第一章05 初めての休暇。
本日二本目。軌道修正。
ある日の早朝、いつものように扉をノックする音が響く。
ため息をしつつ、部屋の隅に置いてある木刀を手に、駆け足で扉へ向かう。動作に無駄がないのは、それだけの回数フィヨルドの稽古に付き合わされているからである。下手に逆らったら何されるかわかったもんじゃないし、潔く従うしかない。
しかし、今朝扉の前にいたのは、珍しい人物だった。
「・・・・・・あれ、コルネさん」
屋敷で初めて目覚めた日に、いろいろと身の回りの物を用意してくれた女使用人。歳は二十代半ばと言ったところで、黒髪黒瞳、肌は白く女性にしては高身長でスレンダーな女性だ。まだまだチビな俺では自然、見上げる形になってしまう。そんな彼女が、俺は少し苦手で、(身長的な意味で)越えていきたい存在だと思っている。俺自身はフィーリア様の従者、コルネは屋敷全体の家事雑用をこなす役割についているため、会っても精々廊下で互いに会釈するくらい。というか、何故かフィーリア様は自分の近くに不必要に人が近づくことを嫌っているところがあり、まず他の使用人と顔を合わせて談笑する、などという機会がない。コルネの場合、孤児である俺のことを従者として認めていないらしいから、そんな事情がなくとも談笑などしてくれはしないだろうが。
閑話休題。
俺の存在をよく思っていないこの人が、何故俺の部屋を訪れる必要があるのか。
「・・・・・・早起きですね」
無表情でそう言われる。底の知れない笑みを常に貼り付けているフィヨルドといい、この屋敷の人間は何故こうも感情を隠そうとするのか。正直愛想良くした方が相手も気持ちいいと思う。それか、この顔がこの人の素なのか。
というか、発言にいくらか皮肉が混じっているようにも思えるのだが。俺で早起きなら、まだ真っ暗なうちから仕事を始める使用人の皆様はどうなるのか。少なくとも、コルネは俺より一二時間は早く起床していると思う。
「その、ご用件を窺ってもよろしいでしょうか?」
互いに、世間話をするような間柄でもない。さっさと用件を聞き出して、会話を止めにする方が気が楽でいい。
「旦那様がお呼びです。すぐに執務室へ向かいなさい」
「・・・・・・は?」
間抜けな声を上げる。何かしでかしてしまったのだろうか。
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きっちり四回ノックする。
「スカイです。今、よろしいでしょうか」
「ん、ああ、スカイ君か。入りたまえ」
扉の向こうから、低い、やや渋みの入った男の声が聞こえる。
「失礼します」
短く伝えると、俺は扉を開いた。
そうして入るヴラドの書斎は、以前訪れたときも思ったように、どこかジジイの部屋に似ていた。もうすでにこの世に存在しないあの部屋を懐かしく思いながら、ヴラドから何か命令されるまで、入り口で待機する。
「楽にしなさい。そこに座るといい」
「はい」
ヴラドの指さす先には二人用のソファ二つと、それらの間にテーブルが設置されていた。どうやらその片割れに座れとのことなので、一度お辞儀をしてから、腰を下ろす。
「それで、早速なのだが」
腰かけた途端に何の前触れもなくそう始めてくるので、少し身構える。
「何でしょう」
「君は、フィーリアの従者を止めるつもりはあるかな」
「・・・・・・何故、そのようなことを?」
質問の意図を汲みとることができず、聞き返す。
やはり威厳を感じさせる声音に、わずかな戸惑いを混ぜながら、ヴラドは答えた。
「ああ、いや。誤解しないでほしいのだが、私は君に従者を止めろ、と言っているのではないんだ」
