おるすばん
「じゃ、行ってくるから。いい子にしてなさい」
夜中に、お母さんが軽い足取りで家を出て行く。これから何をしに行くのかわからないが、いい子にしてなさい、と言われたからにはいい子にしていなければならない。
物音たてずに黙っていると、いつも誰かが話しかけてくる。
「やあ、また会ったね。きみはいつも一人だ。それはなぜ?」
「こんばんは。ぼくのお母さんはいまおそとにいっているから、ひとりなんだ」
「それは大変だ!寂しいだろう、僕が話し相手になってあげよう。」
このぼやけた何かはぼくの話し相手になってくれるようだ。わるいものじゃないと思う。
それからいろいろなことを話した。
「へえ、きみのお父さんはどこか遠くへ行ってしまったのかい?」
「うん。ずっと遠くにいっちゃったんだってお母さんが言ってた」
「そうか……」
ぼやけた何かは少し悲しそうな顔をした。
「一つ、君に良くないことを教えてあげよう。君のお母さんはきっと朝まで帰ってこないよ。そこで君は泣きじゃくりもしないだろう。」
「なんでそう思うの?」
「その頃には、君は知ってるからさ。色々なことを、ね。」
このぼやけた何かの言うことはよくわからない。
「昔話をしてあげよう。昔と言っても少し前だけど」
「僕は昔妻を持っていてね、二人とも働いていて忙しかったけど、それでも仲良く暮らしていたんだ。だがある時から妻の受け答えはやけにいい加減になり、話もあまり聞いてもらえなくなった」
ぼやけた何かが何を話そうとしているのかわからない。昔話にしてはやけに喋り方が普通だと思った。
「それから毎日、夜になると出掛けるようになったんだ。初めは何でだろうと思った。だけど次第に一つの理由が浮かんできた」
「それはなあに?」
「……話の続きをしようか。その理由を僕は、まさかそんなはずあるわけがないと思っていた。でも気になって気になって仕方がなかったんだ」
「ある晩、僕はこっそり妻の跡をつけてみた。妻が毎晩入り浸っている場所は近くのバーだった。そこをこっそり覗いてみると、妻は他の男と楽しそうに会話していた」
僕のおかあさんもそんなことをしているんだろうか。……なかったらいいな。
「裏切られたと思ったよ。僕が一人寂しくしている間、妻は他の男と楽しそうにしているんだ。思わず大声を上げてしまった。妻に気付かれ、その男はニヤけた面を見せていた。なぜニヤけているか気になったが、そのすぐ後に思い知ることになる」
「なにがあったの?」
「後ろに仲間がいたみたいで、その仲間から鉄の棒で殴られて、僕は死にそうになりながら妻の顔を見た。……妻は笑っていたよ。男と同じニヤけ顔で。そこで僕は息を引き取った」
このぼやけた何かはすでに死んじゃってるのか。
「ねえ、ぼくのお父さんはどこにいるの?」
「残念だけど時間切れだ。じゃあまた今度話そうか」
窓を見るともう日が昇っている。
「ただいま〜、って、まだ起きてたの?ちゃんとお留守番してたんでしょうね」
「うん。してたよ。…ねえお母さん」
「何よ?」
「ぼくのお父さんはどこにいるの?」
「遠いところよ」
「死んじゃったの?」
「違うわよ」
「そっか」
あの話を聞かなければよかった。ぼくにはもうおかあさんが魔物のように見える。もしかしてお母さんは、
「お母さん、お父さんを殺しちゃったの?」
「………何でそれを」
やっぱり、あのぼやけた何かは、
「お父さんが教えてくれたの。ここに来て。」
「………嘘でしょ」
「本当だよ?ほら、お母さん。後ろにいるよ?僕のお父さん!」
その夜、魔物は死んじゃった。多分最後に見たのは、お父さんの笑顔だったんじゃないかな?
☆☆☆
「………っていう夢を見たんだ、どう思う?お母さん」
「あんたそれで寝てる時高笑いしてたの?あんた性格どうかしてるわ。……しかも私完全に悪者じゃん!何でや!私結構一途やろ!」
「そうだね、お父さんに一途だねいつも」
「しかもあの人死んでないから!まだピンピンしてるから!今銀行で働いてるから!」
「そんなお父さんがお母さんは?」
「大好き!……って言わせんなこのバカ息子!」
今日も我が家は平和です。