第一章02 忠誠を誓う。
結局決定は覆らなかった。俺は正式にフィーリアの従者にされ、わざわざ契約書まで書かされた。自由意思なんてなかった。
どうやら、俺の前任だった人物は、街でフィーリアから目を離して危険な目に会わせたからと、辞職したらしい。ちょうど空いていた役職に、これ幸いと俺をねじこみやがったのだ。
「ハァ・・・・・・何でこんな目に」
ため息しかでない。ため息をつくと幸運が逃げるなどとジジイには教わったが、だとしても心配ない。俺の幸運など、既に吐かれ切っているだろうから。
人間、柄にもないことはすべきではない。ちょーっと身なりのよさそうな少女を助けたら、その従者に抜擢されるなど、予想できた方がおかしいが。
あの後、すぐにフィーリアの一日のスケジュール、趣味、特技、ハマっているもの、好きなものなどが書かれた、プライバシーの欠片もない資料を山盛り頂いた。どうやら全部覚えねばいけないらしい。その膨大な数の紙束を見て、ジジイとの温かな日々を思い出した。
しかし、あの当時は新しい知識を蓄え、また一つ自分が賢くなったと喜ぶ毎日だったが、今回は違う。
何が悲しくて、年頃の乙女の個人情報をインプットしなければいけないのか?
だがまぁ、温かい寝床、食事にありつけるのだから、よしとしよう。でなければ、やってられない。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
暗記は夜にやるといい。朝起きて再確認すれば、なおよし。
ジジイとの生活の中でみつけだした黄金時間。それを惜しげもなく使い、つまるところ、夜更かししていた。
「好物はオレンジジュース・・・・・・はぁ」
面倒くさい。だいたい覚えてきたようだし、今日のところは寝よう。はぁ、帰りたい。帰る場所などもう貧民街しかないのだが。
ひとまず紙束を机のすみに寄せ、ベッドへ向かおうとしたら、
「スカイ?起きてるかしら」
トン、トン、と扉をノックされる。確か、戸を二回だけ叩く場合は、親しい間柄への礼儀である。ジジイに教わった無駄知識の一つだ。
「・・・・・・何だよ」
「あ、起きてるのね。入っていいかしら?」
「はぁ・・・・・・どうぞ」
適当に返事すると、扉が開く。そこには、白い寝巻き姿のフィーリアがいた。
「へぇ・・・・・・勉強熱心なのね。凄いわ、こんな時間まで」
机に広げられた紙束を見て、感心したように呟く。
「生憎と、暗記は寝る前と早朝が一番いいっていうのが経験則。いくら主人だからって、時間まで指図されるいわれはないからな」
敢えてぶっきらぼうに言う。無礼だと、首にされようが知ったことじゃない。元々好きで従者になったわけじゃないのだから。まあ、正式に雇われたわけだし、使用人の中に、忌々しくは思っても、露骨に俺に危害を加えてくる奴はいないだろうけどさ。
しかし、フィーリアに気にした様子はなかった。
「当然だわ、人の人生まで縛るつもりはないもの・・・・・・ところで」
「何だよ」
「勝手に従者にしたりして、ごめんなさい」
「は?何を今更」
謝るくらいなら最初からしないでほしかったんだよな。
軽く半目で睨みつけると、いくらかしゅん、とした様子でフィーリアは俺に頭を下げた。
「・・・・・・ごめんなさい。でも、貴方みたいな人が、貧民街の中で一生を過ごすなんて、勿体ないと思ったわ」
「・・・・・・余計なお世話だよ。それに、俺の何がわかる?」
言葉を交わしたのだって、今を入れても数えるほどしかない。そのはずなのに、何故こいつはさも俺の心の中を覗き見たとでも言いたげに、自信満々に言い切るのだ。
