08 御聖痕
「糞人間は糞間抜けだな」
ミーム・ディグラッセ大尉は目の前に広がる炎に心を躍らせていた。
無論作戦行動であるがゆえ、顔には現さぬ冷静さの中での愉悦ではあるが。
部隊の展開も時間経過も彼女の予定通りに進んでいることを素直に喜んでいた
ハンヴィーの天井につく銃座から立ち上がり全てを展望する黄金の目は、下に立つ軍曹に厳しく指示を飛ばしていく。
内側に喜びがあっても、戦場では見せない冷徹さは幼さの残る顔とは裏腹にかっちりと軍服を着込んでいる。
デジタル迷彩のウッドランド、首元を守る濃紺のマフラーは小隊全ての兵士が身につけている。
小さな指揮官、彼女に寄り添う2メートル超えの軍曹イゴレット
「軍曹、荷物の確保までに掛かる時間は」
「15分です」
間髪入れない返答。
顔に残る歴戦の傷、光る目は眉も微動もしない。
ミーム大尉もまた風に吹かれるままだ
「より急がせろ、タイムイズゴールドだ」
「roger that」
目の前に広がる焼野を見る。
最初に迫撃砲による弾頭と煙により圧力をかけ、第二段階として焼夷弾を撃つ、逃げ場を完全に塞ぐ炎の檻の中を亜人兵は走っていく。
人以上の耐久力は過酷な状況下で強く発揮されるが、彼らのこの特性をうまく使えた人間士官はほとんどいなかった。
「我が隊は実に美しい、糞人間には到底真似できないことだろう」
「まったくです」
足下のハンヴィーにはハーキュリーズへと殺到する亜人兵各隊の情報がひっきりなしに入る。
兵士たちには亜人特有の短略化された「感性言語」というものがサインとして組み込まれている、人には理解できない犬種亜人の特性を活かしたものだ。
ハンドサインより意思疎通の早いこれにより、前進、待て、後退、攻撃、などあらゆるものが瞬時に交わされていく。
乱戦によるトランシーバーの故障などまったくない、生体リンクは犬の縄張り意識を利用したもの。
敵陣の収奪はこれによって鮮やかに行われる。
人との混成部隊よりも犬種亜人が瞬間的に作るコミュニティーは、意識共有がスムーズで小隊規模の活動にもっとも適したていた。
ミーム大尉の目には兵士たちの動きはどれもこれもが無駄のない統一された布陣として見えており、指揮官としてこれを喜ばないのは無理というもの、あとは獲物の収奪を成功させるだけだった
「環境適合を目指し作り上げた亜人に人は駆逐されつつある、人類という種の時代は終わったのだ。アメリカもいずれ全土を亜人である我らが治める国となる」
見えすぎる目で戦地を睨み、食いしばった歯が不似合いな美しい顔
「この作戦は糞人間たちの希望を確実に潰すものである。この先の世界に希望を持つのは我ら亜人なのだ!!」
「その通りです!!」
乱れた黒髪が熱風に揺れ、狼の耳が小刻みに音を探る。
勝機に逃げられた西アメリカ軍の敗北を、目と耳が確実に探知し始めていた。
「お願い!! 撃たないで!!」
血とオイルのぬかるみに足を取られ、顔も髪もドロドロにしたメアリーはすっ転んだその場から必死に手を伸ばしていた
「そうだ!! それを持って帰るのが……任務なんだぞ!!」
彼女の声に呼応したかのように立ち上がったのはピラ少佐だった。
ヘルメットは吹き飛び額には大きな切り傷、右半身を焦がした無残な姿ながらも白い歯は健在。
ねじ曲がった機体に体を預けなければまともに立てない状態にありながらも、任務を忘れていなかった
怪我の具合に反する芯の通った声は、箱にまたがりライフルを構えているルツに再度怒鳴った
「それは西アメリカに必要な大切な荷物だ!! それを持ち帰るのが任務!! 忘れたか!!」
「知らないよそんな事!! こんなところで死にたくないだけだよ!!」
怒号に対して発砲。
ボックスに乗ったルツは、ピラ少佐の足元にむかってライフルを撃つと下がれと顎で指示した
銃を使う事で傷口は広がり、顔色は鉛に近くなっているルツにとってここから生きて帰る事が最重要事項になっていた
