10 監獄の主
「あ……君は……」
ブリトニーを見かけ、1人の男――ヘンリクが声をかけた。
「なんだ?2人そろって廃棄所にいたみたいだけど? 」
ブリトニーは2人を見て笑う。彼女は2人の行動をほんの少しではあるが目撃していた。廃棄所の様子を見て回り、付近の洋館や廃棄所から死体が消えていることを記録している様子も。
あのとき、2人は何かを探っているようだった。
「なあ、聞いていいか?あんたら、死体研究所から死体を持ち去ったヤツと関係ある?本人には見えないけど」
「死体研究所?いや、僕も零も立ち入っていないんだが」
ヘンリクは答えた。
「……なんだ。人違いか。それでも、廃棄所に出入りするマトモな人間ってだけで何か事情があると思うんだが。あんた的にはどうなんだ? 」
ブリトニーは尋ねる。
彼女の発言は何とも挑発的で、ヘンリクを試しているようにも見えた。2人の素性がわからない今、ブリトニーは2人に名乗らせたかった。何をしていたか聞きだしたかった。邪魔する者であれば、早々に粛清してしまうために。
「事情ならある。だが君に話すわけにはいかないね。一応、これでも機密事項なんだ。この町に来るゲオ……鮮血の夜明団のメンバーのために調査をしていたが」
「ゲオ何?そいつの名前によっては聞かないと困る。私が探している人物と名前が似ていて」
そう尋ね、ブリトニーはイデアを展開した。もはや彼女はヘンリクと零を脅していると言っても過言ではない。
これは質問ではない。脅迫だ。
「あたしは死体持ち去りの犯人を捜していたらゾンビに出くわし、任務の変更を言い渡された。それで、ゲオルド・ムーアと合流しろと」
「……ゲオルドのことか。俺についてきてくれ」
零は言った。
「俺は織部零」
「ヘンリク・フォン・ホーエンハイム。錬金術師だ」
2人は交互に名乗る。ブリトニーが事情を話すと2人の態度はがらりと変わった。
「あたしはブリトニー・ダーリング。廃棄所に出たゾンビを殺せるくらいの力はある」
と、ブリトニーも名乗る。
「そうか。心強いな。が、1つ言っておくと、ヤツらの呼称はレヴェナントだと決められたらしい」
と、零は言った。するとブリトニーは渋々うなづいた。彼女は見た目に似合わず、話の分かる人物なのだ。
ブリトニー、零、ヘンリクの3人は歩いてタリスマンの町の郊外まで向かった。
歩いて行くのでは時間がかかってしまうのだが、彼らには事情があったのだ。
トロイ・インコグニートがいたのはタリスマンの町の一角――ネビロス地区。彼の前にいるのは浮浪者。
「生きている価値も意味も見いだせないのなら。死んでその意味を与えられる方が幸せではないのかな? 」
トロイは浮浪者に語り掛ける。
浮浪者は腐臭を放つ液体をその身に浴び、目を見開いていた。――その浮浪者はすでに人ではなかった。
彼の前に立つトロイ。その後ろにあったのは2つの棺桶。その内部からは黒い霧があふれ出し、棺桶の下は塗れていた。
「はい、幸せです。幸せです、幸せです、幸せです、しあわせです、しあわせです、シアワセです、シアワセです、シアワセデス……」
浮浪者の滑舌が少しずつ悪くなってゆく。思考だって、トロイの手で抑制された。高度な知能を必要とする場では、抑制することもできないが。トロイは知能など必要ないと判断した。
「そうだろう。君の仕事は、私の腐敗液を感染させること。頼んだよ」
トロイは浮浪者に向かって微笑みかけた。
――彼の本性はそのようなものではない。だが、彼とかかわった者はほとんどが誤認する。トロイ・インコグニートは人当たりの良い人格者だと。それゆえ、彼を信頼する者は多い。一部を除いたタリスマン支部のメンバーのほとんどが彼を信頼しているというほどに。