「スカイは、いい人で、優しい人だわ。私のことだって、自分が倒れるくらいになるまで、必死に助けてくれた。私には、『視える』もの」
何か引っ掛かる言い方だ。俺が、こいつのために必死になった?そんなつもりはない、ただ体の状態を把握できていなかっただけだ。でも仮に、少しでもこいつのために必死になったというのなら、それはジジイの影響なのだろう。
「見えるって、何のことだ」
口に出してみて、俺の言う『みえる』とフィーリアの言う『みえる』ではどこかニュアンスに違いがあることに気が付いた。
どういうことだとフィーリアの顔に目をやると、どうやら説明してくれるようだった。
「ああ、視えるって言うのはね、私がそういう『眼』を持ってるってこと」
「・・・・・・『神眼』持ちか、お前」
「あら?よく知っているのね」
・・・・・・一般常識じゃないのか。ジジイ、人に軽々しく話していいことと悪いことは区別して教えてくれよ。
神眼。それは、神に与えられし祝福。後天的なものと先天的なものがあり、どちらも総じて瞳に超常の力が宿るという点で共通している。例えば、古い文献で目から光線を出している人もいたとか。アホっぽいな。
閑話休題。
「やっぱり、ただの孤児じゃないのね」
フィーリアの心中で、疑念が加速していくのが、神眼を持たない俺にも目に見えてわかった。
「ただの孤児って何だよ。別に、俺はどこにでもいる天涯孤独の身だよ。神眼のことだって、貧民街の情報網で知っただけ」
貧民街の住民たちの間で、独自のネットワークはあるらしい。俺は関わったことないけど。
「ふーん?」
「別に特別なことはないだろ」
「まあ、いいわ。そういうことにしておきましょ」
ひとまず詮索はやめてくれたらしい。
「まぁ、その私の神眼だけどね?『おくそこの眼』って言って、人の本性を断片的にだけど『視る』ことができるの」
「へぇ?で?俺の何を見たんだよ」
「すごい、心が綺麗な人だってわかったわ。貧民街育ちなのが、不思議なくらいに」
「・・・・・・」
綺麗、か。それはきっと多少なり、ジジイの考え方の影響を受けているからなのだと思う。あの人は、ただ知識を教え込むだけでなく、道徳心もそれなりのものを俺に植え付けてから逝った。それにしたって貧民街育ちが不思議、は言い過ぎだと思うが。
「私、スカイのこと好きだわ」
「は?」
「変な意味はないけどね。人のために何かができる人って、好きよ。人として、好き」
見透かすような透き通った碧の瞳で、こちらを見据えてくる。事実、見透かされているのだろうが。
綺麗だ・・・・・・と思った。
妙に実年齢とかけ離れた、大人びた表情を浮かべるフィーリア。その顔を見て、彼女が今までにどんな人々の本質を視てきたのか、気になった。
「本気かよ、俺は孤児だぞ?」
冗談めかしたように言うことくらいしかできなかった。
すると彼女は、妙に懐かしい響きを孕んだ言葉を紡ぐのだ。
「境遇なんてその人の一部でしかないわ。もっと大事なものは、別にあると思うもの。孤児かどうかなんて、どうでもいいわ」
「っ」
以前、同じようなことを言った人がいた。大切で大好きで、ずっと側にいたいと思えた、俺に愛をくれた老人。
『孤児かどうかなんて、ちっぽけな話だよ』
まさか、またそんな言葉を聞くとは。
彼女とジジイは本質が似ているのかもしれない。そう、思った。
「お前は、何がしたくて、俺を従者にした?」
「貴方と話がしたかったわ。今のところは、それだけよ」
随分いい加減な理由だと思った。
だが、そのまっすぐな瞳に、嘘の色は微塵もない。
「・・・・・・お前は俺に何を求めてる?」