「下がって……下がってよ!! これをあいつらにやれば殺されないよ、見逃してもらえるよ」
東アメリカ軍は、荷物が欲しくて2度にもわたる強襲をかけている。
1度目は15ビバークへ、2度目は今ここへだ。
どれだけ死者を出しても欲しい荷物、ならばこれをあげれば見逃されると考えるのも普通だ
「絶対に街に帰るんだ、ナナイのところに帰るんだ。こんなところで死にたくないよ」
「バカな事をするな……」
立っていられないピラ少佐、発砲に押され背中を壁につけたまま前のめりに崩れている
「バカでいいよ、学校も行った事ないしね。でも死ぬのは絶対に嫌なんだ」
「兵士の本分を果たせ!! 祖国に恥じる事のない行動をしろ!!」
崩れた膝のまま、まるで自分に言い聞かすようにピラは怒鳴ったが完全に逆効果になっていた
「うるさい!! うるさい!! 私は好きで兵隊になったんじゃない!! 罰だからしかなくここにいるんだ!! 一番死にやすい場所に放り出しておいて何が祖国だ!! 死んでも勿体無くないだろ!! いなくなっても困らないくせに、こんな時だけ従えなんてごめんだよ!!」
少ない思い出、戻りたい場所。
大人たちの思案など知った事ではなかった。
無学で字も書けない、修道院にいれば少しは習えたかもしれない期間を戦場で過ごしたルツにとって、生きて街に帰る事だけが唯一の希望だった。
「この子を亜人にあげる。それで私たちは見逃してもらう……ついでに少佐殿もおまけにつけて……その人も一緒に、私は街に帰るんだ」
息が上がる、思考が鈍りシンプル化する。
肩に怪我を負っているルツは、流した血の分だけ簡単に助かる方法を考えていた
「みんな生き残れる方法だよ。あんた達を亜人にあげる、私達は見逃してもらう、ばっちりじゃん」
静止を叫ぶメアリーの前で、箱のロックへと銃撃を加える。
上部の蓋は壊され衝撃に浮き上がり、中身の冷気が一瞬だけ白い空気を見せる。
蓋の動きに合わせルツは飛び降りると横合いからライフルのストックを使って蓋を押した、石を殴るようなかなり乱暴な形で何度も。
力の入ったプッシュに蓋は予想以上に簡単に、滑るように横にずれそのままデッキの方へと落ちた。
「……いい匂い……」
春風が流れ出る、ラベンダーの香りは開封された箱から勿体ぶることなく外へと飛び出していた、炎に包まれ四散した臓物と血肉の焼ける地獄の中で、信じられないような綺麗な少女の肌を包み込む香りの向こう側へ、ルツは手を伸ばし触れようとして、止めた。
こんなシミ1つない美しい存在に自分が触れて良いわけがない。
ここが戦場で急を要している状態の中で、普段考えもしないことで体が止まっていた
「ねぇ!! この子どうしたらいいの!!」
思わずメアリー博士に聞いていたが、少佐共々2人はおろかマッカーシーさえ目が点になっている。
ルツの行動はあまりに素早かったし、中身の姿にみんな驚いていた。
それに本人があれこれ考えていたのが数秒程度のもので、蓋も瞬間的に開けられたとしか言いようがない展開に、口も開いたままだ。
周りの沈黙にいよいよルツは狼狽していた。
踊ってしまう良い手をふり、指示を仰ごうとして
「ちょっと……誰か教えてよ、この子触って良いの?」
『真っ赤な目だね』
ふいに細い指先がルツの手を掴んでいた。
柔らかい指先は滑るように近づき、呆然と騒然がゴッチャになったルツの頬にふれ体を起こす。
目覚めた彼女の顔が息のかかるところまで近づいていた
「はあ? 目……目なんか見えればなんだって……」
『すごく綺麗、魂の燃やす赤い星みたい』
近ずく顔に息が止まる、見つめる視線の前で、ルツの瞳に涙あふれていた
「目……」
『目、とっても綺麗』
震えで首を振る。
綺麗なんて自分に持ち合わせない言葉、あるのは目の前の美しさだけだ。
彼女の全てが美しい。
青みの強い赤紫の瞳、粉雪を飾る長く白いまつげ、桜のよに淡い唇が微笑んでいる。
