9 レクイエム
トロイはレヴァナントと化した。狂った形相の彼は正気など有していない。精神と魂の残しを残したままレヴァナントとなった彼はまず、イアンを狙った。
「どうすんだ、所長!」
叫ぶブリトニー。
「援護を頼む! もしくは、私が死んだとき……」
「縁起でもねえことを言うな!」
と、ブリトニー。
手っ取り早く片付けるにはやはりトロイを討つしかない。イアンに任せることもできないと判断したブリトニーは発熱する電磁波を放った。これで燃えればいい。そう考えていた。
トロイは電磁波が見えていたかのように避ける。ブリトニーを狙っていることもなく、トロイが狙うのはイアンただ一人。そのまま道連れにしてしまおうという算段だった。
「グケイ……コロシテヤル……シナバモロトモダ……」
イアンは変わり果てた平行世界の弟を前にして覚悟を決めた。
「離れろ、ブリトニー。これから私は弟と心中する。私が押さえ込んでいる間に……」
「ふざけんなよ! ここから生きて脱出するぜ」
ブリトニーは懲りずに電磁波を放つ。これも避けられた。正気を失ったように見えるトロイだったが、ブリトニーの攻撃そのものは見えていたらしい。ある程度の距離を取れたイアンはこれをチャンスと見て鎖を放った。これで捕らえられる保証はないが、こうするしかない。
トロイはその攻撃を見切り、正気を失った状態でイデアを展開しなおした。
「あ――だめだ――」
ブリトニーは声を漏らす。それと同時に棺が開き、中から液体が流れ出る。トロイはあえて鎖を掴みイアンを引き寄せる。そのイアンは何かを悟ったようにポケットから小型爆弾を取り出した。
レヴァナントを生み出す液体。棺から解き放たれた液体がイアンにかかる。それと同時に――爆発。ブリトニーは物陰に姿を隠し、爆発が収まるまで様子を見ていた。
イアンの生存は絶望的だ。体の形を保っていたとしても、レヴァナントになっていることは確実だろう。ブリトニーの目からは無意識のうちに涙がこぼれていた。それほど思い入れのある人だとは思っていたはずではなかったのに。
「……所長」
ブリトニーは呟いた。
爆発の煙が晴れる。教会の会堂には肉がむき出しになったイアンとトロイがいる。まだ、彼らは動いている。生きているわけではないにしても。
ブリトニーは立ち上がり、イデアを展開しなおした。
――涙であいつらが滲んで見える。本当は泣くような相手でもねえのに。くそ、結局あたしがまとめて殺すことになるのかよ。
涙。諦めたような笑み。ブリトニーは湧き上がる感情を抑えつけることをあきらめた。
「あたしを許してくれなくたっていいぜ。だがな、これはあたしなりのレクイエムだ、所長」
ブリトニーが放つ電磁波。熱を生み出す見えない電磁波だったが、その外側は虹色に輝いていた。それはブリトニーなりのレクイエムなどではない。ブリトニーが感情を抑えられなかった結果に過ぎない。
電磁波は熱を生じ、2人を焼き尽くす。人体が燃えるとき特有の脂っぽさがブリトニーの肌を濡らす。
――終わった。所長の命も、所長とトロイの因縁も。だからといって、それで最後じゃねえのはわかる。……でも、あたしだって少しは休みたい。
フウ、とブリトニーはため息をついた。とてつもない脱力感が彼女を襲ったが、それと同時に彼女に迫る何者かの気配。威圧感と異質な何か。
ブリトニーは振り返る。
「やあ。君は……解散したサリエルのベーシストかな?」
ブリトニーは彼――ケイシー・ノートンを知らない。勿論、彼の目的も。
「ほお、あたしのバンドのこと知ってんのね。いや、そんなことより用があるなら先に言ってくれる?」
「用か。ひとまず、ありがとう。トロイを掃除する手間が省けたからね。で、もう一つか。俺、君がこれ以上戦っているところを見たくないんだよ。君はただベースでも弾いていればいいから。これでも俺、君のバンドのファンだったのに」
ケイシーは言った。
「は? いや、あたしは確かにやることはやったけど取り返しのつかないことになってるぜ? 一応原因はどうにかしたけどさぁ」
「原因か。アンデッドであふれかえった原因はどうにかなったね。でもそれでは足りないんだよ、生かしておいてあげるからここは俺に任せてよ」
この上なく胡散臭い。ブリトニーは初対面のケイシーに対してそのような感情を抱いた。ブリトニー1人でどうにかできるわけでなくとも、ケイシーに任せてはならない。
「ま、好きにやれば? あたしだって、報告とかで忙しいんだ」
と、ブリトニー。
「つれないねえ。とりあえず君が生きて、またベースとか弾いていられるようにはしてあげるよ」
ケイシーはそれだけを言い残して去ってゆく。彼はおそらくトロイを殺しに来た。その前にブリトニーがトロイを殺してしまったことでその目的はなくなり、ケイシーはその場を去ることになる。
ブリトニーももはや用はない、と踵を返す。
――報告だ。これが終わればユーリーたちに合流するか。
ブリトニーは立ち止まり、携帯端末を出す。電話をかける相手はタリア。コール音の後、タリアが電話に出る。
「……報告があります」
ブリトニーはためらいながら、歯を食いしばりながら言った。
「死体研究所の所長、イアン・クレヴィックはタリスマンの町で戦い抜き……」
『わかりました……亡くなられたのですね』
電話の向こう側でタリアは言った。
「そうだよ……私がもう少し戦えていたら所長は……」
『何も言わないでください。そうやって後悔してどうにかなることでもありませんから』
ブリトニーの耳に響くタリアの声。そんなものはブリトニーの気持ちを軽くすることさえもできない。