「特に何も。強いて言えば、仲よくしてほしいわ」
その言葉にも、嘘の色は微塵もない。
きっと、こいつはこういう人間なのだ。嘘は言わない、まっすぐな人。
ぼんやりと、大好きな老人の顔が脳裏に映った。
・・・・・・似ている。あの人と、本質的に。
「・・・・・・そうか」
何故だろう、なんとなく、仕えてみてもいいかな、なんて。仕えるのに値する人間かもしれない、なんて。
なんとなく、本当になんとなくだけれど。この人になら、忠誠を誓ってもいいような気がした。
「ええ」
そういって笑うフィーリア様は、俺の中に二人目として刻み込まれた。
「んぁ・・・・・・ぁ」
目が覚める。まだ日は昇っていない。どうやらログハウスでの感覚は体から離れきってはいなかったようで比較的楽に、早朝に起きることができた。軽く頬を叩き、脳を覚醒へ促す。
さて、まずやるべきは暗記だ。従者としての生活は今日から本格的始まるので、フィーリア様の一日の予定を軽く見直す・・・・・・よし、頭に入ってる。念のためその他の暗記した内容も確認し、全て頭に入っていることを確かめる。
後は油断せず、一定周期で見返して、完全に定着するまで繰り返す、と。
さて、一通り今日の分の暗記は終わった。フィーリア様が起きるまで、時間にだいぶ余裕があるが、はてさてどうしたものか。
「風にでも当たろう」
そう思い至り、窓に手をかける。途端、朝のやや涼しげな風が吹き付けてくる。そのまま窓枠に肘を置いて、外を眺める。ここは二階で、景色はそこそこよし。眼下には、街の綺麗な部分、汚い部分が共に敷き詰められていた。さほど街から離れているわけではないらしい。
「・・・・・・お?」
庭を見下ろすと、人がいる。そこそこ長身、綺麗な茶髪で、一心不乱に剣を振っているようだった。
鎧を身に纏っていないが、昨日の護衛のうちの一人だろうか?それにしては、やけに若く見える。何者だろう、嫌に気になる。どうやら、俺は頭を動かすのが好きみたいだ。知りたい、誰なんだ。知識欲のようなものが、強く込み上げてきた。
不意に、件の剣の人が、こちらを見た。にっこりと、笑っている。見る人を温かく包み混むような、綺麗な笑み。
なのに、やけに恐ろしく思えた。このまま見ていたら、何かに呑まれてしまいそうで、俺は勢いよく窓の戸を閉めた。
「何なんだ、あれ・・・・・・」
何か得体の知れないものを見たような気がする。近づいてはいけない、そう感じた。
あの人には関わらない方がいいのともうひとつ、わかったことがあった。
――――――フィーリア様の血縁者。その顔立ちと、何より綺麗な茶髪が、そのことを物語っていた。
年の頃は、恐らく十代後半ほど。性別は男性。恐らくは、フィーリア様の兄妹。
だが、フィーリア様とは何かが決定的に違う。そう思った。
フィーリア様を『温かい』と表現するのなら、彼はその対比、『冷たい』と表現できる。
そう感じるだけの何かが、彼の笑顔の中には含まれていた。
それから二時間ほど経った頃。そろそろフィーリア様の起きる時間だ。俺は部屋を出た。
角を曲がって、長い廊下を歩んで。俺の部屋からやや離れたところにある、扉の前に立った。フィーリア様の部屋だ。
軽く四回ほどノックし、応答を待つ。
「フィーリア様、起きていらっしゃいますか?」
・・・・・・返事はない、まだ寝ているようだ。であれば、次に俺が取るべき行動は、
「フィーリア様、起きてください」
叩き起こすことだった。扉を開け、奥にあるベッドへ向かう。俺の部屋とは比べ物にならないほど広々とした空間で、所々に置かれた可愛らしい飾りやぬいぐるみが、部屋の主が女の子であることを表している。
