表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

第2話

 午後から急に降り始めた雨のせいで校舎に閉じ込められてしまった生徒たちが不安そうに分厚い雲を広げた空を見上げていた。予報では晴れると言っていたので、傘を持っている生徒も少ない。

 「まったくもう、雨が降るなんて一言も言ってなかったじゃない。」

 ぶつくさと文句を言いながら上履きを履き替える椿に気付かれないように、私は椿の背後からワァッと声をかけた。飛び上がった椿は手にした上履きを振り上げて、それは、私の脳天を直撃した。思わぬ衝撃に頭を押さえてうずくまる私に椿は目を丸くして、うずくまる私に手を差し伸べた。

 「だ、大丈夫?」

 「う……うん。」

 「何してんのよ、いったい。」

 椿は中学のころ、少しの間だけボクシングジムに通っていたそうだ。ダイエットのためと聞いているが、この椿が自分の体重を気にするタイプとも思えない。とはいえ、そのボクシングで培われた怪力で叩かれた頭は尋常じゃないほどに痛かった。

 ごそごそとカバンを探って、小さな桜の花がプリントされた折り畳みの傘をとりだした。

 「じゃじゃ~ん。」

 見せびらかすように椿の前に突き出した。

 「桜にしてはやるじゃない! これで学校に閉じ込められなくて済みそうね。」

 椿はホッとしたように胸をなでおろした。しかし、私はその傘を守るように体を捻ると、椿に言った。

 「ダーメ。これは宮内先輩と相合傘するための傘なんだから。」

 「ちょっとぉ! 友達を見捨てる気?」

 「友情より愛情よ。」

 そう言って先輩の姿を探し始める私に椿はため息をついた。こうなったら走って帰るしかないなと椿が諦めかけたその時、二年生の下駄箱から靴を履いて出てきた福田梓が私たちに気付き、声をかけてきた。

 「あら、城野さんと……。」

 「谷口です。」

 すかさず椿が名乗ると福田梓はにこりと笑った。

 「福田梓です。」

 そう言って軽くお辞儀をすると、外の降りしきる雨を見て呟いた。

 「まったく、嫌な雨ね……。」

 「そうですね。」

 福田梓に歩み寄りながら、椿も同じように空を見つめた。

 「あの……。ひとつ聞いても良いですか?」

 その言葉に視線を椿に向ける福田梓。彼女の横顔は凄く整っていて、私は持っていた傘を胸の前でギュッと握りしめた。

 「なんで、桜の名前知ってたんですか?」

 「名前?」

 「あの時、『城野さん』って……。」

 しばらく思い出すように考えていた福田梓は、私を振り返り微笑んだ。不意を突かれた私は、咄嗟に背筋をしゃんと伸ばした。

 「宮内くんが話してたの。」

 「え……、宮内先輩が?」

 椿と私は顔を見合わせた。

 「妙な一年生が、会うたびに凄い勢いで喋りかけてくるって。」

 「それは、なんとも……。」

 妙というその一言に、椿は呆れかえり、私も恥ずかしくて顔から火が出そうだった。その空気を素早く察知した福田梓は、少し慌てたように付け加えた。

 「あ、でもね。彼、そんなに嫌そうではなかったわ。人から好かれるのは悪い気はしないもの。」

 「……え? って事は宮内先輩、気付いてるんですか? 桜が先輩のこと好きだって。」

 「バレバレだって言ってたわよ。」

 福田梓のその一言に私は凍りついた。そして、そんな私の後ろから、少し低い男の人の声が聞こえて、私は飛び上がった。

 「梓、こんなとこにいたのか。」

 会えばずっと私が喋りっぱなしだったせいか、こんなに間近で先輩の声を聞くのは初めてだった。

 「あ、新ちゃん。」

 「探したんだぞ。今日、俺、傘持ってきてないから。」

 「今日も、でしょ。」

 私の隣をすり抜けて、福田梓のもとへ行ってしまう先輩をなんとか振り返させなければいけない。いつものマシンガントークも、先輩が私の気持ちを知っていると気付いた瞬間にその威力を発揮できなくなってしまった。

 「あの! 宮内先輩!」

 強くなり始めた雨音をかき消すほどの大声で、先輩を呼びとめた私に、先輩も福田梓も、椿も目を丸くした。

 「好きです! 付き合って下さい!!!」

 校内に響き渡る私の告白に、その場に生徒全員の視線が私に集中する。振られると分かっていて、勢いで、しかもこんな公衆の面前で告白してしまった私は、今すぐにでもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 「ありがとう。君の気持ちは有り難いけど――――。」

 私は傘を握りしめた両手に力を込めた。

 「先輩は福田先輩の事が好きなんですか!?」

 先輩の言葉のその先を聞きたくなくて、私は視線の先で困ったようにおろおろと目を泳がせている福田梓の名前を引き合いに出した。昇降口には人が集まり、ざわめき始めた。この修羅場に突然、火の粉が飛んできた福田梓は、驚いたように目を大きくした。

