表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたと共にいられるなら。  作者: 某某
第一章 出会い編
1/18

第一章01 あなたと出会ったあの日、この日。

大まかな構想は最後までしてありますが、エタる可能性があります。どうか、温かい目で見守ってください。



 あの人に貰った全てが、今の俺をつくっている。




****




『お前、名前は?』


『そんなもの、持ってない』


 ジジイはおかしな人だった。孤児でいつ死んでもおかしくなかった俺を、拾ってくれた物好き。


『じゃあ、お前は今日からスカイ、だ。お前の名はスカイ』


 名前は確か……ユズル・ナリタ。変わった名前をしていると思った。どこか呼びづらいような響きで、結局最後までジジイ呼びのままだった。

 不思議な知識をたくさん蓄えていて、毎日毎日それらを文字に起こしていた。何故そのようなことをするのか? 聞いてみればただ、書き残しておけば誰かの役に立つかもしれないから、と。俺の頭を撫でながら言った。そして、その誰かがお前であればなおいいな、とも。

 あの人に拾われて共に過ごした3年間。俺は、彼に知識と、礼儀作法なんかをびっちり仕込まれた。


『もう暗算でここまで解けるのか……ここ(・・)の平均よりだいぶ早い。お前、頭がいいみたいだ』


 どうやら俺は地頭は悪くないようで、一度覚えたものを忘れることはなかった。

 『何もできなかったボクの代わりにお前には何かを成して欲しい』ジジイの口癖だった。どうやらジジイは昔口にするのも憚られるような大失敗をしたらしく、国に追われる身だと言う。当時、温厚で理知的な老人という印象を彼に抱いていた俺は、ジジイが国から追われるほどの大罪人であるなど、想像もつかなかった。


『旨いだろ? 久しぶりにジャムをつくってみたんだ』


 その日その日を生きるのも苦しくて、


『甘い!旨い!なんだこれ!』


『はははっ。ジャムついてるぞ?そんなに焦るな、お前の分だ。誰も取らないよ』


人の愛に餓えることすら忘れていた俺に、ジジイはたくさんの愛情をくれた。


『すごいな、スカイ。これは本当に学者にでもなれるんじゃあないか?』


 憎み合ったりこそすれ、無条件に愛をくれた存在など、今まで誰一人いなかった。


『ジジイが教えてくれたおかげだよ。その、ありがとう』


最初は反発してた俺も、次第にジジイを慕うようになっていった。


『どうして、ジジイは俺を拾ってくれたんだ?こんな、汚れた孤児を』


『孤児かどうかなんてどうだっていいんだ。ボクはただ、お前から、何かを成し遂げられるだけの意思を感じた。お前が何者かなんて、ちっぽけな話だよ』


 ずっと、この人のことを追いかけていよう。そう思えた瞬間だった。

 そんな愛ある温かな環境が壊れたのは、本当に唐突だった。

 ジジイと暮らしていたログハウスに、火が放たれた。国の追ってに、遂に見つかってしまったのだ。俺と出会った時の時点で相当な老いぼれだったジジイは、既に己の力のみでベッドから立ち上がることすら困難になっていた。


『ボクはもう駄目だ。スカイ、一人で逃げるんだ。ここは森・・・・・・巧く撒けば、お前だけは助かる』


 正直、端からこの人に逃げるつもりなどなかったのではないかと思う。追われる身でありながら、森の中とはいえ堂々としていたし、隠れる素振りなど微塵もなかった。


『さ、させない! 逃げるかよ! ふざけるな、ジジイ!ジジイも一緒にここを出るんだよっ!』


 必死にジジイを外へ連れだそうとする俺を、ジジイは突き放した。己の死を受け入れるだのと抜かしやがった。

 説得する時間はなかった。火を消す手段もなし。それでも諦めなかった俺にジジイはこう言い残した。


 『お前に成せることを成して欲しいんだ』


 いつの間に詠唱していたのか、俺に対して強い風魔法を当てると、ログハウスの外まで押し出した。

 直後に玄関は焼け崩れ、そのままログハウスは完全に炎に包まれた。


『ジジイィィィィィィィィィィーーーーーーー!!!』


 また、一人になった。






 その後のことはほとんど覚えてない。気がつけば森を出て、ジジイに出会う前に暮らしていた貧民街にいた。

 不思議と、家を燃やした奴のことを、恨む気にはならなかった。それだけのことをしたのだと、ジジイがよく俺に言い聞かせるようにして言っていたからかもしれない。まるで、こうなることがわかっていたかのようだ。