綿毛のような柔らかな声で
「だっ、ダメだよ!! 私になんか触っちゃダメ!!」
正反対を通り越した汚物である自分。
瞬時にわかる、泥と血とオイルをかぶった髪、汗と火傷と切り傷で荒地と変わらない肌。
獣の瞳孔をもっと血色の目、そう……血を吸った目……
「綺麗じゃないよ……私は……私は全然」
『初めまして私の大切な貴女』
軽やかな挨拶に全身が痺れた。
自分を必要としてくれる指先の前に頭をたれ、言われるがままに顔をあげる
『私と貴女のためにキスを』
「私に……キスして……」
滑らかに腕は伸ばされ顔を近づけると、唇を重ねていた。
柔らかい花の香り、同じぐらい柔らかな舌が血反吐を噛んだルツの口を癒すように舐める。
味なんて今まで知らなかった。
食べ物はいつだって半端な合成食品ばかり、唯一本物として知ったのは狩りで得た肉の味程度のルツは真新しい甘い蜜の味に溶けそうになり、体の各所に燃えるような感覚を覚えていた。
両手首、両足首と、右脇腹、伝播する熱さに首が擡げ唇を離していた。
何かが入り込んだような衝撃に瞑った瞳をうすく開いたルツ前で、リアムは笑っていた
『私はアウラリア、ルイツよろしくね』
「……はい、あっ……うっわぁああ、どっどどうしたらいいの?」
離れた顔、糸引く唾液を手の甲で拭うアウラリアを前にルツは気が動転していた
『どうしたらいい?』
半ばへたりこんでいるルツの前に彼女は素っ裸のまま迫っていた
「私に聞かないで……わっ私は何もわからないから……」
『私には聞かないの?』
静かな微笑みはライフルを杖にするほど及び腰になったルツへと首を傾げて聞く。
時と場所が頭の中から吹っ飛んでしまっていたのはルツだけではなかった。
ピラ少佐もマッカーシーも、箱から姿を見せた少女に意識が硬直していた。
少佐は荷物の中身については実験体としか聞いておらず、まさか年端もいかない少女など夢にも思わなかったし、マッカーシーはもっと何も知らなかった。
轟音鳴り響く戦地の中で時を止めてしまった兵士たち、メアリー博士だけが対応した
「リアム!! ごめんなさいね!! 予定より早く起こしてしまって。でも聞いて、耳を塞いでここから一緒に逃げるのよ!!」
『メアリー、ここはどこ?』
「ここは……」
時は止まってなどいない。
話しかけた声をた断ち切ったのは銃撃だった、ハーキュリーズの機体を打つ鐘の音、至近距離の索敵弾。
もはや逃げ道などないだろうと誰でもわかる発砲に硬直化していた3人も目が醒める
「少佐もはや退却は無理、回収任務は失敗です……荷物を破壊し投降しましょう」
瓦礫の中から立ち上がったのはピラ少佐と変わらない負傷をしたロバート・ノートン中尉だった。
右腕を肘先から失った熟練兵士は左手に小型爆弾を見せて、最終決断を迫っていた。
逃げられない。
どんな形をしていようと機密は渡せない。
荷物の破壊は任務遂行不可能となって今できるの最後の一手
「いやしかし、子供殺す事なんてできないだろう」
「子供じゃありません、機密です」
リアムの姿を見てしまったピラ少佐は大いに戸惑っていた。
少女が機密というのを理解するのにも時間がかかっていたが、普通の大人としてみれば当たり前の反応だった
「できない……ただの子供だ、それも女の子だ」
苦悩に歪む顔を打ったのはやはりロバート中尉だった。
健在である腕で固めた拳を負傷した頬に打ち付けると迫る
「やるんです。できるできないではなく、実行する!! それが私たち軍人の使命なんです!!」
「使命……使命……そうだ、そうだ」
切った唇、手渡された爆弾、自分の手で最後を決める。
頭を振り迷いを払うピラは、足元で首を振り否定と涙を見せるメアリーの手も振り払った。
手渡された爆弾を使えば彼女はおろか周りもただでは済まない、特殊なそれを持った意味は自決でもある。
投降など詭弁だ