「では、何故?」
次の瞬間、ヴラドの目つきが変わったように思えた。
「君にはフィーリアの従者で居続けてほしいからだ」
突然現れた、気迫。それはこの人物が貴族の家の主であることを再確認させるには、十分以上のもので。
それと同時に、話に真剣みが帯びるのを感じた。自然、背筋が伸びる。
「フィーリアはね、君がここに現れる前、まったく笑わない子だったんだ」
「え・・・・・・」
それは流石に冗談だと咄嗟に思った。あんなに笑顔を向けてくる少女が、少し前まで笑わない人間だったなど。
しかし先ほどから変わらぬ場の空気が、それが戯言や冗談の類ではないことを証明する。
「神眼のことは、すでに聞いているだろうか」
「はい。ご本人からお伺いしました」
「そうか、では話が早い。・・・・・・娘は、七歳の時、その瞳に『おくそこの眼』を宿した。皆の胸が真っ黒だ、などと急に言い出したのが始まりだった。当時の私はすぐに意味を理解してやれず、ただただ想像力豊かな子なのだな、などと勘違いしていたんだ。これは、あの子が以前話してくれたことなのだがね――」
淡々と、ヴラドは語り始める。俺はただただ静かに、その流れに身を任せていった――――。
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フィーリア・グランヒールは、社交的な女の子だった。
公爵家の令嬢でありながら、それを鼻にかけず、誰とでも笑顔で接する心優しい少女。それが、周りから見た彼女の姿だった。
実際、フィーリア自身もただただ社交場で同年代の貴族の子たちと話すのが楽しくて、相手が何をすれば喜ぶのかな、なんて考えたりして。幼いながらに、相手に親身になれる子だった。
そんな彼女の身に大きな変化が訪れたのは、七歳になるころだった。
『おとーさま。なんで、みんなのむね、真っ黒になってるの?』
『え?どういう意味だい?フィーリア』
当時、ヴラドには彼女の言っている言葉の意味が理解できなかった。
『あのね、みんなね、むねのあたりがまーっくろなのよ!』
彼女の瞳に、『神眼』が宿った。
神眼とは、その名の通り神に与えられし、祝福の瞳。なんらかの超常の力を宿し、それがフィーリアの場合は他者の心の色を読む、という代物だったのだ。
最初、フィーリア自身にも、そしてその父ヴラドにも。フィーリアが何を視ているのかが分からなかった。
それからも何度もフィーリアがそういった不可解な発言をしたので、どうにも気になりだしたヴラドが書物を漁り出したところ、古い文献の中に、似たような眼を宿した人物がいたとのことだった。そこで初めてヴラドは、フィーリアの見ているその『まっくろ』が、神眼を通してのものだと理解した。しかし、そのころにはもう既に遅くて、
『フィーリア様!一緒にお話ししましょう』
『・・・・・・いや』
だって、あなたは真っ黒だから。
『今後とも、娘と仲良くしていただけると。フィーリア様』
『・・・・・・いや』
あなただって、真っ黒。
みーんな、真っ黒だわ。
次第に、フィーリアには、自分の視ているものが、他者の心なのだと分かってきた。そして、今まで接してきた家族以外の人間すべてが、自分に打算とも言える、権力への仄暗い欲望を向けていたことも。それは、同世代の子供も例外ではなかった。真っ黒な人間に育てられたのなら、その子供だって真っ黒になるに決まっている。公爵家の令嬢として育てられたフィーリアは、己より地位の低い人々に群がられ、崇められ、しかし次第に人を拒絶するようになっていった。他者との関わりを避けるようになっていった。
