5 死相
憔悴しきったメルヴィンを横に、エレナは書類を見ながら考え事をしていた。書類に書かれていたのはある男の名前と彼の組織内での立ち位置。それから能力。
エレナは書類を地面に置いてため息をついた。そして。
「同情するぜ、ルナティカ。クソみてえな組織に閉じ込められるのも嫌だっただろ?」
「さあね。でも確かに気付いてからは反乱の準備をするのが私の趣味みたいなものだったから」
ルナティカは言う。
本心かどうかはエレナにもわからなかったが、ルナティカは周囲が思う以上に気丈だった。
「あ、そうそう。その書類を送ったのも私。ケイシーを信用できなくてジェシーに送るのを手伝ってもらったんだよね。案の定あいつのは届かなかったんだけど」
「マジか。ケイシーってヤツ、書類にも書かれてるぜ。他に比べて情報量が少ねえけど十分やばいヤツってのはわかる。そいうが野放しになってるわけだろ?」
と、エレナ。
「そうだね。多分これからこっちに来ると思う。その時が私たちの最期かな。私が死んだとしてユーリーが後を追わないか心配だけど」
ルナティカは簡単に最期という言葉を口にした。
事実、ケイシーは洒落にならない力を持っている。そんな彼が敵意を持ってこの場所に来たとするならば。エレナは頭を抱えてほくそ笑んだ。
「上等だ。これでも死相が出といて生還したことがある。私ならやれる」
カツ、カツと足音が地下道に響く。タリスマン支部のとある場所から地下に降りたケイシーは誰かを探しているようでもあった。彼が来たのとは反対側からも足音が響く。
やがて、弱い明かりに照らされた蛍光色が闇の中に浮かび上がる。光を受ければそれ以上に輝くような鮮やかなライトブルー。次に印象的だったのは中性的な顔と服装だった。
「思いもしないところで会ってしまったね。誰か知らないが」
彼は皮肉を込めながら言った。
目にした男の事を知らないジェシー。だが、ジェシーはこの地下で出会う者全てに鎌をかけていた。そんな彼に焦りを見せるケイシー。ケイシーは落ち着いた様子で言う。
「思いもしない? 俺からしてみればそうだろうな。だがお前は違うだろう、監獄の主」
二人の間に緊張が走る。ユーリー以外のタリスマンの裏切り者を探すジェシーとその裏切り者であるケイシー。裏切り者の顔を知らないジェシーだがケイシーから怪しさを感じ取っていた。
殺すなら彼だ。
「どうかな? 僕は吸血鬼。まだこの時間に外には出られないんだよ」
「嘘を言うな。もう夕方だ――」
既に戦いは始まっていた。先に仕掛けていたのはジェシー。彼の皮膚の表面に展開された冷気のイデアはケイシーの体内に作用する。
凍り付け。血液も細胞液もすべて。低温は停止と死の温度。
ジェシーは、戦闘において人間を甘く見ているところがある。それもそのはず、彼の能力の前に人間などなすすべもないに等しいのだ。どれほど強い能力を持った者だろうと所詮は人間、血液が凍り付けば死ぬしかない。
その一方、ジェシーはケイシーを最低限の手間で殺そうとしていた。
「地下にいると時間の感覚がなくなってしまうからね」
ジェシーは言った。返事など返ってくるはずもないと考えながら――
「そういうことか。確かに情報がなければ体内時計は少しずつずれるはずだ」
ジェシーの耳に入るケイシーの声。幽霊の声でもなく、生きた人間の声だ。
不審に思い、ジェシーが顔を上げるとそこにいたのはケイシーだった。その傍らにはぼやけた何かがある。
「耐えたか。君がただ者ではないことはよくわかったよ。何をしたのかい?」
ジェシーがそう尋ねるもケイシーは無言で、吸血鬼であるジェシーのすぐそばに詰め寄った。彼の背後から現れた骨の手はジェシーの喉を貫き、首の組織少しを残して切り裂いた。
首はつながったままであるものの、傷口からはドクドクと鮮血が流れ出る。首から頭がぶら下がっている。
ジェシーが止めの一発を入れようとしたそのとき、ジェシーは後ろに下がる。僅かにつながった体組織を再生して首を元の位置に戻す。
首を切断し損ねる程度の傷は少しずつ修復されてゆく。瞬く間に血が止まる。
「お前ごときに教えるつもりもない……どうせそのまま首が取れて死ぬ。いくら吸血鬼だろうが首が取れて放置しては生きていられない。俺はそれくらい知っているからね」
止めだ、と言わんばかりにケイシーは首を狙う。その瞬間、ジェシーは赤い瞳でケイシーを見つめ、腕で攻撃を受け止めた。
凍り付いた腕はケイシーの攻撃をあしらい、さらにジェシーは後ろへ飛び退いた。激しい動きではあったが、首は取れない。くっきりと傷が残っており取れそうな様子にも関わらず。
「吸血鬼はここまで再生が早いのか……エリュシオンは首を落としても平気だったが」
ジェシーに聞こえない声で呟くケイシー。が、そんなケイシーも体内に異変を感じ取る。
細胞が凍り付き、破壊される。ケイシーはすぐに気付いたのか、分岐した通路に逃げ込んだ。
そして。ここで彼は運命の分岐点をその目で見ることになる。
手の骨のイデアが脈を打つように蠢いた。それに伴って彼の脳内に流れ込むビジョン。血液が凍結して殺されるケイシー。あるやり方でジェシーを殺害し、彼の首を弄ぶケイシー。分岐した未来の自分自身の姿が現れる。
ケイシーは今ここで選択を迫られている。
因果律に干渉するか、無抵抗なままジェシーに殺されるか。
勿論、ケイシーは因果律に触れる。思い通りにすることになる。彼自身にのわがままで生死さえも意のままに。
そしてケイシーはまた、人間としての禁忌を侵す。
血のように紅く染まった骨。流れ出すエネルギーは辺り一帯に広がった。空間、時間に少しずつ乱れが生じ、事象がねじまがる。
凍り付いた血液がなかったことであるかのように融けた。
どうやらまたケイシーの思い通りな時が流れ始めるらしい。それがいつまで続くのかはケイシーにもわからないが。
「行こうか」
ケイシーはそう言って口角を上げた。