「ここまで犠牲を払った仲間のためにも……破壊は絶対だ。許してくれ」
目の前無垢な瞳を見せるリアムと呼ばれた少女に、一度だけ目をそらし決意を改め向きなおした時、少佐の顎はルツにぶん殴られていた
「そんなこと、させない!!」
音といい深度といい良い具合に入っていた。
顎下から4センチ、真横からの鉄拳は痛いという度を越す衝撃だった。
すでに顔面に複数の怪我を負った少佐、勢いのついた拳に体の芯から揺らされ足元から崩れそのまま機体に頭をぶつけると、ロバート中尉を巻き込む形でダウンしていた
「……ルツ……、どうするのよ!!」
一連の騒ぎを見つめていたマッカーシーにルツは自分の銃を預けた
「身代わりをこの中におけばいい!!」
「身代わりって……」
素早かった、誰もが危機的状況で身のすくむ銃弾乱流空間の中で、ルツはハーキュリーズの隣に待機させられていたストライカーの上へと駆け上がり、下から見上げているマッカーシーにアデーレの屍体を投げていた
「服を脱がして体を箱に入れて!! 脱がせた服は……アウラリアが着るんだよ!!」
「あんた、アデーレを」
「早く!!」
飛び降りカーゴデッキに戻ったルツは、アデーレの屍体からその服を毟り取っていた
マッカーシーは先ほど聞いたように頭の半分を綺麗にカットし首の根の部分に形の残ったの脳みそを半かけでぶら下げたアデーレの顔に手を合わせた。
口を開き笑った顔のまま死んだアデーレ。
なんて間抜けな最後だったのかと思い浮かべ、手早く靴を抜き取った。
生き残った者が、今ある困難を生き抜くために死んだ者を踏み台に使う。
ここはそういう世界だ。
ルツは一切の遠慮を見せず、アデーレの服を全部剥ぐとリアムの前に差し出した
「着て!! 早く着て!!」
『着るの?』
「そうだよ!! 身代わりを入れて敵に見せる、後はここにいた兵士だけになる。捕虜になればまだ逃げるチャンスだってあるから!!」
必死なルツの行動にメアリー博士は従っていた
「リアム、服を着ましょう。さっ早く」
服の綺麗汚いは二の次だ裸の少女が戦場の真ん中に入れば、結末は酷いものでしかない、悲惨な結末を回避するためには少しでもできることをするしかない。
その認識はマッカーシーにも伝わっていた
「急いで!! あいつらすごく近くまで来てる!!」
逃げられない、投降するしかない、でもすぐには殺さない。
淡い希望でも最初から絶望よりマシ。
少女たちはそれをよく学んでいた、投降が呼びかけられるまで、または準備が整うまではマッカーシーが防戦を見せる
「ルツ、早くしな!!」
「わかってる!!」
「おい……何をしている……きさまら……」
うっすらと目を開けたままの少佐、後ろで成り行きに抵抗を示す中尉。
彼らの前でルツはアデーレを箱の中に押し込んだ。
最初にリアムが寝ていたように、その人型にパズルをはめるように押し込み終えると、M4を向けて撃った。
半かけの笑顔で死んだアデーレの、その顔を徹底的に破壊した。
型にはまったアデーレの屍体は次々とあたる弾丸でボロ雑巾のように壊され箱の中は血と肉のごった煮、プールが出来上がっていた
「なんてことを……きさまは鬼か……」
近距離射撃で吹き飛んだ手首がデッキに転がり、全弾撃ち出し尽くしたルツの顔には弾かれ飛んだ肉片が湯気をあげるレアのままこびりつき、狼の毛皮の下で目は煌々と光っていた。
血を欲する邪気、真っ赤な目に少佐は絶え絶えの意識の中から叫んでいた
「きさまはそれでも人間か!! 屍体とはいえ仲間だった者になんでこんなことができる……灼眼の悪魔め!!」
「うるさいよ、生き残るためになんだって使う、目なんか……目は……」
荒い息で互いをにらみ合ったカーゴデッキの中、リアムはアデーレの衣装を身にルツの手を捕まえていた
『ルイツ、服着たよ』と。
アデーレが頭を損壊して死んだおかげが、服にはあまり血はついていなかったが
「……ごめん、じゃあ血をつけて」