社交場へ行っても、誰とも話さないなど日常茶飯事。心を開いたところで、相手は本当の意味で自分を見てくれはしない。権力の為、利用されるだけ利用され、自分と親密な関係になった先にある利益のみにしか、目を向けてはくれない。そんな輩に心を開いてやる必要も、口をきいてやる必要もない。あんな真っ黒な連中と付き合っていかなければならないなど、本当に嫌になる。
つい数か月前まで、心の中に確かに存在した他者とのつながり、その温かさがまやかしであったこと。そして、それらが急速に冷めて、死んでいくことを、フィーリアは感じていた。そんなことさえも、すでに彼女にはどうでもよくなっていた。
次第、彼女の拒絶はその行動範囲さえも狭めた。
自分の周囲には、必要最低限の人間しか置かないようにと、父親にも願った。ヴラドもまた、やや遅れたものの、フィーリアの苦悩に気付き、心を痛めながら見てきた人間の一人だ。できる限り、フィーリアの心にこれ以上影を落とさぬよう、娘のねだることは実現させてやるつもりになっていた。そのころの彼女は、すでに社交場に顔を出すことさえ稀になっていた。
けれど、彼女に黒い感情を向けてくるのは、何も貴族だけではなかった。
彼女に接する数少ない使用人たちさえも、心でフィーリアに訴えかけてくるのだ。
もっと地位が欲しい、名誉が欲しい、貴族とのつながりが欲しい、金銭が欲しい、語りつくせないだけの欲望を、その心に内包しながらに、フィーリアの『眼』へぶつけてくる。
――――――――――もう、限界だ。
そう、フィーリアは思ったのだった。
ついに、フィーリアは身の回りに使用人を置くことすら、止めた。
誰の悪意にもあてられない、たった一人で完結する世界に、閉じこもったのだ。
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「本来泣き虫で、笑顔の似合う女の子だったフィーリアは、いつしか泣かなくなった。笑わなくなった。もう、私には何もできないのだろうかと、できることはやりつくしたつもりだった」
「・・・・・・」
「君が来る少し前くらいにやっと、家庭教師とはなんとかコミュニケーションが取れるようになったんだ。それまでは、ずっと自室で一人で勉強していたよ」
そうしていつの間にか出されていた紅茶に口をつけて、ヴラドは一息ついた。昔話はこれにておしまい、とでも言いたげな様子だった。
フィーリア様が、心を閉ざしていた。感情を見せない女の子だった。
そんな衝撃的な過去に、俺はただ、黙り込むことしかできなかった。
俺をからかって、その反応を見ては、イタズラっぽい笑みを浮かべるフィーリア様。
俺に嫌われたと勘違いして、部屋の前で泣き出してしまったこともあったフィーリア様。
そんな表情豊かな主人が、つい最近まで、己に宿った神の祝福のせいで、人と関わることを嫌っていたなんて。
人の心の色を視ることができて。その覗き込んだ全てが、己への暗い感情にまみれていた。本来純粋無垢であるはずの七歳の少女が、そんなものを知ってしまったら。きっともう、純粋ではいられない。
そんなもの、祝福と呼べるのだろうか? 少女の心に傷をつけるような能力が、祝福などと。それではまるで、呪いではないか。悪魔に与えられた、呪い。
まるで無関係で当時の状況も何も知らない俺が何を、という話だが、この世に神が本当に存在するというのなら、この手で殺してしまいたいと、そう思った。
「そんなときにだったんだ」
「・・・・・・」
「君が、現れたのは」
俺が・・・・・・?