ベッドにたどり着くと、微かに寝息をたてて、フィーリア様が眠っている。
「フィーリア様」
「・・・・・・」
「・・・・・・やっぱり寝てらっしゃる」
その寝顔は、幼さを残しながらも、美しさと魅力に富んだもので。言ってしまえば、可愛い。
その幸せそうな主人を、これから起こさねばならないと思うと一抹の罪悪感が胸をよぎるが、無視して、行動に移る。
「フィーリア様、フィーリア様」
軽く体を揺する。
「っん・・・・・・や、やぁ・・・・・・」
妙に艷めかしい抵抗をする。
「やぁ、じゃないですよ。起床の時間です。今起きねば、予定が狂いますよ」
「いやぁ・・・・・・まだねるのぉ・・・・・・」
・・・・・・駄目だ、可愛い。って違う。起こさねば、予定にズレが生じる。よりいっそう強く揺する。
「寝ぼけてないで、起きてくださいよ」
「ふぁ・・・・・・?す、かい・・・・・・?」
抵抗が止み、言葉に意思が籠る。
「はい、スカイです。起きたのでしたら、顔を洗って朝食に」
「・・・・・・ん、わかったわ。ごめんなさいね、まだ一日目なのに。私寝起きがどうも弱くて。おはよ、スカイ」
「はい、おはようございます。フィーリア様が朝に弱いことは存じ上げております。昨日頂いた資料の内容は、まだ不完全とはいえ全て頭に入ってしております」
見た目より、内容が薄かった。あんなもの、要点さえ掴めば網羅できる。削って削って残ったものだけを見ても理解できる。ジジイの書く文章には、至るところに知識がつまっていた。要点だけ捉えていては理解しきれないくらいに。
「資料、って・・・・・・え?|昨夜«ゆうべ»置いてあった紙束のことよね?」
「はい」
「あれを、全部?」
「はい」
「凄いわ・・・・・・!天才みたいだわっ!スカイ!」
「お褒めに預かり光栄です、フィーリア様」
正直この程度、大したことでもないのだが。真っ向から全部覚えようとするのがいけないのだ。適度にサボることを覚えろ、これはジジイの言葉ではなく、己の経験から至った持論だ。
まあ、他者に褒められるのは悪い気はしないので、甘んじて受け入れる。
「それはそうと、何でスカイは敬語を使っているのかしら?」
「従者が主人を敬うのは、当然のことと思いますが?」
「昨日はあんなにひねくれた様子だったのに?」
「フィーリア様が、付いていくに値する人物であると、判断したまでです」
ジジイに次いで二人目だ。この人に、付いていきたいと思えたのは。俺の境遇をなんとも思わない、その人柄に強く惹かれたのは。
「えっとじゃあ・・・・・・勝手に従者にしたこと、もう怒ってないのかしら?」
「それとこれとは話が別です。少しばかり恨んでいたりします」
「・・・・・・そこは気にしてないって言ってくれるところじゃないかしら?」
ちぇーっとでも言いたげなご主人様だ。
「言いませんよ。むしろふざけるなと叫びたいです」
敬うことと、裏で密かに恨むことは両立できる。人は誰しも、心に深い闇を内包しているのだ。
「まあ、いいわ。本質は変わってないみたいだしね」
フィーリア様の瞳が半透明になっている。どうやらまた神眼を使ったらしい。眼の透明度の変化が、発動のトリガーになっているようだ。
「また俺を視たんですか」
「ええ。どんな心境の変化があったのかしら・・・・・・本当に私のこと、悪く思ってないみたい」
「あまり覗かれると嫌なんですけど」
全て見透かされているかのようで、いい気はしない。
「あ、本当?ごめんなさい、控えるわ」
「そうして頂けると」
プライバシーもクソもない眼だ、まったく。