『気にしないで、私の貴女』
白い肌を少しでも隠さないと、泥と血をデッキから掬うと白い顔にゆっくり塗りつけた
「後で綺麗にしてあげるからごめんね。でも心配しないで、私が……守るから」
何故そんな言葉が出たのか、自分自身も危うい中でルツはリアムの手を強く握り返した。
後は撃たれないように降伏のチャンスを伺うだけだ
程なくして銃声は散発的なものにかわり、周りを囲む足音へと入れ替わると全面降伏と投降を呼びかける野太い声が何度か聞こえた。
形ばかりの抵抗を少しだけ見せたルツとマッカーシーは、数分後武器を落とし両手をあげた姿で水面に立った。
何もかもが破壊された静かな湖畔で、ルツたちの戦いは終わった。
24時ジャスト、緊急避難として着いた19ビバークでマリア隊長は、15ビバーク破壊後に設置した簡易アンテナでピラ少佐たち作戦小隊との連絡を取っていたが、21時30分を最後に小隊は交信を絶っており繋がらない受話器の中砂の音が続くばかりだった。
受け入れビバークの隊長メリッサ・メルラーノは開けたゲートへと15ビバークの面々を誘導していた。
マリア隊長がウェスト・ウェンドバー前線基地との連絡に入った今、まともに会話の出来る人員を探しながら
「情報交換が必要よ、誰か話せないの!!」
声を荒げるメリッサだが状況は極めて芳しくない。
バンからおりる兵士はほとんどが怪我人、口を開くのも苦痛という顔色。
副隊長のジェシーは負傷、指揮誘導をしていダフィも火傷をしている、常識人だったマッカーシーはおらず、気の荒いライリーと話すのはしんどい
「ダフィ!! 何が起こったのか報告して!!」
それでも聞くしかない、疲れた目を晒しているダフィの肩を掴む
掴まれたダフィは案山子のように揺れる
「私……じゃなくて……マリアに……聞いて……よ」
15ビバークの中では軽症で済んだダフィだが、夕刻の戦闘そこから20キロ後方、ゴールド・ヒルの前にある19ビバークへの道は心身ともに堪える道だった。
1も2もなく眠りたいところだが、19ビバークの隊長であるメリッサは聞きたい事でいっぱいだった
「亜人はここまで来ないのよね、ちゃんと後方警戒でここにきているのよね?」
亜人の襲撃。
それが一番の心配、フラフラとした足取りの怪我人に覆いかぶさる勢いのメリッサ。
ダフィは厄介な相手に見つかったと目をそらしながらも答える
「今日は……もう……こないわよ」
「そうは言われたってね、こっちだって警戒のために人を出しているんだ。手薄なところをやられたくない」
「大丈夫よ……」
煙たく払われる手を前に、一歩も引かない19ビバークのメリッサは、今年になって隊長昇格した18歳の少女。
赤茶けた髪に緑の目、イタリア系で肌にはそばかすが残る大口な顔。
性格はかなり性急で、迅速になんでも事を仕舞ってしまいたいタイプ、平たく言えばせっかちで、連絡があってからすぐにゲートを開けていたらしい、フライパン片手に
「それにしても、ねえ、ほとんど怪我人じゃない。何人生きてるのよ? どんだけの部隊がきたのよ? 先発した正規兵の部隊はなんなのよ?」
「さあ……4・5人じゃない? 後は……知らない……わ」
「敵は!! 亜人はどのくらいいたの?」
「いっぱい……いたわよ、ターキーショットで……ガンガン殺せた……よ」
どうでもいい、終わった戦闘を蒸し返して話すような事はない。
勝ったのならばまだしも、完全敗北の敗走だ。
眠ってしまいたい、メリッサか肩を揺するリズムで眠れそうなダフィに、ターキーと聞いたメリッサは真面目に変な答えを出した
「ターキーだったの、だったら持って帰りなさいよ。いいご飯になったのに」
「…………亜人が食べ……られる……の? 初めて……知ったわ……今度か……ら、気をつける….わぁ」
まぶたが重い、ダフィはついに目を閉じた。
お茶目な問答をしていられる余裕はなく、怒る気力もなかく柱を背にもたれ眠り始めていた