首を傾げる俺に、「そうだ」と首肯してみせるヴラド。
「どこからともなく現れた君は、いともたやすく娘と打ち解けた。そして数か月見ることがばったり無くなってしまっていたあの子の笑顔が、戻ってきたんだ」
「・・・・・・私は、何もしていません」
「それなんだよ」
ヴラドが俺の発言を指摘する。が、何を指摘されたのかわからない。つい聞き返してしまう。
「え・・・・・・?」
「その気持ちなんだ。こいつを利用してやろう、という気持ちに常に晒されていたあの子が求めたのは、己に過度に踏み込んでこようとしない存在だったんだ」
心を閉ざした少女が求めたのは、閉ざした心を無理やりにこじ開ける冷たい鉄の鍵ではなく。
そっと自分を見守ってくれる、温かな思いやりだった。
「自分を利用しようとしない人間だったから、君はフィーリアと打ち解けられたんだ。本当にありがとうスカイ君。君がいたから、娘は救われた」
「・・・・・・」
「これからも、どうか娘を笑顔にしてやってほしい」
一従者に向ける礼儀とは思えないほどに、深々と、誠意の籠った態度で、頭を下げたヴラド。
貴族の、それも一家の主様に頭を下げられるというのは、なかなか心臓に悪いものであるようで、
「は、はい、言われずとも。ですからどうか、頭をお上げください、ヴラド様」
こんなところ使用人にでも見られたら、寝込みを襲われてしまう。
そんな恐ろしい未来が如実に想像できて、ぶるりと身震いしてしまう俺だった。
「何かしら礼がしたいのだが、どうだろう」
「いえ、そんな。この屋敷に置いていただけてるだけで十分ですよ」
それは本心だった。ここの食事と風呂は、貴族の家であるというだけあって、かなりのものだった。別にこの高待遇以上のものを欲してはいない。これ以上に何かを求めるのは、孤児の身の上で罰が当たりそうで少し怖いというのもあるが、現状に満足しているというのが一番の理由だった。
「初めて顔を合わせたときも同じようなことを言っていたな。流石に無欲が過ぎるぞ。そこまで拒まれると、何かあるのではないかと勘繰りを入れてしまうよ」
「そうは言われましても・・・・・・」
ここは何か無難なものを貰っておくべきなのだろうか。金銭?・・・・・・使い道がない。財宝?・・・・・・別にいらない。
であれば、ものを貰う、以外ではどうだろう。何か権利を頂くとか、何か・・・・・・何か・・・・・・あ。
閃いた、とはこのようなことを言うのかもしれない。これこそまさしく、今の自分に最も相応しい報酬だ。
「では、一つ」
「おお。何でも言ってほしい。できる限り叶えよう」
本当に娘を愛して、大事に思っているのだろう。一応はその恩人に該当するらしい俺にも、すごくよくしてくれている。
でも、許可がもらえるかどうか。言うだけ言ってみようか。
「一日でいいので、休暇を下さい」
一瞬、ヴラドの表情が固まった。が、本当に一瞬だ。次の瞬間には、また動き出していた。
「・・・・・・そんなことでいいのか?」
その言葉には言外に、願えば大抵のことは叶えてやるのに、という思いが込められているように思えた。
「はい、それでいいんです」
何の躊躇いもなくそう返すので、ヴラドは少し唸り、しかし最後にはきっちり了承してくれた。
「・・・・・・そうか。よし、わかった。認めよう。まさか今日か?それとも明日か?日付はどうする?」
「それでは、今日にでも早速」
「了解した。フィーリアには、私から伝えておく。休暇を楽しんできたまえ」
そう言って部屋を去る俺を見送るヴラドは、威厳に溢れた父親の顔で、それでもにこやかに笑っていた。
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念のため、誰かに見られていないか入念に視線を巡らす。うん、誰もいない。
緊張感を持ちつつ、森へ入った。
目的地の場所はわかっている。獣道や、樹木の配置という些細な目印。それらを全て行使して、歩みを進める。