 残ったのは、胸にぽっかりと穴が空いたようなとてつもない喪失感。大切な人を喪う苦しみを初めて知った。知りたくもなかった。

 帰ってきた貧民街。そこは悪意の溜まり場。裏社会も裏社会。闇の中の闇とも言える場所で、ジジイのような人は、どこにもいない。口にできる物などほとんど手に入らず、手に入ったとしても、腐りかけであれば上々。悪ければ、元の原型すら留めていない、異臭を放つ物さえ、摂らねば死んでしまうような環境。しかしそんなものを口にすればたちまち腹痛で苦しむことになる。本当にどうしようもない環境。次第に、忘れかけていた人の悪意に、俺は侵されていった。

 そうだ、人は本来冷たくて、悪意にまみれた存在なのだ。ジジイのような存在は、本当に稀な人種なのだ。

 適度に肉がついていた体は皮が貼り付いただけの痩せ細ったものに様変わりした。戻った、という表現が正しいのかもしれないが。










ジジイが死んでからどれだけ経ったのか、日付を示す物など貧民街にあるわけもないので、わからない。感覚として、一年は経過したのではないかと思う。


 ――その人に、出会った。


「道に迷ってしまったの。ここってどこかわかる?」


一目で町娘などではないと分かった。今この場ではあまりに浮いた幼いながらも魅力ある美貌、そして気迫。その少女は貴族の娘だろうと察した。

 お忍び用なのかなんなのか質素で飾り気が少ないが、明らかに品質のいいドレス。絹のような長い茶髪は後ろで纏められていて、ややつり目で不機嫌そうだが、それを補ってあまりある整った容姿だった。


「どこって・・・・・・ここは貧民街」


「そうなの。良かった。会話、できるのね」


 バカにしているのか?流石に孤児でもある程度はしゃべることはできるだろう。

 露骨に安堵した様子の少女を見据え、なんとも言えない嫌悪感を覚えた。


「できれば、大通りに戻りたいの」


「・・・・・・」


 つまり、道案内しろ、ということだ。何故縁も所縁もない・・・・・・豪勢な暮らしを送る憎悪の対象であるところの貴族を、何故助けてやらねばいけないのか。

 ――いや、もしやこれは、チャンスなのではないだろうか?

 不安げに揺れる少女の瞳を見据えながら、内心ほくそ笑む。


「・・・・・・いいよ、案内する」


「本当に? 助かるわ、ありがとう」


 身なりを見る限り、いいとこのご令嬢サマだ。このまま、拉致なりして、こいつの家から金を巻き上げるのがいい。


「・・・・・・こっちだ」


 そうして、どこか拘束するのにちょうどいい場所を探そうとして、


「いたぞー! あのちびだっ!!」


「っ!」


 少し離れた位置から聞こえた叫ぶような声。それに、少女は過剰なまでに反応した。どうやら、こいつに向けられたものらしい。


「・・・・・・私、追われてるの! お願い、助けて」


 怯えた様子で俺にすがる少女。恐らく、俺と同じようなことを考えた奴が他にもいるのだ。簡単に人は悪に堕ちる。それが餓えなどの極限状態であればなおさら。それに、金だけではないのかもしれない。見たところ俺と同い年か少し下くらいの見た目だ。つまり、10歳に届くか届かないかと言ったところか。まだ幼いと言って差し支えないが、その容姿は将来多くの男を虜にするであろう美しさの片鱗既に見せ始めていた。不埒なことを考える奴がいても何らおかしくはない。ようするにこの悪意にまみれた貧民街において、この少女ほどの格好の獲物はいない。


『人には優しくしておけよ? いつか巡り巡って、優しくした分、お前にもいいことがある』


 何故か、ジジイの声が頭をよぎった。


「お願いっ・・・・・・! 助けてっ・・・・・・」


 涙目にすらなっている少女を、どこか冷静に見下ろす自分がいた。

 冷静になってよく考えてみろ。拉致なんてして何になる?金を要求するにしても、拉致したことをこいつの保護者に伝えねばならない。そうすればどうなる?そのときは確かに俺の要求を聞いて娘のために金を出すかもしれない。しかし、そう何度も使える手じゃない。いつか、俺は確実に衛兵に捕まり、ブタバコ行きになる。第一、こいつの身分がどれほどのものかも、一切把握できていない。それであまりに地位の高い家柄の令嬢であったら、連れ去るのはまずい。敵が強大すぎる。

 やはり、少女を連れ去るのはリスクが大きすぎる。ならば、放置するべきか・・・・・・?