「ちょっと!! 寝ないで!!」
「うるさい……わよ、あんた……私のニッキ……盗ったら、殺す……、あとはマリアに……聞く……」
電池切れだった。
愛銃であるM110をしっかりと胸に抱いた形で頭を深く埋めて。
軽症だったダフィが疲労に沈没するのだ。
他の兵士がまともなわけなく、19ビバークの衛生兵を中心とした少女たちに連れられる様子。
メリッサは通信機にかかりきりだったマリアのところに向かった
「ああもう、マリア・ハト!! 状況を詳しく説明して欲しいのだけど」
「少し黙っていて、今基地と連絡をとっているところよ」
「補給はあるの? 補充も。まず説明して!! 亜人はこっちに向かっているの!! 何もわからないのでは指示のしようもないわよ。そもそもなんであんたが基地と連絡とっているのよ!! ここは私のビバークよ!!」
身振り手振りも激しく詰め寄るメリッサ。
どうしても聞きたい、最初に15ビバークの危機を基地から報告された時はこんな酷い状態だとは思わなかった。
その後受け入れをせよという命令がきたは良いが、緊迫の時間が過ぎる間重要な報告は一切もらえなかった事が癇に障っていた。
不安ばかりが先行してしまうビバークの中では仕方のない事だったが、メリッサの焦燥感などマリア隊長には苛立ちを呼ぶヒステリーでしかなかった。
「黙っていてよ、補給も補充も明日にはあるわ。あと今日からここが最前線ビバークになる。それにともない……」
迫るメリッサを押し返す、押すというより突き返す勢い
普段温厚なマリアだが、基地との通信を邪魔されるのは勘弁のならない事。メリッサもまた自尊心の限界に来ていた。
口火を切った言い訳と、話を断ち切り言い返す
「冗談でしょ!! ここが前線って何よ!! ここは私のビバークなのよ!! 前線になるのならばそれなりの挨拶が必要ってものでしょう」
「だからこうして……」
「挨拶しなさいよ!! 私に、マリア・ハトさんよぉ!!」
メリッサはこの騒ぎでここが前線の先っぽになるのを瞬時に理解したが、もっとも気になっていた事はそれではなかった。
違いが苛立ちでにらみ合う、メリッサは足で砂を掻きながら前に出た
「つまり15ビバークは解散、私の配下に入るって事よね。ここの隊長は私なんだから」
ビバークという単位にある年少兵たちには、入ったビバークに依って力関係がある。
前線にあるビバークに所属する者ほど力も発言権も強かった。
当然前線の隊長ともなれば、内地に近い隊長とは比べものにならない権力を持っていた。
確たる上下関係という虐の測りにより、年少兵たちは同じ境遇の仲間同士でいがみ合っていた。
ゆえに隊長となったものはシビアに反応していた。
マリア・ハト隊長は15ビバークという西アメリカにとって最前線斥候駐留地ビバークという大切な拠点を失った事になる。
今回の作戦内容は知らないメリッサだが、夜間警戒を怠って拠点を失った隊長は例外なく降格処分だ。
当然世話する側にいるメリッサの下につくのが道理というもの、ましてやここが前線となるのならばその力に発言権も上乗せだ。
メリッサは1年前までマリアの部下だった、長らくマリアに頭を抑えられてきた元部下であるメリッサにとって形勢逆転にして、長年の苦労を押し付けるチャンスでもあった
「マリア降格二等兵隊長殿、補給の割り振りに、装備の分配、夜警当番はこちらで決めるから。靴を舐めるように従ってもらうわよ!!」
「メリッサ上等兵、私の話を聞きなさいよ」
「嫌よ!! あんたが先月まで3ヶ月も15ビバークを開けてた事、私知ってるのよ!! 仕事もしないで大口聞かないでよね!! 働かざるものぶっ殺すよ!! 黙って言う事ききなってのぉ!!」
畳み掛けるように最初の躾を連発する相手にマリアの声は深く鋭く尖っていた
「今回の件は極秘作戦による戦災なのよ、だからあなたが私の上に立つ事はあり得ないの」