やや、迷ったかなー・・・・・・という不安が込み上げてきた頃。何とか目的地に到着した。
森の深くにある、人の手で切り開かれた小さな空間。以前までは、この空間に家が一軒立っていたのである。
「ただいま、ジジイ」
休暇を申し出た理由。それは思い出の地で眠る大切な人に、会いに行くためだった。
小屋は全焼。まぁ、当然である。燃え尽きた木材なんかはどかして、この下にあるはずのジジイの骨を取り出して、然るべき場所に埋葬してやるべきかもしれない。しかし、それはそれでジジイの安眠を妨げているようで、してはいけない気がした。
この焼け落ちた木材を、墓標ということにしよう。うん、それがいい。
一人、考えを纏めて、来る途中買ってきた花束と、摘みたての木苺を置く。
「久しぶりだなぁ・・・・・・ジジイ、これでつくるジャム好きだったろ? だから、木苺。ごめんな、俺、ジャムは作れないんだ。ジジイに教わっておくべきだったかなぁ」
返事はない。一方的に語りかけているだけだ。それはただの自己満足かもしれないし、もしかしたら天にいる彼に届いているのかもしれない。どちらかなんては、俺にはわからないが。
「こっちな順調に暮らせてる。運悪く・・・・・・いや、運良くか。優しい女の子に拾われてさ、今その人の従者やってんだ。貴族だぞ? すごいよな」
「ちょっとムカつくこともあるけどさ、可愛くて、真っ直ぐな人なんだよ。仕えてられるなら、ずっと仕えていたい」
「それからその兄貴がーー」
一通り話終えて、瞳を閉じる。過去に想いを馳せ、心の中に綺麗なまま、しまい込む。
そろそろ行こう、そう思った。いつの間にか太陽は頭上にまで昇っており、どうやら昼時になっているようだった。どんだけ口動かしてたんだよ、と笑いそうな気分になる――――――、
「・・・・・・笑えねえよ」
――――――訳もなく。
笑えない。笑えるわけがないのだ。
墓標に背を向け、小さな思い出の場所から立ち去る。目頭が熱くなるのを感じた。
また来るよ、なんて。なんだか照れくさくて口には出せず、胸中で呟いて。
「フィーリア様に、お土産買っていくか」
気持ちをこれから続く未来への期待に切り替える。
確か、花を買う途中、街の中で女の子の好きそうな可愛らしい外観の店を見かけた。
あの人の部屋には確かぬいぐるみなんかも飾ってあったし、直接本人に聞いたことはないが、そういう女の子っぽいものが好きなのかもしれない。
屋敷に帰るの何時くらいになるかなぁ、なんて考えながら、帰りは迷わないことを願いつつ、来たルートを引き返した。
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スカイが起床時刻に部屋へ訪れなかった。
今朝は何故か妙な胸騒ぎがして、起床時刻前に目が覚めた。 扉の影にでも隠れて、彼が来たら驚かせてやろう。
そんな企みが、実行に移されることはなかった。
「・・・・・・なんで?」
スカイは、どこへ行った?
日常から急に消失した大切な存在。怖くなって、フィーリアは父の書斎を訪ねた。
「お父様。今、よろしい?」
扉をノックし、中にいるであろうヴラドに声をかける。
「ん?ああ、フィーリアか。丁度いい時に来てくれた、入ってくれ」
返ってきたのは、いつも通りの厳格だが、優しい父の声音。そんないつも通りの朝のはずなのに、スカイだけがいないことが、フィーリアをより不安にさせた。
許しを得たので、書斎へ入る。本がたくさん集められていることから来る、古びた紙独特の匂いが、鼻孔を刺激する。が、今はそんなこと関係無い。
「お父様、スカイは・・・・・・どこ?」
「スカイ君は、もう屋敷にいないよ」
「・・・・・・ぇ」
スカイはいない、その言葉を聞いて、フィーリアは目の前が真っ暗になったように錯覚した。どうして? 私が、何かしたのだろうか? からかったりしたから? 嫌われた? ・・・・・・もう、帰って来ない・・・・・・?
