の拳を叩き込もうとした。
「……いいね。これでこそエレナ・デ・ルカ。だがね、能力が見えていないディスアドバンテージは思いのほか大きいらしい」
そう、エレナには見えていなかった。アリスの体の周りに展開されたイデア。時計のビジョンが浮かび上がり、能力の発動を待っていた。
エレナが拳を叩き込むタイミングを見て、アリスはその能力を使った。
「時の流れは遅くなる。ダンピールの加齢が遅いように。ゆっくり、ゆっくりとね。お前が理解できるのは自分の認識よりはるかに遅い世界だよ」
時の流れが遅くなる。引き延ばされた時の中で、アリスはエレナの攻撃を回避した。
対するエレナもその動きそのものは見えていた。が、体はゆっくりとしか動けない。どれだけ早く動かそうとも、体が認識に追いつかない。
――アリスだけが素早くなってんのか? それとも、私が遅くされてんのか? わからねえな……私に不利な状況であるって以外は。
回避したアリスはエレナ以外の攻撃にも気づいていた。迫りくる光の攻撃。赤色の光が下から、アリスに向かって放たれていた。アリスはあと少しのところで身を隠しその攻撃をしのぐ。さすがに光速ともなれば、相応の速さは残している。
これでアリスは引き延ばされた時の中での攻撃をすべてしのいだ。アリスはエレナの左側に立ち――
「これも仕方ないことだろうねえ。光の魔法使いは戦う相手との兼ね合いでイデアに覚醒していない。それはあの差別主義者も同じということだろう。もしお前がイデアに覚醒していたのなら、また違った展開になっていただろうに」
アリスはエレナの耳元で囁いた。すると、エレナの表情がゆっくりと変わる。
――どうすることもできない。素性がわかっていながら対策も立てられない。このまま戦えってわけか……?
この状況、エレナは追い詰められているに等しかった。アリスはあまりにも強すぎる。致命傷を与えようにも、時間を操作されて回避される。
引き延ばされた時が元に戻る。その瞬間にアリスはエレナに蹴りを入れ、エレナは階段の下まで吹っ飛ばされる。そのとき、エレナが見たのはマルセルの手に握られたクロスボウ。マルセルの手はまだ暖かく、それでいて脈はない。
エレナはクロスボウを手に取り、床に叩きつけられたであろうボルトを拾って装填した。
「悪いね、マルセル。私の方で矢が尽きちまったみたいだ」
そう言ったエレナはクロスボウを階段の上にいるエレナに向けた。
「ほう、そこから狙い撃つのかい。相当厳しいんじゃないか?」
「そりゃ、喰らってから考えてみるこった」
その声とともに、エレナはクロスボウを撃った。彼女の周りで空気が激しく動く。放たれたボルトはその風に乗り、アリスの方へ一直線に飛んで行く。
「ちっ……」
避けるアリス。だが、ボルトがアリスの髪を掠め、ほんの少しだけの髪の毛を灰にした。それだけでアリスにダメージを与えたというわけでもないのだが。アリスはそのままエレナに近づこうと階段を降りる。手には何もない。
そのとき、銃声とアリスを襲う弾丸。クリフォードがやった。全身から血が出たまま、アリスはエレナへの攻撃を仕掛ける気でいた。人間にとっては致命傷であっても吸血鬼であるアリスにとってはなんでもない攻撃だった。
次第に再生してゆくアリス。エレナはアリスの攻撃を受け流すべく、あえてアリスに近づいた。
「あの能力、使ってみろよ。法則とかルールは知らねえが、何かあるのは私だってわかる」
義手でアリスを投げ飛ばしたエレナ。その瞬間、彼女はアリスを挑発していた。
「いいだろう。が、私のタイミングで、だ。使うタイミングを指定されたくはないのでね……」
と、アリス。これまでとは反対に自分が投げ飛ばされた状態でも余裕を崩すことはない。これが処刑人アリスの余裕。強者たらしめるもの。
エレナは隙を見て階段を駆け上がり、屋上に出る。じきにアリスがやって来るのだろうが、エレナは下を見るのだった。
「ブリトニー……」