 脳裏に、誰かに捕まり、泣きながら助けを求める痛ましい少女の姿が映った。

 先ほど少女は道に迷ったのだと言った。確かに貧民街はとても入り組んだ区画であり、ジジイに拾われる前と現在に至るまででそこそこの年月をここで過ごした俺だが、今だ全容を把握しているとは言えなかった。つまりは、初見であろうこの少女が自力で大通りに出られる可能性は薄い。今ここで俺が彼女を見捨てれば、追っ手に捕まって・・・・・・何をされるか、わかったもんじゃない。

 正直、赤の他人なのだから、こいつがどうなろうと構わない、はずなのだが・・・・・・。


『お前に成せることを成して欲しいんだ』


俺に愛をくれた老人の、願い。人助けをしろ、他人を尊重しろ。ジジイはいつも、他者を慈しむことの重要性を説いていた。

 そして、それを死してなお俺に求めるというのなら――


「・・・・・・ついてこい。走るぞ」


 ――既にこの世にいないとしても。あの人の願いであるなら、聞くのが道理であり、恩返しだろう。



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



 それからどれほど走ったか。予想以上に追っての数は多く、まずは撒かなければ逃げ切れないと判断し、貧民街をぐねぐね、ぐねくねと駆け回る羽目に。

 やっと撒いたかと思った頃にはすでに日が傾き始めていた。


「助けてくれて、本当にありがとう」


 大通りは目と鼻の先。無事、貧民街を抜けた。


「いや・・・・・・大したことはし、て・・・・・・な・・・・・・あ、れ・・・・・・?」


「へ・・・・・・?」



 視界が霞んだ、足に力が入らなくなる。徐々に地面が近くなっていくのを感じながら、己の転倒する音がどこか他人事のように耳に届く。

 どうやら、ただでさえ足りてない食事量なのに、そんな栄養の不足した体を数時間ほぼずっと走り続けるなどして酷使した結果、遂に活動限界が来たらしい。訪れるは、意識の暗転。はりつめていた糸がプツンと千切れるように、俺は意識を手放すしかなかった。

 願わくば、そのまま餓死して天に召されることがないように。

 願わくば、少女が愛する人のいる温かな所に無事、帰れるように。


「大丈夫!? ねえ!? ねえったら!――――」


 己を案じる声が、妙に心地よかった。





::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::











「ぅあっ・・・・・・ぁ?」


 一瞬、ジジイのログハウスにいるのかと思った。なぜなら、貧民街の寝床とは比べ物にならないほど温かく、柔らかいベッドで寝ていたから。しかし、目が覚めて最初に目に入った真新しい真っ白な天井は、見覚えのないもので。


「どこだ・・・・・・ここ」


 上体を起こし、現在の状況を把握しようと周囲を見渡す。

 俺の眠っていたベッド。その真横に窓があり、日差しが差しこんでいる。どうやら壁に面して設置されているようだ。ついでに、太陽の光が入り込むということは、昼間であることは確か。後はベッド横に机。反対側に対象になる形でついた窓の横に、タンス。床は絨毯が敷かれている。

 庶民の家ではない。部屋があまりに大きすぎる。これと同じ大きさの部屋が他にもあるのなら、それはもう豪邸と言って差し支えない。

 庶民じゃないなら、貴族の家? だが、生憎と貴族の養子になった覚えはない。では、ここで寝ることになっていたきっかけは何か?

 意識を落とす前の記憶をたぐり寄せる。貧民街、浮いた美少女、追っ手、涙目、栄養不足、意識暗転・・・・・・そうだ。俺は疲労と栄養の不足した体から、大通り目前で意識を手放した。では、ここはあの少女の家?俺は、貴族に介抱されたというのか?

 そこまで考えたところで、不意に部屋の扉が開いた。咄嗟に起こしていた上体を倒し、今起きた(てい)を装う。


「・・・・・・起きていましたか」


 入ってきた女性が身に纏うのは、簡素で動きやすそうなドレスと頭にはヘッドドレス、だったか?確か、ジジイに教わった貴族の生活環境の中に、そんなものを使用人が付けると記されていた気がする。つまり服装からして使用人。その使用人は、俺を忌々しそうに目で見据えた。


「・・・・・・これに着替えなさい。朝食はすぐに持ってきます。それまでに、着替えるように」


 俺の横になっているベッドの横の机に着替えのような物を置くと、足早に出入り口へ戻っていく。

 バンッ!と、己の内なる感情を扉にぶつけるように、使用人は去っていった。当然の反応と言える。何故か貴族の家にいる俺だが、その正体は孤児。どこの誰とも知れぬ存在であり、醜く汚れた存在。本来なら、近寄ることすら嫌悪される存在であろう。やはり、ジジイは変わりものなのだ。