どんどん顔色が悪くなっていく娘を見て、自分が言葉足らずだったことに、やや遅れて気づいたヴラド。
「え!?いやいや違う!きっとフィーリア、お前少し勘違いしてるぞ!」
必死で娘の誤解を解こうとするヴラド。
己の考えが検討違いであると指摘され、フィーリアの頭の中は混乱の渦に呑まれた。
「ぇ・・・・・・だって、スカイは、出て、いったんじゃあ・・・・・・?」
やっぱり変な風に解釈してた!と、ヴラドは己の言葉足らずを恨んだ。
「そうじゃない!休暇をくれというから、与えただけだ!彼は夜までには帰ってくる!だから、泣かないくれ・・・・・・!」
「・・・・・・ぇ?」
ヴラドの言葉に、二つの意味で驚くフィーリア。
一つは、スカイがちゃんと帰ってきてくれるということ。二つ目は、自分が気づかぬうちに涙目になっており、今にも泣きそうだったということだ。
彼女の中で、スカイの存在がどんどん大きくなってきていることは、フィーリア自身理解していることだ。彼に嫌われたと思うだけで、泣きそうになってしまうくらいに。
フィーリアは元々泣き虫だった。しかし、ここ数ヵ月はそれが鳴りを潜めていた。何故なら、他者との関わりを最低限にまで抑え、避けて、何の感慨も抱かずに生活していたからだ。彼女自身、自分から感情が抜け落ちたかのように思い込んでいた。
それが、スカイが彼女の目の前に現れたことで、変わった。元に戻ったと言うべきかもしれない。
素の自分を思い出せたのは、スカイのお陰。彼の前でなら、有りのままの自分を晒け出せた。彼がいなくなったら、きっと自分は元に戻ってしまう。彼がいるから、今の自分になれたのだと。だから、
「いなくならなくて、よかった・・・・・・よかったぁっ」
フィーリアが、心底安堵した様子でへたりこんだ。そんな娘を、ヴラドは複雑そうな面持ちで見据える。
ほんの少しの期間しか一緒にいないはずなのに、もうほとんど娘の心を掴んでいるスカイ。娘の恩人と言って差し支えない彼であるが、父親としては、娘を奪われたような気になってしまい、大人げもなく嫉妬してしまうヴラドであった。
なお、その後フィーリアが、その日一日のスケジュールにほとんど集中できなかったのは。また、心ここにあらずと言った様子の娘を見て、もうしばらくは外に出してやるものか、と嫉妬混じりにスカイを束縛することに決めた溺愛パパがいたことは、まったくの余談である。
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リュックを背負って来てよかった、と心底思った。
何だか中が気になってしまい、魔道具専門店に入ってしまったのが間違いだった。
その店は、言ってしまえば便利な日用品の宝庫。生ものをそのままの鮮度でしばらく保存できる入れ物、水を見た目以上の量溜められる釜、などなどなど。
入ったばかりの給金を少しばかり使ってしまった。
声を認識して開け閉めできる金具と、音を封じ込めることができる石。そこそこ値が張ったが、つい気になって買ってしまった。
さらに古着屋で、寝巻きを二着。流石に屋敷で渡されたシャツ一枚しか夜に着るものがないのもどうかと思ったからだ。
ヴラドは中々太っ腹で、そこそこ高めに給金をくれた。・・・・・・逃げ出さないようにという、抑止の意味もあるかもしれないが。
お陰さまで、やや多めの買い物をしたにも関わらず、懐はポカポカである。後は貯金に回すことにしよう。
辺りはだいぶ暗くなってきた。そろそろ帰らねば、職務放棄だの、屋敷から逃げ出しただのと変な誤解を招くやも知れない。特にフィーリア様によって。
やや急ぎ足で、活気の薄れ始めた平民街からの帰路についた。
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一日の予定はほぼ完遂した。なお、まったく身が入らなかった。授業内容など、全て頭から抜け落ちていた。こんなのは初めてだ。スカイがいないだけで、自分の頭がここまでポンコツになるとは思いもしなかった。
現在、時刻は夕刻で、日の光は西の果てに呑まれようとしている。
だというのに、フィーリアの従者である少年、スカイは今だ帰らない。堪えようのない不安がフィーリアを苛み始めていた。
まさか、道中で事故に遭った? それかまさか、もう帰ってくる気がないんじゃ・・・・・・。
「・・・・・・そんなの嫌」
折角出会えたのに。自分のことをただの『フィーリア』として見て、接してくれる存在に。きっとこの先、スカイのような人物に出会えることはない。確信にも似た予感が、フィーリアの脳裏にぼんやり宿る。
元々彼は、フィーリアの従者になることを嫌がっていた。多少打ち解けてみせてくれていたのは演技で、全ては今日、厄介な役目から逃げ出すために油断させようという、ちょっとした策略だったのかもしれない。
「・・・・・・もう、帰ってこないの?」
そんな呟きと不安は、杞憂に終わった。
足音がしたのだ。同時に、廊下の音がはっきり聞こえるくらいに自分が一切物音を立てず、静かに座り込んでいたのだと気付く。
足音の主は、きっと・・・・・・!