心なしか少ししょんぼりした主人を尻目に、午前のスケジュールを頭に浮かべる。
この後は、洗顔の後に朝食。それが終われば家庭教師を招いての勉強。そこで午前の主だった予定は終了。
どうやら、フィーリア様は勉学が苦手らしい。
簡単な暗算にすら苦心して必死になっている主人を見て、そう思った。
従者には、一応授業を聞くことは許されているが、参加する権利はない。だがまあ、流石貴族の雇う教師だ。聞くだけで大まかな内容は頭に入ってくる。後でメモして整理しておこう。
それにしたって分数の計算か。あんなのは数秒あれば十分なのだが・・・・・・。
「おい、お前。何をニコニコしているんだ」
家庭教師に睨まれた。
「あ、いえ。数字がちんぷんかんぷんで」
「まぁ、ただの従者に解けるわけはないな」
「ははは、おっしゃる通りで」
残念ながらお前がフィーリア様に出した問いは全て計算済みだったりする。
心中で教師を見下しながら、フィーリア様が苦戦している様子を見る。可哀想だが、介入する権利は持ち合わせていない。自力で解いてもらおう。
「ねぇ、スカイ?」
「何でしょうか、フィーリア様。今は授業中ですよ」
「ええ、それはもちろんわかってるわ。ただ、ひとつ」
「何でしょう」
「貴方、これ、解けるんじゃない?」
「「へ?」」
家庭教師と俺の口から、間抜けな声が洩れる。それくらいに脈略がなかった。
俺は、フィーリア様に計算までできるとは話していない。何故解った。
「何故、知っているのです?」
「あ、当たったのね。カマかけたのよ?」
「・・・・・・まじかよ」
迂闊だった。多少はとぼけるべきだったか。何だよ、勉強はできないくせに、そういうところには頭にフル回転じゃないか。頭いいのか悪いのか分からない。
「だって、スカイ頭がいいじゃない?見ていてわかるわ、予定の中で時間を調整したりして、つねに計算してたでしょ?」
「ぐっ・・・・・・よくご存じで」
案外人のこと見てるんだな。
「だから、ね?ちょっと私と同じ問題解いてみて」
「もう全部解きましたよ」
「「えっ?」」
今度はフィーリア様と家庭教師の二人の口から声が洩れる。
「ちょ、ちょっと書いてみてくれ!」
家庭教師に紙とペンを渡される。えっと、問一問二問三問四・・・・・・。
「どうぞ」
「は、早い・・・・・・。それに全部合っている・・・・・・」
「凄いわ、スカイっ!本当に天才じゃない!」
「こんなのは慣れですよ。フィーリア様だって、解き続ければこれくらいにはなります」
「へぇ・・・・・・頑張ってみるわ」
「はい、頑張ってください」
「お前、何者だ・・・・・・?」
家庭教師が震え声で尋ねてくる。はて、ただの孤児で、フィーリア様の従者ですけど?
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
午前の予定が済み、フィーリア様の部屋に呼ばれた。
「すごい久しぶりに先生に誉められたわ。スカイのおかげでやる気が出たの」
己のベッドの上で、足をパタパタさせながら、嬉々としてフィーリア様が言った。こういう仕草は、年相応だ。たまに妙に勘がいいが。
「誰かに影響されたとしても、最後に実行するのは自分です。フィーリア様自身の力ですよ」
「いい言葉ね。スカイが考えたの?」
「受け売りですよ」
「誰の?」
「母です」
「ふーん・・・・・・?」
いつかボロを出すかもしれない。疑い深いフィーリア様の瞳を見ながら、考えた。
どうやら彼女の真骨頂は、勉学よりもハッタリなどの、相手の裏をかくことにあるらしい。その『眼』で相手の人となりを大まかに視ているからこそできるのだろう。
