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妄想論

なろうテンプレって特殊か?

作者: とびうお君

 ちらほら見えるエッセイでなろうは特別ではなく、昔からある王道の踏襲だというのがある。私もズットその話をしてる。だが数多くのエッセイは、批判的になろうは特殊でおかしな特殊な人しか楽しめないものだとするほうが多い。何故だろうか?自分に楽しめない理由を多数の人は見て無いだけで、見たらすべてこんなのつまらないとなるしてると見てる。


 要するにいじめの原理になる。数を持って多数が少数を攻撃するものになる。しかも汚いのは、実際多数派の支持があるか?のように偽装する点。ちらほらみかける特別じゃない古典的な王道であるってのはこういった連中には都合が悪いとなる。


 さらに私は突っ込みたいが、結局なろうは1つのもので切り取れるようなものじゃない。数多くの雑多な古典王道の集合体こそがなろうの実体、正体だとなる。これをもっと突っ込むと、要するに漫画アニメラノベの過去の2次創作だとなる。そしてもっとそれを突っ込むと、現代の漫画アニメラノベはすでに2次創作的だとなる。


 なんだなろうって滅茶苦茶普通じゃない?となる。どこにもなろうには特殊性は無い。敢えて言うなら程度で完全な2次創作に近いのはどっちか?なら広義の漫画アニメラノベの方が1次創作に近く2次創作には遠い。その程度の差になる。程度じゃないとなろうの実体は掴めない。本質的な質の差じゃない、量の差こそがなろうの実体で、そこに触れた批判エッセイは見た事が無い。


 当然だろう。分かりやすい差別の原理で、純血の白人が人種差別するようなものだ。黄色や黒が混じっていては都合が悪いんだ。だが実際は程度の差こそがなろうの本質だとなると、攻撃するための根幹が崩れてしまうからになる。


 ただまあ今回は批判の批判じゃない。主題は、漫画アニメラノベもすでに2次創作的だと言う点にある。過去も小説、映画からの2次創作的じゃないか?なら、それは違うと思う。過去と現代の差は、漫画の中からまた漫画を生み出すクローン的な部分にあり、たこが自分の足を食べるって話しになる。


 現代は、オリジナリティで勝負するより、今ある既存のソースからの配合のブレンドこそが面白さのツボになる。根本的になろう批判の批判は漫画文化が分かってない。


 じゃ何故過去は違ったのか?そもそもソースとする源泉が無いのにブレンドなんて言えないのと、長い歴史で、1次創作の中から漫画アニメラノベに不向きなものが淘汰されたからになる。今時外から単純に取り入れてオリジナルじゃ、より洗練された独自の源泉として通用し無い。


 過去に書いたが頭を使わない物語って第一条件があり、それを過去は無視してオリジナルの刺激だけでやってこれた。だが、じょじょにそういったものの中から、洗練された頭を使わない物語が集積されてくると、オリジナリティよりも重視される部分が強くなってくる。逆に言えば、過去の作品のオリジナリティはオリジナリティで評価されていたか?が疑問がある。


 過去の作品のオリジナリティは実は評価に関係が無い雑味成分だった可能性が多いにある。実際はオリジナリティは必要が無かったのに、競争原理が働くほどの作品数が無かったため雑味が残された低レベル状態こそがオリジナリティの正体だった可能性がある。これらに拍車をかけたのは評論家の質がある。


 過去の評論家は外の世界にも通じた人が多くて、漫画アニメラノベの評価が分かってなかった。そのためオリジナリティが評価されていたが、実際はそんな部分には無くて読者がたまたま競争原理が働かない洗練されてない雑味を排除できなかったのが大きいと見ている。そのため評論家と読者のズレが少なかったため異論があまりなくそのまま通り過ぎていたためだと見ている。


 現代でもこれは同様で、本当の価値が分かってる人が皆無に近い。だから私は本当の価値が分かるものとして評論の刷新を狙ってずっと創作論を書いている。


 私の創作論は作家のためじゃない。読者の評価のための創作論になる。楽しみ方の何故?を答えるための話が主軸になってる。それが作家がいかせるか?はその人次第。


 ただ、単純に雑味だっただけじゃない。それでもオリジナリティは慣れこそが一番の敵になる。十分にソースが揃った状態ではどこかで見たようなものばかりになる。そして次の競争が始まるわけとなる。それらを組みわせるブレンドの価値が重視されるようになる。未だにブレンドを作家性と認められない人が多いが、そんなのは小説などの価値だ。


 漫画アニメラノベにおいてはブレンドこそが価値で、オリジナリティはむしろ個性と訳してブレンドに持たせるべき時代なのだ。


 ただ、これで終わりにしたくは無い。だからと言って完全な2次創作に落ち込まないのは、10年もすれば前の時代の物とは違うものが生まれている。それはブレンドと言うソースのかき混ぜでは決して起こらない。何が起きてるのか?と言うと、オリジナリティ単体が意識されて刺激になる時代は終って、極僅か微妙の全く新規なまるで突然変異の様な小さなものが紛れ込む。


 これが大きな漫画アニメラノベゲームも加えたサブカルチャーとして蓄積する事で最終的に全く違うものに変化する。そしてそこには以前と変わらないものも幹として深く残っている状態になる。問題は、1つの作品を見て、過去の成長期黎明期のようなオリジナリティ単体が刺激になって作品の面白さになってるわけじゃないって点。


 ワンポイントの隠し味のようにしか小さく変化しかしないもので、それらの小さなものはブレンドの妙と言う大きな刺激の中ではごくごく微妙のものでしかない。だからオリジナリティ自体の競争原理が働かないため10年と言うのは目安で、長い時間の中でしか変化しないものになっていく。


 もしその流れを変えたいなら、第一条件である頭を使わない楽しみを捨てて、オリジナリティ自体を重視する媒体に成ればなるが、多数の読者がそれを望まないから今の結果がある。


 それらを踏まえると、どれだけなろうのテンプレ批判者が頓珍漢な分かってない作家連合であるのか?が良く分かると思う。分かってない馬鹿だからテンプレ批判するのだ。

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