 とにかく着替えがあるならありがたく頂戴する。綺麗に折り畳まれたそれらは、どうやらワイシャツと黒い長ズボン、下着類であるようだった。ボタンを止めるのは億劫だったので、ワイシャツは袖だけ通して前は閉めず。ズボンはベルト付きで、なるたけキツく閉めようとしたら、痩せすぎていて不格好だった。いくらか余裕を持たせることにする。

 着替えが終わる頃に、使用人は戻ってきた。また何も言わずに扉を開けると、今度は嫌悪とともに僅かな驚きを瞳に滲ませ、俺を見た。


「一人で、着替えられたのですか?」


 その言葉を聞いた途端、ヤバイ、と気がついた。貧民街の住民は、わざわざ服を着替えたりはしない。着替える必要などその汚れきった垢だらけの体では必要のないことだから。その上、こんな綺麗に整った服など、孤児がお目にかかれるものじゃあない。・・・・・・俺のような、物好きに拾われでもした稀な存在でもなければ。


「・・・・・・着方は、親に教わりました」


「親?」


 訝しむような目。必死に頭を回転させ、この場を乗りきる算段を立てる。ジジイは大罪人だ。問答無用で住みかを焼かれるくらいの罪を犯した。その関係者とバレれば、何をされるか分からない。素性は隠しておいた方がいいかもしれない。


「父は顔も知りません。母は娼婦でした。一度だけ、どこかの役人様のお相手をしたことがあるらしく、その際に知ったらしいことを、私は母に教えてもらった通り、実践したまでです」


「・・・・・・」


 自分でもよく捻り出せたと思うような(しつ)の悪い嘘話。父どころか、なんなら母の顔すら知らない。

 やはりというべきか、使用人は俺を疑うことを止めない。


「・・・・・・まあ、いいでしょう。これを食べたら、その汚い体を洗いにいきます」


 そう言って、簡単な料理の乗った盆を置く。代わりに、その手には俺の纏っていた布切れが仕方なく、といった風に持たれた。

 正直、体を洗うつもりなら、着替えるのはその後でよかったじゃないかと思ったのだが、後から小耳にはさんだ話によると、この時俺は、自力で着替えることなどできないと思われていたらしく、そのまま着替えないでいた俺のことを、この使用人は心の中で嘲笑うつもりだったようだ。

 その事を俺が知るわけもなく。内心悔しく思っている使用人には目もくれず、朝食のメニューを見た。

 柔らかそうなパンに、とろとろになったマーガリンが乗せられている。握り拳ほどの大きさのそれが、二つ。新鮮そうな野菜が盛られた皿。ここまで水々しそうなものは、下手をすればジジイと暮らしていた時でもお目にかかれなかったかもしれない。そして、オレンジ色の液体がグラスに注がれている。これは見たことがない。オレンジとかいう果物の果汁、だろうか?知識の上では知っている。


「・・・・・・また、食べ終わった頃には来ます」


 使用人は言い残してまた去っていった。もう、俺の耳にその言葉は届いていない。目の前のご馳走にのみ、興味を向けていた。

 まずパンを食べる・・・・・・が、手が余りに汚れているため、置かれていたフォークを刺した。マナーとしては最悪だろうが、空腹を前にそれは無意味。とにかくかじる。・・・・・・旨い。仄かに甘味を含んだ味わいで、柔らかい生地は溶けていくかのようだ。そこにマーガリンが加われば、それはもうご馳走を超えた何かだ。勢いは止まらず、あっという間に一つを平らげる。

 次に野菜。盛られたそれらにフォークを刺して、抜き出す。刺さったままフォークに残った物を、口へ運ぶ。凄い、噛むと水が溢れ出すようだ。やはり、見立て通りジジイの野菜より旨い。

 半分ほど盛られていた野菜を食らうと、大本命――オレンジ色の液体に目を向ける。グラスに手を伸ばして、掴みとる。どんな味がするのだろう。早く早くと急かす心を必死に抑え、口に運んだ。


「・・・・・・旨いな」


 甘い、適度に酸っぱい。絶妙なバランスで生まれた味わいは、その濃厚な液体がやはり果汁であることを指していた。かなり濃度が高いらしく、水で薄めた様子がない。

 そのまま、俺は手を休めることなく、朝食を楽しんだ。どうやら俺はだいぶ少食になってしまったらしく、この量の食事でも大満足だった。





::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::










「タオルです。これを使いなさい」


「あ、はい・・・・・・ありがとう、ございます」


「手早くしてください」


「はい・・・・・・」


 連れてこられたのは、屋敷の噴水の前だった。どうやら、噴水の中で体を洗え、とのことらしい。おい、流石にそれは酷くないか?