背中を向けた冷静さが深い闇に包まれている。
マリアを取り巻くどす黒いものをメリッサはまだ何も感じる事ができていなかった。
むしろ敗北を恥じて後ろを向いたものと勘違いをして踏み込んだ
「ありえない!! 認めなさいよ、あんたは失敗した。だからペーペーになったのよ。私が可愛がってあげるわ……さあひれ伏しなさいよ、昔私にさせたみたいに頭擦り付けて、それが生意気を言う下っ端の最初の躾方でしょ!!」
舌舐めずりするメリッサの口をマリアの手が塞ぐ、尋常ならざる力、顔を毟り取られるのではという恐怖を叩き込むように
「黙ってメリッサ、くだらない事を言わないのよ」
口の中で歯が軋む、顔が変形しそうなほど絞られた手の向こう、金色に目を光らすマリアの顔があった
「あっ……あんた……目……」
「『光る目を持つ者』の意味を知っているでしょう。念願の隊長になったんだから!!」
「しっ知らないわよ、でも……それは……」
「何も言わなくてもいいわ、だけど私の言う事は絶対なのよ」
すくみあがる体。
押さえつけられた手だけではない、光る目を持つ者への恐れ。
背の高いマリアに押し上げられ、片手で釣られるのは恐ろしい事だ。
体重はさして変わらないだろう2人なのだから
「あんたが愚か者だとしても私は優しいのよ、顔を潰さないよう配慮してあげる」
光る目を持つ者はミドル前線特務担当大尉直属の兵士。
50マイル(約80キロ)を超えた前線駐留地の隊長になると一度だけそれを聞かされる。
亜人を倒すための敵のテクノロジーの利用する精強なる兵士であると
「……本当に、約束は守ってくれるのよね」
「約束なんかしないわ、私の方が上官なんだから」
歯噛みするが抵抗が出来ない、メリッサの苦痛は隠し通せず口に出ていた
「悪いけど、トマトはここの人数分し収穫できなかったの……自分たちの分がないからって揉めないでよね!!」
「了解よマードレ、通常時の駐留地運用はあなたに任せるわ、私は非常時と戦闘指揮をとる。これでメンツを保てるでしょ」
「私は隊長よ!! 料理だけじゃない!!」
「わかってる、だからもう怒鳴るのは止めて」
手を離し冷静に話をするマリアに、結局頭をおさえられた形のメリッサ。
決まりの悪そうにうつむいた頭を撫でる手は艶めかしく頬へと至ると
「ちゃんと言う事を聞いてくれれば、また可愛がってあげるわ。メリッサ、夜もね」
マリアの金色の目は闇夜の中で揺れていた。
戦闘終了、投降の意思表示をしたルツたちは瞬く間に亜人兵に捕縛され、湖水を離れたグラニット・ピーク南部に集結した後亜人軍陣地へと移送されていた。
ルツ達生き残りの最後の砦だったハーキュリーズに乗り込んだ亜人兵たちは、その場にあった機械の全てを破壊した。
空輸でここまでやってきた堅固な箱も、機体に残った機械も武器も全部だ。
仕上げにはC4爆弾という徹底した破壊工作で、全てが終わった頃にはハーキュリーズの形はほとんど残っていなかった。
「どこに行くのかな?」
RAVの後ろ、簡易的に二台を作られた二台にルツとマッカーシー、大怪我で意識のない正規軍人の2人組ピラ少佐とロバート中尉、意気消沈のメアリー博士、ボロ布のフードを被したリアムと寂しいメンツだった。
小隊として参加したメンバーがたったこれだけしか生き残れなかった。
意気消沈など通り越した鎮痛の深みにいる事を冷たい風がより心に届けるという有様の中でルツはマッカーシーと話をしていた。
互いを寄せた形の小声で
「まずはダグウェイ、それからソルトレイクに行くんじゃないんかねー」
「だったら距離はあるね」
前方には斜めに合流する道、西にウェスト・ウェンドバー前線基地にもつながるスタークロード、東に向かうの先にあるのはダグウェイ。
東アメリカ軍ソルトレイク前線基地を守る衛星基地の影は少しずつ色濃く建物を見せはじめていた
「あーあ、できれば戦勝で行きたかったねぇ、あっちへは」