「午後の魔法学まで時間があるわ。少し話しましょ?」
「・・・・・・仰せのままに」
少し間が空いたのは、フィーリア様にどんどん心を読まれていくような感覚があるからだ。
「安心して?もう神眼はあまり使わないわ」
・・・・・・やはり心を読まれているぞ。このままここにいては、境遇経歴その他諸々を丸裸にされる気がしてならない。
「私は、やっぱりお手洗いに行ってき」
「逃がさないわよ?」
助けてジジイ。
「・・・・・・ハァ。で、何でしょうか」
覚悟を決めろ。
「スカイって、どこの貴族の息子さん?」
「は?私は孤児ですよ」
反射的に答えることができて、少し安心する。もし少しでも頭を動かしていたら、ジジイのことを洩らしていたかもしれない。
頭は多少回っても、こういう駆け引きは苦手な俺だった。
「ふーん・・・・・・反応速度からして、貴族の息子の線は無し・・・・・・っと」
「ちょっ、何書いてんですか!」
フィーリア様は、帳面に何かを書き込んでいた。
覗きこんでみると、俺の好物と思われるもの、能力と思われるものなどが書かれていて、それらを関連付けて、俺の正体を特定しようとしているようだった。
「スカイの正体を解き明かしてやろうかしら、なんてね」
「・・・・・・勘弁してください」
「ふむふむ・・・・・・明かされたくないことがある、と」
・・・・・・もうやだこの人。
知らぬ間にたくさんの情報を開示していた己自身にも、嫌気が差した。
飯が旨い。でなければ、やってられないこの職場。
午後の魔法学の授業を遠目に見ながら、主人への対処の仕方を考える。策を労さねば。でなければ、特定される。
「ねぇ、スカイ?」
「授業中ですよー・・・・・・?」
午前に引き続き、午後も話しかけてきた主人に、ため息が出る。
「ちょっと魔法出してみて」
「無茶言わないでくださいよ!?」
流石に魔法までは習っていない。どうやら才能がないらしく、基礎の段階でジジイに見捨てられた。
「私、流石に魔法は出せませんて。筆記なら勉強すればあるいは・・・・・・ですけど」
「なぁんだ、スカイならできると思ったわ」
「俺はあんたん中で完璧超人だったりするの?」
思わず素が出てしまう。この人は俺にどれだけ期待しているのか。
「ふふっ。私にもスカイに勝てること、あったわねっ」
手の平に水の玉を浮かべながら、得意気に言うご主人様。フィーリア様は水属性か。
すごく嬉しそうな笑顔なので、ひとまずは俺に魔法の才がなかったことを神に感謝する。というか言うほど俺、フィーリア様に勝てるもの持ってないけどな。
「そりゃあ、私に魔法の才能ありませんし」
「何でそんなことわかるの?」
「あ"」
普通の孤児は自分に魔法の才があるかどうかなど知らない。確かめようがないのだ。俺のように魔法を使える人と暮らしてでもいなければ。そんなの稀も稀、レアケースもレアケースだ。
「ふむふむ・・・・・・スカイは、魔法使いが身近にいた環境で育った、っと」
「ちょっ!何書いてんですか!?」
「これは、スカイの正体がわかるのも時間の問題ねっ」
「いっそその帳面燃やしてしまおうか・・・・・・!」
これは本当に何とかしないと俺の正体バレるよ本当・・・・・・。
「じゅ、授業中、ですよー・・・・・・」
魔法学の家庭教師が何か言いたそうだったのと、フィーリア様から逃げたいのとで、俺はそそくさと部屋のすみに舞い戻った。
「ふふっ」
まあ、フィーリア様のイタズラっぽい笑顔が眩しくて綺麗だったし、よしとするか。何もよくないけど。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