 しかしまあ、体を洗うなど久しぶりだ。それが噴水でのことだったとしても、嬉しいものは嬉しい。割りきろう。

 使用人が去ったのを確認して、ワイシャツとズボンを脱ぐ。そして下着も。

 一糸纏わぬ姿になって、足を踏み入れる。今日は春とはいえギリギリ温かいからいいものを、これが冬だったら凍え死にする。

 まず、足元に流れていく水が、濁った。それを見ただけで、いかに自分が汚れていたかが再確認できた。この汚れが全て己の肉体に染みついていたものだと思うと、すぐに洗い落としたいという気分になる。おそらく一年ほど麻痺していた、汚れへの嫌悪感が甦ってきた。

 爪を立てて体を掻き毟る。それだけで、水は黒に近い茶色まで変色した。掻いて、流す。掻いて、流す。それを何十回と繰り返すうち、やっと水が濁らなくなった。

 案外噴水での水浴びもバカにできない。冷たくて気持ちがいい。またいつか噴水に飛び込んでみたいな。

 頭のおかしいことを考えながら噴水から出て、タオルで体を拭く。一通り水気がなくなると、ワイシャツやらを見に纏った。タオルは、頭にでも乗せておく。



 数十分後、使用人が戻ってきた。その顔に、またも驚愕を貼り付けて。


「また、ずいぶんと早く終わったものですね。・・・・・・あなた、歳は?」


「恐らく、十一歳ほどではないかと思います。孤児で、既に両親も他界した身。正確な年齢は、もう分からないです」


 一瞬憐みの念を感じた。孤児に同情する程度には思いやりがあるらしい。


「そうですか。・・・・・・しかし、その十一年の汚れが、よくもまあこんな短時間で」


 だって、ジジイと暮らしていた間はちゃんと体洗ってたしな。


「爪が伸びているので、それで掻きました。だからかもしれないです」


 あながち嘘でもない。本当に爪は伸びきっていて、垢を落としやすかった。偽りの中にほんの一滴真実を落とすだけで、偽りには真実味が帯びると言う。ジジイの教えである。


「そうですか。ではこの後は部屋で待機」


「はあ」


 いつまででしょうか。


「貴方への対応は、この後話し合いで決まります」


 できれば、すぐにでも解放して欲しいのが本音だ。別に礼が欲しくて少女を助けたわけではない。ただただ、その後彼女の身に降りかかったかもしれない悪意を思うと、放ってはおけなかった。他者を大切に。ジジイに植え付けられたと言っていい、面倒な考え方だ。

 それにこのままここにいれば、存在を抹消されるのではないかという懸念が少々。貴族にとって、貧民街の人間に恩があるなど、面倒の種にしかならないだろう。今後もそれを理由に揺すられたらたまったものじゃない。貧民街の人間など、悪意の塊と言っていい。当の貧民街の人間が言うな、という話だが。結果的に少女を助けた形になった俺でさえ、最初は彼女を拐ってやろうなどと考えていたのだ。ジジイの言葉に邪魔されたが。

 貧民街に戻るのは嫌だが、ここにも残るわけにはいかない。はてさて、どうしたものか。ここを逃げ出すか?――いや、下手をすれば消される。では、ここに残って処遇を聞くか?――いや、下手をすれば消される。詰みだ、どうしようもない。ここは運命に任せるしかないのか・・・・・・。

(おの)が未来に死の色が色濃く宿っているのを思いながら、俺は使用人の後に続くことしかできなかった。






::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::








「おはよう。で、いいのかしら」


「・・・・・・ああ、やっぱりお前の家だったか」


 それからまた一時間ほど経っただろうか。件の少女が、部屋に現れた。やはり、見ず知らずの貴族に介抱されたわけではなく、少女の自宅であるようだった。

 自分の家であるというのに、また飾り気の少ない質素なドレスを着ている。もしかしたら、そもそもお洒落に無頓着な奴なのかもしれない。後ろで結んでまとめていたはずの茶色い長髪は解かれ、サラサラと空いた窓からの風に靡いていた。改めてみると、かなり愛らしい顔立ちをしている。少しつり目で、気が強そうではあるが。


「お前が来たということは、俺の処遇が決まったということでいいのか?」


「処遇?なんのこと?私は、ただ貴方に会いに来ただけだわ」


 こいつはその話し合いとやらには参加していない、と。

 