 「だから私とは付き合えないんですか!?」

 先輩の顔が少し曇った。それは怒りだ。

 私は二人が付き合っていない事は知っていたし、福田梓が先輩を好きなのも知っている。以前、余裕しゃくしゃくで私を追いかけてきて「お互い頑張ろう」なんてふざけた事を言った女。ただ一言、困ったように戸惑う先輩の口から「付き合ってはないけど…」と、その言葉が聞ければ、私の気も少しは晴れただろう。しかし、その先に待っていたのは、そんな底意地の悪い私が想像もしないような展開だった。

 「城野さんには悪いけど――――。」

 「付き合ってないわ。」

 またもや、言葉を遮られた先輩は、福田梓の方を振り返る。その場にいた全員が息を飲んだ。いつもと変わらないのほほんとした雰囲気を身にまとう福田梓は、自分がこの修羅場を一手に引き受けるようなとんでもない発言をしてしまった事を感じさせない。けれど、どこかそれ以上、踏み込めないような、そんな雰囲気だった。

 「でも、私は新ちゃんのことが好きよ。」

 もう、あの時のように名前を訂正しようとすらしなかった。福田梓が先輩の事を『新ちゃん』と呼んだ事で、辺りはよりいっそうざわめき始めた。そして、こんな大勢の前で好きだと公言してしまったことに。

 「だから、私にもあなたの気持ちを止める権利がないように、あなたにも私の気持ちを止める権利もないと思うの。ここにいるすべての人が証人よ。お互い正々堂々と新ちゃんの彼女にしてもらえるように頑張りましょ。」

 そう言って、またにこりと笑う福田梓。凄い事を言っているにもかかわらず、そのおっとりとした喋り口調のせいか、それほど、場の空気をピリつかせない。まるで、オルゴールの音色でささくれ立った気持ちが穏やかになるように、その場の温度が段々と優しくなっていく。

 この人は、恐ろしい。恐ろしくて、私は福田梓に憧れている。私は不覚にもそれを認めざるを得なくなってしまった。


 「とてつもない敗北感……。」

 私は教室の机に突っ伏して、先日の昇降口での事を思った。校内は、その噂でもちきりだ。すっかり時の人となった私を一目見ようと、休み時間ごとに野次馬たちがひっきりなしにやってきて、教室の前の廊下を埋め尽くしていた。

 「まぁ、ドンマイだよ。」

 そう言って景気良く私の肩を叩く椿は、心なしかこの状況を楽しんでいるようにも見える。

 「ドンマイじゃないよ……。アドバイスのひとつやふたつ、あったりしない?」

 顔をあげて椿の腕にすがる私に、椿は少し考えてから、あっさりと言い放った。

 「諦める。」

 「はい?」

 「だから、あ・き・ら・め・る。人間、何事も諦めが肝心だよ。」

 その言葉に私は勢いよく立ち上がった。

 「ヤダよ。先輩かっこいいんだもん! 絶対、私たちお似合いのカップルになるよ!!!」

 呆れた表情で私に座るように促す椿は、誰にも聞こえないように囁くように言った。だからこそ、その口調はきつく、私を突き放すような口調に聞こえた。

 「だから、諦めろって言ってんの。」

 私がその意味を聞き返そうと、口を開きかけた時、ちょうど四時間目のチャイムが鳴って先生が教室に入ってきた。私の斜め前の席に着席した椿の背中は、今まで私が見た事ないような、急に椿がどこか遠くへ行ってしまったような気がした。

 「桜、あの福田先輩に喧嘩吹っ掛けたって?」

 お昼休み、気まずい雰囲気の中、お弁当を囲む私と椿のもとに噂好きの女子たちの群れが押し寄せてきた。椿は何事もないかのようにお弁当を食べているし、私は私で、別に福田先輩に喧嘩を吹っ掛けた覚えもなく、一瞬、反応に困っていたが、よくよく考えてみれば、そう言われても仕方ないような言動をしたような気がしないわけでもない。

 「吹っ掛けたかも……、私。」

 今になってその自覚と後悔がふつふつと沸いて来て、告白どうこうもさることながら、私はなんて事をしてしまったんだろうと、顔からいっきに血の気が引いた。

 「で、どうするの?」

 どさくさにまぎれて椿がよけいな事を言うものだから、女子たちは興味津々で困り果てる私に自分たちの顔を近づけてくる。

 「そうだよ、谷口さんの言うとおり! いったい、どうするの、桜。」

 あまりの勢いにたじろぐ私。

 「う……、もちろん、諦める気はないよ。誰かさんは諦めろ、諦めろ、しつこいけど。」

 思い出しただけで、イライラが止まらない。もうこうなったら意地でも諦めてやるものか。その時、私の中の闘志が再び燃え上がったのだ。


 「聞いたよ、梓。昨日、昇降口で大立ち回りやらかしたんだって!?」

 自分の席で静かに本を読んでいた梓に、凛が尋ねた。その瞬間、梓は顔を真っ赤にして本を閉じる。自分の顔を手で覆うと、机に沈みこんだ。

 「もお、言わないでよ。せっかく忘れてたのに!」

 そんな梓を面白がるようににやりと笑うと、凛は言った。

 「忘れてどうすんのよ。……でも、梓にしては珍しいね。大勢の前で。」

 顔をあげた梓は、少し言いにくそうにしていたが、やがて口を開いた。

 「新ちゃんがね。城野さんにつらく当りそうだったから。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