「一日が濃い・・・・・・」
どっと疲れが出た。なんだこれ、まだ一日目だったはず。内容が濃すぎる。終始フィーリア様に振り回されていた気がする。
「あぁ~ベッドふかふかぁ・・・・・・」
飯とベッドが良質じゃなければ、やってられねえよ、こんな仕事。体は大して動かしていないのに、精神面の疲れが大きすぎる。
まぁ、その分フィーリア様が笑っていたし、飯も旨くなるし。よしとしよう。何もよくないが。
ベッドに完全に倒れ込む。それだけで、無上の心地だ。このまま安眠と決め込もう。
そう、思っていたのに、
「スカイ、起きてるかしら」
・・・・・・追加労働来たよ。本日はもう閉店です・・・・・・。
返事はしない。起きてることが知れたら、ベッドから立ち上がらなければならない。
「ねぇ、起きてるんでしょう?灯りがついてるの、わかってるんだからね」
知るか、もう労働時間は終わってるんだよ。眠らせて頂く。
「・・・・・・」
「・・・・・・ね、ねえ?寝てるの?起きてるのよね?無視してるの?ねぇ、ねぇったら!」
なんか焦り始めたぞ、あとうるさい。安眠とはほど遠いな、帰って頂きたい。
「・・・・・・」
「・・・・・・ごめ、なさいっ・・・・・・ごめっ、ごめんなざいっ」
なんか声が震え始めたのでベッドから飛び起きた。
「ちょおっとぉ!?ま、待ってください!無視して悪かったです!何泣いてんですかぁっ!」
走って部屋の扉へ向かう。勢いそのままに扉をこじ開けると、
「あいだぁっ!?」
「あっ」
・・・・・・あ、そんな近くにいたんですか、フィーリア様。
急にあいた扉に頭を強打したようで、フィーリア様はしゃがみこんで悶絶していた。
「大丈夫ですか!?」
「や、やったのはスカイじゃないっ・・・・・・!」
「普通、扉に張り付いてすすり泣いてるとは思わないですよ!」
「・・・・・・ぁ。ごめん、ごめっごめんなさいっ・・・・・・」
自分が泣いていた理由を思い出したらしく、また泣き始めた。おおう、泣き虫。
「ちょっ、泣かないでったら!俺何も怒ってませんて」
「・・・・・・私がしつこいから、怒ったんじゃないの?」
自覚あるなら夜に扉をノックし続けるのは止めて頂きたい。
「怒ってないです」
「本当に?」
「本当ですから。もう泣かないでください」
履いているズボンのポケットをまさぐる。そして綺麗に折り畳まれたハンカチを手に取ると、フィーリア様に差し出す。
「・・・・・・ありがと」
「育て親の入れ知恵です」
「やっぱり、貧民街育ちじゃないのね」
「貧民街育ちですよ、一応」
約三年ほど森の中に潜伏してたけどな。
「そう。やっぱり、教えてくれないのね」
「何をでしょうか?」
我ながら質の悪いとぼけ方だ。案の定、フィーリア様は燃え上がった。
「いいわ、見てなさい。絶対にあなたの正体を突き止めてやるんだから」
「・・・・・・」
もうやだこの人。苦笑いしかできない。
「で、今日は一日どうだった?」
本当に表情のよく変わる人だ。泣いたと思ったら、今度はこちらを心配してくれる。
「精神的に疲れました。これがまだ一日目だと思うと、ストレスでぶっ倒れそうですよ」
「そんなに?何か疲れることあったかしら」
・・・・・・お前じゃご主人サマ。
「主にフィーリア様のせいですね」
「え?何故?」
「あんたが一日じゅう勘繰り入れてくるからだよっ!こっちは口を開く度に頭回転させなきゃならない!もうウンザリだ!路地裏に帰らせて頂くっ!」
「えっ、それは嫌!逃がさないわよ!」
あんたちょっと前に人生まで縛るつもりないとかぬかしてなかった?