「・・・・・・俺に何の用だよ」


 途端、相手にするのが億劫になった。


「お礼よ。助けてくれたお礼。貴方がいなければ、私は今ここにいなかったと思うもの」


 律儀なことだな。貴族っていったらもっと傲慢で我儘で助けられるのが当たり前とか考えてる人種だと思っていたが。


「・・・・・・んなのいらない。俺は、報いたかっただけだから」


「報いる? 誰に?」


「大切な人。もういない」


「そう・・・・・・」


 聞いてはいけないことを聞いてしまった、とでも思っているらしく、少女の表情は沈んだ。勘違いも甚だしいな、その程度で傷つくようなやわな精神だったら、あの貧民街を生き抜くなど到底無理な話だ。強いて言えば、少し空しくなる程度でしかない。

 それっきり、部屋は静かになった。少女は口をつぐむ。俺は、ただ話すことがないとばかりに口を開かない。こいつが無事であると確認できた、ただそれだけで十分だ。


「――貴方、名前は?」


 躊躇いがちに、沈黙は破られた。さて、名乗るべきか、偽るべきか・・・・・・。


「・・・・・・」


「安心して。悪いようにはしない。絶対に」


 俺の心中を覗いているのだろうか、こいつは。名前は無い、とは言わずに沈黙してしまった手前、偽名だろうとなんだろうと名乗らないわけにはいかなかった。


「・・・・・・スカイ」


 咄嗟に思いつかなかったから、本名と言っていいかはわからないが、名前を名乗る。

 大切な、家族とすら思える人に貰った名前。俺を俺とする、唯一の証。


「スカイ。『(そら)』、ね・・・・・・綺麗な名前だわ」


「・・・・・・本当にそう思う、か?」


「ええ。綺麗だし、かっこいいと思う。貴方に似合ってるわ」


 名を褒められるなど生まれて初めてだった。それも当たり前だ、他者に名乗ったことなど、一度としてないのだから。

 正直、すごく嬉しい。大切な人につけてもらった大事な名前だから。


「ねぇ、スカイ。ここで暮らしてみないかしら」


 名を褒められたことによる高揚感の余韻を嚙みしめていた俺に対して、その誘いはあまりに唐突だった。


「は?」


 多分、俺は今相当面白い顔になっているに違いない。開いた口が閉まらず、間抜けに聞き返す。

 こいつは、何を言っているのか。孤児を、家に受け入れるつもりか?それも貴族が。正気の沙汰じゃない。


「嫌だね」


 硬直が解けた途端、即答する。

 こんなところにいたら、いつ消されるかわかったもんじゃない。つね日頃から悪意にあふれた貧民街ならまだいい。つねに死の危険があるからこそ、警戒を解く必要はなく、周りに気を配ったままでいるから。だが、隠れた悪意など対処のしようがない。この家にはきっと、先ほどの使用人の様に、俺のことをよく思わない人間が一定数いることだろう。貴族の屋敷に、使用人が一人ぽっちとは考えにくいからだ。

 言ってしまえば、ずっと警戒するより、中途半端に安全な方が、もっとたちが悪い。


「どうして?――家族、いるの?」


 躊躇いがちなのは、それが地雷かもしれないと、先ほどの会話を元に、思っているから。確かに中にはそれが地雷になる者もいるかもしれないが、俺には地雷じゃない。物心ついたときにはいなかった両親のことなど、気にも止めていない。


「家族なんていない」


 もう、世界のどこにも。


「なら、いいじゃない。ここでは不満?」


「・・・・・・逆に聞くが、何で俺をここに置きたがる?」


 孤児を家に置きたがる心理がわからない。第一、そんな煙たい人種が自分の近くにいて何とも思わないのだろうか。


「何でって――恩人だからだわ。貧民街にいたら、いつか死んでしまう」


「恩人だと思うなら、放っておいてくれよ。俺は、ここの場所が苦手だ。早く出たい」


「でもっ!」

 

 少女はなお食い下がろうとするが、そこで会話は中断される。何故なら、使用人が現れたからだ。

 扉が開き、こちらの状況などお構いなしだとばかりに歩み寄ってくる。


「貴方の処遇が決まりそうです。旦那様がお待ちです、こちらへ来なさい。御嬢様も、どうかお下がり下さい」


 さて、生か死か。できれば生きていたいが、どちらにしても、もうここには居たくない。


「まだ話はっ」


「じゃあな、御嬢サマ。もう道に迷うなよ」


 何か言いかけた少女を遮り、使用人に続く。念のため、盆にあったフォークを護身用に隠し持って。
























 本棚が並び、奥に大きな机。その部屋は少しばかりジジイのログハウスの内装に似ていた。

 部屋の中にいる人間は五人。使用人と思われる初老の男、一際豪華な服に身を包む、赤い頭髪を短く刈り上げ、それなりに威厳を感じる顎鬚の男。そして、その護衛と見える鎧姿の男二人。最後に、俺。