「スカイだわっ」
椅子から立ち上がり、歓喜の表情を浮かべるフィーリア。帰ってきた。戻ってきてくれた・・・・・・!
足音が近づき、扉の前で止まったところで、勢いよくフィーリアは扉を開けた。
「おかえりなさいっ、スカイ」
扉を開ければ、予想通り目の前に立っていたのは、リュックを背負った従者の少年だった。
内心ホッとする。これで別の人物だったら、より悲壮感にさいなまれるところだった。
「へ、あ、はい?ただいま、です?」
嫌に上機嫌に、己の部屋から飛び出してきた主人に戸惑いを隠せない様子のスカイ。
そんなのお構いなしに、嬉々として話題を振るフィーリア。
「遅かったのね、どこへ行っていたのかしら?」
自分は不安だったのだぞ、構って構って、というオーラが彼女の周りにありありと振り撒かれているが、まったく鈍感なのか、はたまた天然なのか。それに気づく様子のないスカイ。
「主に買い物ですかね。街へ行って、いろいろと。・・・・・・というか、ここ俺の部屋で合ってますよね?何故フィーリア様がここに」
しっかり施錠したはずなのに・・・・・・とスカイは腰につけていた巾着袋から部屋の鍵を取り出し、続ける。
「ふふふっ合鍵よ。この屋敷の扉は、全部合鍵が有るから。それで開けて、中で待っていたのっ」
どこに隠し持ってきたのか、いきなり取り出した鍵を人指し指に引っかけ、くるくると回す彼女。そんな主人を見て、
「プライバシーもクソもねぇな!?」
スカイが喚く。が、それは怒っているのではなく、彼なりにこちらを和ませようという意図もあるのだとフィーリアは知っている。少しばかり困惑してもいるだろうが。
「あー・・・・・・ホント酷い。あ、そうだ。フィーリア様、これどうぞ」
頭を抱えたかと思えば、何やら膨らんだ紙包みをリュックから丁寧に取り出し、フィーリアへ手渡すスカイ。
その行為に目をぱちくりさせ、困惑する彼女。
「へ・・・・・・?私に?」
くれるの、とは続かず、代わりに言外にこもったそれを肯定する彼。
「はい、渡しにいく手間が省けました。部屋に侵入されてたのは複雑ですけど。・・・・・・開けてみてください」
既にフィーリアの手に渡った紙包みを指差し、催促する。
「え、ええ。・・・・・・わぁ」
紙鼓を破くのではなく丁寧に、止められているテープを剥がして開けるフィーリア。そういう行動の節々に、彼女の真面目さが滲み出ている。
驚いて声を上げる。紙袋の中身は、それはそれは可愛らしい熊のぬいぐるみだった。
「俺、あんまりそういうのの良し悪しとかわからないんですけど。まぁ可愛いかなと思った中で、直感的にそいつがいいと思ったので」
「これ、私に・・・・・・?」
再確認するフィーリア。まだよく状況が呑み込めていない。
「はい、もちろん」
「あ、ありがと。・・・・・・そうだ、お金返すわ。いくらだった・・・・・・?」
部屋へ自分のお小遣いを取りに行こうとするフィーリア。街になど滅多に行かないため、使い道などないのに、それでも律儀に毎月ヴラドはお小遣いをくれる。いつか何か欲しいものができるかもしれないだろう? その時のためにも貯めておきなさい、なんて言って。
しかし、そんなフィーリアの体を、スカイの腕が制止する。
何故?とばかりに首をかしげるフィーリア。
「いや、いいですよそんなん。あくまで贈り物って|体«てい»で俺が勝手に買ってきたものですし。お気に召さなければ、捨ててしまっても構いませんよ」
そんな物言いに、つい声を荒らげる。
「そんなことするわけないわ!ずっと大事にする。ありがとう、スカイ」