そして。彼は疑う者を秘密裏に粛清していた――
――檻の中。石に囲まれた刑務所の中、女は書き物をしていた。肩より少し長い金色の髪を三つ編みにした女。彼女の名前はルナティカ・キール。かつてタリスマン支部にて参謀を務めていた。
ルナティカはペンを小さな机に置いて、ため息をついた。
「……どうしてこうなったんだろう? 」
ルナティカの顔に滲み出る後悔。
もともと、ルナティカは数人のメンバーの力を借りて支部長トロイの素性を暴こうとした。不正の噂が立っていた彼だったが、それの確固たる証拠が一切なく、その素性にたどり着くことはできなかった。ある者は失踪し、ある者は思考そのものを改変され、そしてある者はルナティカのように賄賂によって投獄された。
この状況はまさに、見せしめのような状況だった。
監獄の中で。物思いにふけるルナティカは悍しくも幻想的な者を目撃した。
それは、蛍光ブルーの髪を垂らした男だった。筋肉がついていながらも、その腹筋や太腿を露出した、奇妙な衣装を身に纏う彼。彼は歩いている途中でふとルナティカの檻を見た。
「え……」
彼の顔は筋肉とは裏腹に、中性的で化粧も施されていた。妖しい魅力を持つ彼を見たルナティカは、一瞬だが固まった。
「そんなに僕が気になるのかな? 」
彼は言った。
「気にならないわけがない。あんたは、明らかに看守とは思えない外見だ。見回りの時間でもないみたいだし」
「うれしいよ、僕を気にしてくれる人がいて。僕はジェシー・インソムニア。またの名を、監獄の主」
監獄の主、ジェシー・インソムニアはそう名乗って檻に顔を近づけた。
「僕はね、この檻をぶっ壊そうと思えばぶっ壊せるし、君を無傷のままここから連れ出せる。どうかな、僕と脱獄してみ――」
「あ、いいよ。断る」
ルナティカはジェシーの提案を断った。
今ここを脱獄できたとして。彼女が知る限り、外は安全でもない。屍人が外をうろつき、不都合な者が手あたり次第屍人に変えられている。こんな状況で脱獄できてもルナティカは無事でいられる自信がなかった。
「嫌いじゃないよ。そうやって僕の素晴らしい提案を断るのも。だから人間が大好きなんだ……!だからこそ、屍人に負けてほしくないなあ。ここから出る気がなくても。君のために何かしてあげてもいいんだけど」
ジェシーはそう言うと、檻に顔を近づけた。
「どうせ私が騙されるとでも思ってるんでしょ?つらい立場にある人に付け込んで利益を得ようとする人なんて、何人も知っている。あんたはどうなんだ?私がこの世で一番信頼する人に私の声を届けてくれるのなら乗ってあげたっていい」
「やってあげるよ。君の素性もよく知っているからね。鮮血の夜明団タリスマン支部元参謀ルナティカ・キール。その情報収集能力と頭脳、交渉能力が逆に仇となって支部長のトロイ・インコグニートに消された。いやあ、勿体無いよ。君みたいな有能な人が活躍の場を奪われるなんて」
ジェシーはどこで知ったか、ルナティカの事情を間違うことなく口にした。参謀だったことも、トロイのせいで投獄されたことも合っている。
――彼は一体、何者だろうか?
「私だって悔しいね。もし殺せる力があるんだったら私だってあの野郎をぶっ殺したかった。ユーリーみたいに、力があればね。でも、私はあの野郎の素性を少しでも掴めた。監獄の主。ユーリーにこれを届けてくれる?できないのなら、あんたのことを信用しない」
ルナティカがその手に持っていたものは手紙。何が書かれているのかも、ジェシーの知ることではないが。
「いいよ。彼、きっとこの町にやって来るだろうからね」
ジェシーはそう言って、廊下を通り過ぎた。
「――容姿を気に入ったわけでも性的興奮を覚えたわけでもない。僕はただ、彼女の人生というものに興味があっただけだ」