「私は、ヴラド・グランヒールと言う。・・・・・・君の名は?そもそも、名乗れる名前はあるか?」


 その問いは、豪華な装いの男のもの。どうやら、この屋敷の主人であるようだった。やはり、それなりに高い身分であると予想する。


「・・・・・・ありますが」


「では、申すがいい」


「・・・・・・スカイと申します。当然ながら、家名は持ち合わせていません」


「そうか。まずは、スカイくん。娘を救ってくれたこと、感謝する」


 感謝されてる気がしなかった。ヴラドの顔は動かない。無表情に徹しており、宿っているのは貴族の威厳のみ。


「いえ、礼を言われるほどのことは」

 

 ジジイへの思いに従っただけ。ただそれだけのこと。


「謙虚なのだな。だが、礼をせずにはおれまい。何か願いはあるか?可能な限り、応えよう」


「いえ、特には」


 謙虚なのではない。ヴラドも、実際そう思ったわけではないだろう。素直に対価を求めてくる分には分かりやすいが、礼はいらないなどと言われれば、何か企んでいると思うのが自然だ。例え見た目が子供でも、中身は殺人鬼である、という奴だって、貧民街には存在する。

 人は見た目で判断できない。それを見事に体現している場所が貧民街なのだ。そこ出身の人間の言葉など、無条件に信じてはいけない。まぁ、俺は本当に対価を必要としていないのだが。


「ふむ・・・・・・」


 どうやらヴラドは、俺という人間の人物像を計りかねているようだ。それも当然か・・・・・・まず、俺が必要以上に自分を出していないのだから。

 これ以上勘繰りを入れられる前に、終わらせてあわよくばここを出たい。


「では、一つを宜しいでしょうか」


「おお、願いか。申してみるといい」


 流石に食いつくな。そのままのペースで受け入れてくれることを切に願う。


「私を、貧民街に帰して下さい」


「何?」


 残念ながら頷かれることはなく。訝しげに眉を細められた。


「私にこの場は眩しすぎます。多少薄汚れていても、住み慣れた場所の方がのびのびできます」


「君は、何者だ」


 怪しむような、恐れるような複雑に思惑の混ざり合った声音で問われる。


「質問の意味が分かりません」


「では、少し言い方を変えよう。聞けば、スカイ君。君は孤児だそうじゃないか。だというのに、その言葉遣い・・・・・・君と同世代の貴族の子でも、そこまで達者に口を動かせる者はまずいないぞ? どこで習った。君は、何者だ? 君は、何の目的で、娘を助けた? 君は、何なんだ・・・・・・?」


「・・・・・・」


 さて、どう誤魔化せばいいか。貴族相手なら、敬語を使うべきと判断したが、裏目に出たか。礼儀作法を教えてくれるのもいいが、それが丁寧すぎるというのも考えものだぞ、ジジイ。

 精一杯内心でも冷静を装ってみるが、少しずつ焦りが生まれてきてしまう。


「その、恥ずかしいのですが」


「何だ」


「御嬢様、と呼ぶべきでしょうか? 御嬢様が、あまりに美しく・・・・・・困っているのを見て、助けなくてはならない・・・・・・と咄嗟に思い、気づけば駆け出していました」


「それが、娘を助けた理由であると?」


「はい」


 流石に言い分が間抜けすぎるような気がした。ボキャブラリーのない己の頭に腹が立つ。


「では、その言葉遣いは?」


「はい。娼婦であった母にも少し習ったのですが、母亡き後、貧民街で私を何か悪事に利用しようとした輩に叩き込まれました。結局、彼らは捕まったようで、私は助かりましたが」


「それを信じろと?」


「信じろ、ではなく、真実です。グランヒール様」


 尋問でもされているかのような気分だった。いや、事実そうなのかもしれない。

 不安分子は取り除く。孤児など以ての外。さらに目的までわからないとなれば、本格的に対策を練らねばならない。

 だんだん言い訳が苦しくなっていく。そろそろぼろを出すと思う。頼むからこの家から出してほしい。もうこれ以上ここには関わらないから。


「そうか。それが、君の答えか」


「はい」


「では、君には消えてもらわなければなるまい」


 うわー・・・・・・やっぱり。結局殺されるらしい。返答次第では見逃してもらえたかもしれないが、それはあくまで可能性の上。どう答えようと、恐らく俺は消されていたのだろう。まず、信用されていない。