贈り物を胸に抱きながら、目一杯の笑顔を浮かべるフィーリア。そんなフィーリアを、微笑ましいものを見るような目で見据えるスカイ。
彼女は驚いていた。そして何より嬉しかった。誰かに何かを貰うなど、本当に久しぶりだったから。それも、異性からなど。久しぶり過ぎたから、咄嗟に対価が必要だと考えてしまい、お金を払おうとしてしまった。
スカイは捨てていいなどと言うけれど、こんなに嬉しいのに、そんなことするわけがない。大切にしよう、と心に決める。
それはそうと。それはそうとだ。
「これ、私にだけ・・・・・・?」
フィーリアには少し、期待することがあった。
「え?もしかして、フィヨルド様にも買うべきでした?うっわ、あの人そういう趣味か・・・・・・」
しかし、期待からだいぶズレた返答に、げんなりするフィーリア。そうだ、こういう人なんだ、スカイは。
「違うわ。その、スカイの分は、無いのかなって」
内心そわそわしながら尋ねる。それを彼に悟られることはない。
「俺の分、ですか?いえ、買ってないですけど」
「・・・・・・そう」
残念だわ、と少しうつむく彼女。
胸中渦巻く淡い期待・・・・・・それは、スカイと御揃いだったらいいのに、というもの。
己が彼に密かに抱き始めている想いは、決して周囲に認められるものではないことを、彼女はきちんと理解している。それでも、小さな幸福くらいは、求めたって罰は当たらないだろう。
ずっと一緒にいたいと思えた。でも、きっとそれは自分だけで。いつか別れる日が来る。その時までは、どうか共に歩んでいたい。隣にいてほしい。
「へ?何でそんな残念そうなんです?ちょっと?フィーリア様?」
フィーリアの内心など露知らず、スカイは頭のてっぺんに疑問符を浮かべ、眉を潜めていた。
そんな状態の彼に、一つ提案してみる。
「・・・・・・今度、スカイの分、一緒に買いに行きましょ」
「え?いや、俺別にいらないですけど」
ピシリと返されてしまう。それも真顔で。
「行くの。行くのよ。絶対なんだからね。命令よ」
詰め寄りながら早口で捲し立て、主人の権限すら利用する。
ここで主従関係を逆手にとる自分は最低な人間だとフィーリアは思うが、背に腹は代えられない。なんとしても約束を取り付けたかった。やっぱり御揃いのもの、欲しいし。
「んな卑怯な・・・・・・あーもう。まぁいいや。それで満足してくれるなら。じゃあフィーリアの予定が空いて、なおかつヴラド様の許しが出たら。一緒に行きましょうか?」
すぐに自分の意見を曲げて妥協案を出してくれるのは、彼が流されやすいのでは断じてない。このままフィーリアと話し続けて、どちらも譲らず切りがない状態になるのは時間が勿体ないというのが少々。早口で詰め寄ってくる主人が可愛くて、まー聞き入れてやってもいいかなっ? みたいな感じになったのがほとんど、という具合の割合から生まれた返答なのである。
己の従者に常日頃可愛いと思われていることなど全く気づいていないフィーリアは、ただ純粋に彼の優しさに触れた気がして、頬を緩める。
「ええ、絶対に」
嬉しくって笑みが零れる。この表情は、スカイが思い出させてくれた複数あるものの一つだ。彼がいるから、自分は笑えるのだ。彼がいなければ、自分は笑えないのだ。
そう再確認して、取り付けた約束の詳細を、二人で話し合うことにするのだった。
だんだんスカイに殺意が湧いてくるようになってきた。この高ぶる負の感情を文章を紡ぐ方向に回せないものだろうか。全然一万文字越えねえんだよなぁ。