「貴方と話すの楽しかったわ」
「はあ、それは光栄ですね」
「こんなに感情剥き出しで向き合ってくれたの、家族以外で貴方が初めてなの」
どこか寂しそうに目を伏せるフィーリア様。
「ほら、私、こんな『眼』だから。あんまり近づくと心を読まれるとか、あることないこと言われて」
「へ?俺の心読んでたんじゃないんですか?」
「してないし、できないわ」
では、昼間のは全部本当にカマをかけられただけだったのか。まあ、確かに心を読めるのなら、わざわざ聞かなくてもジジイのこととかお見通しだよな。
「私に視えるのは精々、相手が私に向けてる感情が友好的なものかどうかと、相手がどんな色の心を持っているかくらいだもの」
「色?心に色なんてあるんですか?」
「貴方の心は少しくすんだ黄色。でも、誰かを・・・・・・最近だと私だわ。私を気遣ってくれる時、すごく綺麗で純粋な黄色になるの」
「へぇ・・・・・・」
正直、何言ってるかよくわからないけど。俺のこと褒めてくれてるのはわかる。
「私、適当にあなたに声をかけたわけじゃないのよ?」
少し考えて、貧民街でのことを指しているのだとわかった。
「じゃあ、最初から俺の心の色を見て、助けを求めたと?」
「そう。まぁ、最初にあなたが私に向けた感情は、友好的とは言えなかったけど」
「ここだけの話ですけど俺、フィーリア様が追われてなかったら、そのまま拉致するつもりでしたよ。金銭目的で」
「え!?嘘!本当に?」
そこまで驚くか?貧民街の連中はこれよりもっとひどいこと考えるぞ。
「まあ、結局しませんでしたけど」
「そういうところね」
「え?」
急に核心を突いたとでも言いたげに、フィーリア様が笑った。
「人は誰だって奥底に悪意を持っているの。それを押さえ込んで他者に優しくできるか、はたまた悪意を隠しもせずに他者を傷つけるか。そういうところが、心の色になるから」
「つまり?」
「他者を傷つけることを思い付いても、結局実行しないで助けられるのなら、その人は善人と言って差し支えない。大事なのは行動。人のために動ける人は、いい人よ」
「・・・・・・ごめんなさい」
思わず頭を下げて謝ってしまう。
「どうして謝るのかしら?」
「いえ、結果論は別に、俺。フィーリア様を傷つけようとしましたから。そこは、ケジメとして」
やったやってないじゃなくて未遂であるから。結果とは別にそういう未来があり得たのなら、俺は彼女に謝罪する義務がある。
「そういうところが、あなたは綺麗なのよ?」
つくづく笑顔の似合う少女だ。まるで花みたいとは、まさにこのこと。フィーリア様の浮かべる笑みを見ながら、そんなことを考えてみる。
「ふぁぁぁ・・・・・・」
フィーリア様が欠伸をする。もう結構遅い時間だ。
「眠いんですか?」
「ええ、まあ。貴方が来る前はこの時間はとっくに寝てた」
「寝る子は育つって言います。成長期なんですから、早く部屋へお戻り下さい」
「子供扱いね。私とスカイって、同世代だと思うけど」
不満そうに頬をふくらますご主人様。そういう表情もできるんだな。
「少なくとも俺は十一歳です。フィーリア様は?」
「・・・・・・十歳」
「じゃあ俺より子供だ。寝ましょう、せっかくの素材なのに、成長止まっちゃもったいない」
彼女の容姿は、そんじょそこらの女性よりだいぶ整ったものであると思う。比較対象がかなり少ないが、少なくとも将来的にかなりの美人になると見えた。
「? どういうことかしら?」
俺の発言の意味を汲みとることができなかったらしく、フィーリア様はキョトン、と首を傾げた。どうやらこの人は己の容姿に無頓着らしい。けっこう可愛い顔してるのに。
しかし、無自覚な魅力というものも、確かにあるわけで。
「わからないならわからないでいいです。さ、部屋へお戻り下さい」
「・・・・・・まぁ、いいわ。おやすみなさい、こんな遅くにごめんなさいね、スカイ」
「はい。お休みなさい、フィーリア様。後、夜に扉叩くのやめてください迷惑です」
「善処するわ。ーーーーーーーーーバイバイ」
少し歩いたところで振り返ったフィーリア様が手を振るので、軽く頭を垂れる。なぜか不満そうだ。
「・・・・・・こっちか?」
試しに手を振り返してみることにする。満足そうだ、どうやら正解であるらしい。
そうして、部屋に戻り、ベッドへ向かう。良質なそれに寝そべると、いろんなことがどうでもよくなるようだった。でも、ひとつどうでもよくないことがある。
「あの人、勘繰り入れてくる件、うやむやにしやがった」
おのれ策士。閉じた瞼の裏で、油断ならないご主人様が、イタズラっぽい笑みを浮かべていた。
こいつらホントに十歳と十一歳かよ。会話が子供のそれじゃない。マセガキどもめ。