 殺傷能力が有りそう、かつ武器になり得る可能性があるのは、手持ちでフォークのみ。この場の全員の瞳に突き刺せれば、あるいは――まあ、無理だな。どうするか?ジジイのことを正直に言うか?いや、大罪人の関係者ということで殺される。ではどうする? どうしようもない。でも、もしかしたら何か手はあるかもしれない。わからない。どうしよう。殺される。まずい。死にたくない。どうすれば。一体どうしたら。

 頭が回らなくなる。自分の理解できる範囲を超えると思考が止まってしまう。度々ジジイに指摘された部分で、いまだ克服できておらず――、 


「――待って! 御父様っ!」


扉が勢いよく開け放たれる。開けた人物は、


「フィーリア? 部屋にいろと言ったはずだが?」


 ――少女だった。


「スカイは、お金が欲しいみたいなの! だから、私を助けてくれたのよ!」


ありもしないことを並べる少女――名前はフィーリアか。フィーリアは、俺を庇おうとしているようだった。何なんだこいつ。


「それは本当か?」


 ヴラドが尋ねてくる。俺の話よりも、娘が自ら発した言葉の方が、信憑性が高いと思ったらしい。先程のような疑う形の問いではなく、確認するような問い方。

半ば娘を信じているなら、これに便乗しない手はない。


「・・・・・・はい、恥ずかしながら。身分の高い方のようでしたので、手助けすれば報酬を頂けるかもしれない、と」


「何故、嘘をついた?」


「・・・・・・予想以上に高い身分のご令嬢だと分かり、恐れ多くなってしまったからです」


「ふむ・・・・・・」


 考え込むように唸るヴラド。

この男、どうやら娘には甘いらしい。信じてくれそうだ。このまま、何事もなくここを出られれば――、


「だから、御父様。お願いがあるの」


残念なことに、ことは思うように運ばなかったようだ。


「何だ?」


「スカイを、私の従者にして欲しいの」


「「「「「なっ・・・・・・!?」」」」」


 理解不能なことをのたまうフィーリア。この場の五人は唖然として硬直してしまう。

 指名された当人である俺は、もう頭が焼き切れそうなくらいだった。

 待て。何でだよ?何で俺を従者? は? え?


「さっきも言った通り、スカイはお金が欲しいみたいだから、従者として雇って、お給金をあげればいいと思って・・・・・・」


「そんな・・・・・・孤児ですぞ!? そんなどこの馬の骨とも知れない少年をっ・・・・・・!」


 口を挟んだのは護衛とは別の、使用人と思われる老人だ。

 この人物に賛同したい。どうか俺のような人間は屋敷の外に捨て置いてください。貴族に捕まるとか冗談じゃない。


「そんなの関係無いわ」


「何ですって!?」


「スカイは私を助けてくれたもの。そんな人が、悪人なわけないわ」


「いいのですか!? 旦那様!」


「ふむ・・・・・・」


「その、私の意思は・・・・・・?」


「お前はだまっとれ!」


どうやら俺の意思は関係無いようだ。

それぞれが喚いて、護衛は表情を曇らせ、ヴラドは考え込む。酷い構図だ。

そんな状況が数十秒続いた後、ヴラドが重い口を開いた。


「・・・・・・フィーリアは、人を見る()がある。そんな娘が言うのだから、確かに悪人ではないのかもしれない」


「旦那様!?」


 信じられない、といった形相で主人を見つめる老使用人。流石に娘に甘すぎるぞ。

 待て、このままでは本当にこの家で飼われることになってしまうのでは。


「認めよう。スカイ君、君は・・・・・・今日からフィーリアの従者だ」


本人の意思とは関係なく進められていく話。俺は認めてほしいなんて一言も言ってない。


「やったわ。スカイっ!」


 ホント何やってんだよ。

 己の提案が受け入れられて喜ぶフィーリア。そんな娘を見て頬を緩めるヴラド。信じられないとばかりにプルプル震えた老齢の使用人。胃を押さえている護衛二人、と。

そんな五者五様を眺めて、今の話がもう覆らない決定事項であると再確認した俺の口には、


「・・・・・・は、はははは・・・・・・」


 もう、掠れた笑いしか込み上げてこなかった。

 ・・・・・・これから俺の生活はどうなってしまうのでしょうか、ジジイ。

 天に召された老人が、サムズアップしているのが見えた気がした。

上手くいけば長期連載予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