負けた形での休息、とはいえ昼過ぎから戦い詰めだった者として虜囚の身であってもありがたい
「ねぇ、亜人の兵隊さん。タバコぐらい吸わせてくれないのかい」
顔を隠すような大きめのゴーグル、決して目を見せないようにしている亜人兵は返事もしない。
基本的に体格の良い大柄な亜人たちの背に広がる敵国の景色。
本線合流のスタークロードに沿って有刺鉄線のラインが段々畑のように見え始める。
幾重にも張られた棘の前線は、相手の基地がいかに堅固に作られているかを知らせていた
「逃げるのは無理かもね」
相手の顔色を伺いながらしっかり敵情視察をするマッカーシーは、ルツに耳打つ
過去に何人かが捕虜になった事もあるが、戻って来た者がいたという話は聞かない。
「中に入れば隙はあるはずだよー、絶対に逃げてやる」
ルツは自分の横に座るリアムの手を握っていた。
怯えるでも気を失うでもない紫の目をゴーグルで隠した顔は信じられないぐらい落ち着いているリアム。
マッカーシーの目には物怖じしないリアムの様子は、不気味に写っていた。
目が覚めたら戦場。
それも敗色濃厚で人が部品になって転がる炎獄の中で、爽やかな笑顔を見せたリアム。
「実験体」と言われていた所以はそういう事に恐怖心を持たない人間を作ったという事かと、斜め上な考えを巡らせてしまうような笑顔だった。
考えるほどに不気味な存在なリアムだったが、敵につかまった女子の行く末に明るいものはないという悲観もあった
「ルツ、わかってると思うけど中に入ったら私たちは地獄よ。女が戦場にいるってのはそういう事だからね」
「わかってるよー」
つまらなそうな口ぶり
「本当に? あんたの助けたその子も……同じ目に合うのよ」
「そんな事は……」
そんな事はさせない、とは言い切れない実情。
東西アメリカの戦争に捕虜に対する規約はない、殺すも煮るも嬲るのも戦地の自由に任されていた。
前線で戦う女が捕まればどうなるかなど、ほぼ決まっている。
兵士たちの慰み者。
男のする事なんかみんな一緒だ。
捕虜は無駄に金を食う、食料も必要になれば水もいる。
だったら手っ取り早く殺してしまった方が早いし経済的だが、女なら楽しんでから殺せばいい。
普通では味わえない被虐を浴びせ、恋人にはやらないようなプレイも罪悪感なしに楽しめる。
「何かする前にさ、その前に取り調べとかあるんじゃないの?」
押し黙っていたルツは光を落とした目で小さく言い返した
「あるだろうけど、私たちにはないわよ。あるのは少佐殿にでしょう」
対面に横たわっているピラ少佐と、同じく意識不明のロバート中尉、正規軍人の2人ともが揃って起きていない状態は笑うに笑えない。
責任者不在。
もう一人の女であるメアリー博士は、博士である事を説明すれば乱暴には扱われないだろうし、彼女にはリアムを守る責務もあるようだ
「腹括ろうルツ、私たちには幸せなんかやってこない。やれる事を懸命に考えて、できたらやってみよう。その子は……運が良ければ先生が守ってくれるかもしれないしね」
俯いたままのルツに肩を寄せる。
結局、身元不確かな年少兵には逃げ場などない。
マッカーシーはとうに諦めた目で、夜明け前の薄暗闇の中に見えたダグウェイを見ていた
町の外郭を囲うのはかつての道、それにそって建てられたコンクリートの壁。
鉄扉のように冷たいカラーを浮かせるそれを、ルツは下手から睨んでいた。
諦めるという目ではなく、きつく絞った瞳孔の目で
「絶対に、逃げてやる」
本心を心で燃やしながら
「心配しないで、アウラリア」と、頑張って作った笑顔を見せていた。
「おはよう西アメリカの間抜けな糞人間諸氏、私は東アメリカ陸軍特殊種族小隊ミーム・ディグラッセ大尉だ。きみたちに新しい朝をプレゼントしよう」
白銀の狼耳、深紫の髪、白い肌。
朝日のさしたダグウェイ基地ゲート前で、彼女は溢れんばかりの笑みを見せていた。
新しい朝は、紛争地域を超えた敵地で始まった。