06 飛行機
風に混ざる砂が、容赦なくストライカー装甲車の鉄壁面を叩く。
ライトをつけない車の上、防盾に寄りかかる形でルツは監視を続けていた。
「ゴーグルがあって良かったよー」
気の抜けた独り言。
見張り役を好んで買って出たわけではない、いろいろと迂用曲折があったが一番にあったのは居心地と空気の悪さから少しでも開放されたい、車の中に充満する嫌悪と興味の視線から逃れるためだった。
1時間まえに住処を失った。
苦楽を共にした仲間の大半も一緒に。
厳しい中でご飯を食べ、狩りに出かけ、水浴びし、地獄で出会った仲間達との思い出が、ない方が良かったと思うほどに呆気ない瓦解で、ルツは本人が考える以上に傷ついていた
「……街に帰りたい、ナナイに会いたい……」
遠くても同じ空の下にいる、写真もないナナイへの想いが膨れ上がる。
少し前はそれが心を支える大切なものだったが、ここに来て1年目に負った怪我が故郷と愛するナナイの姿を遠いものにしていた。
風に吹かれる髪、ゴーグルの上から下にある2つの目を鍛冶屋の手袋をした指が触れる
「今会ったら……きっと私の目を嫌がるよね、怖がるよね……」
思い出に締め上げられるルツの小さな体
「ナナイ……シスター・レナー、みんな……私は獣になっちゃったみたい、嫌だな」
便利と言われても嬉しくない。
ただ見えなくなってしまうのが怖くて、この目を受け入れた。
ラッセン博士の申し出に乗った。
目に見えていたものが、思い出の輪郭だった。
暗闇に染まった時、見えなくなった世界に残された時、目の前にあった色鮮やかな思い出も消えてしまうような気持ちになった
「……目なんか見えればなんだっていいよ、それだけだよ」
頬打つ冷気、光る赤い目のルツは遠い街、サクラメントの方角を一心に見つめていた、夜の中を飛ぶ鳥達の姿を追って
「どうせ獣になるなら鳥がいいな、空を飛んで……みんなのところに行きたいなー」
ゴーグルの中に浮かぶ水雫、見せない悲しみに沈む心に冷水
「どうしたんだい、なんか見えたかい?」
銃座の狭苦しいホールにグラマラスな体をねじ込み声をかけたのはマッカーシーだった
「別に……何も、星が綺麗だよ。いっぱい死んだのに」
思わず飛び上がった体、鼻をすすって普通に振る舞う。
任務は続いている。
休むことのない時間の中で休まらない心を抱いたルツの様子をマッカーシーはよく見ていた。
顔を向けようとしないルツにマッカーシーは優しく寄り添う
静かで、涼やかで、濃い藍色の空に散らばった宝石が輝く空に目を向けて
「本当だ、綺麗じゃないか。これで砂つぶがぶつかってこなきゃ最高なドライブだよ。いいなー夜はとってもいい」
「ドライブ……、車に乗るだけの事が最高なの?」
そんな楽しみは知らない、頬を膨らませたルツの顔をマッカーシーの指が突く。
困ったような笑みで
「ダグウェイに行くと、週末男達がジープを借りてくるの」
「狩に行くのに?」
マッカーシーの流し目は語ることを戸惑っていた。
ルツは12歳でここに来た、14歳になった少女は恋をして好きな男とドライブをする夢を見ない。
普通に街で暮らしていれば、先を歩く少女達の姿を見て、いつか自分もそうなる。
母が父との初デートを聞かせるように。
でもルツの女としての時間は12歳で止まり、その先にある夢は見ない。
男性との出会いも愛も恋も、普通の少女が登っていく階段はもうないのだ。
無くなってしまった道を淡くでも知らせたい。
ゴーグルで表情を隠したルツに対してマッカーシーの顔は優しかった
「狩にはいかない、その頃にはハートを……狩られてるから」
「心臓を、死んでるじゃん」
銃を持つことで硬くなった手、人差し指にはタコができる、普通を何も知らない無垢なルツの頬を優しく撫でる
「そう死ぬのよ、その人のことが好きで好きで死んでもいいって気持ちになるの」
「好きで? 死ぬの?」
「本当に死ぬわけじゃあないのよ。好きな男ができたら、ルツ、いつかあなたにもそういう人が現れたら……彼はきっとあなたをドライブに誘う、二人きりで星の海を游ぐために」
「宇宙に行くの?」
不可思議と傾ぐ顔、喪失感で表情をなくしていたルツに少しだけ戻った気力が遠い空に手を伸ば姿をマッカーシーは抱きしめた
「何々? マッカーシー、何がしたいの?」
「そ・う・よ・天にも飛ぶ気持ちになるのよ!! あははははは、ルツはあったかいな。やっぱり子供だよ」
季節は夏に近いのに肌寒い、夜になればより一層寒さがしみる。
「子供でいいよ、それに男は嫌いだよ。あんなのばっかだし」
しかめっ面のルツはストライカーの中に座る作戦司令、ピラ少佐と変人であるラッセン博士を見た。
ロングボディーとはいえ余剰人員を乗せた車内はかなり窮屈だ。
真ん中を歩こうとすれば鍾乳洞を斜めに進むようになる。
そんな中、向かい合わせで座る兵士たちの真ん中を陣取ったラッセン博士の手には紫の光を追う探知機がある。
狭い足場を圧迫する平釜の大皿を睨む男たちの顔。
男に対して良い印象を持てというのは無理というもの
「あんなのごく一部だよ、もっといいのがいる」
「いらない、いらない、今はいらない。一人でいい」
もやもやする。
わからないことに心の鮮度が落ちる、ルツはそれを抱え続けていた。
明るく自分を抱えるマッカーシーの腕の中、ここに来る少しまえにあった喧騒を思い出していた。
「鬼!! 悪魔!! ケダモノ!!」
マッカーシーがバンへと怪我人の収容と荷物の移動を行っていた頃、マナカの怒りは絶頂に甲高い声を響かせていた
19時15分、各々が支度を終えた場でマナカ・チックは涙と共に叫んでいた。
爆破のリールを本所に巻く作業を終え戻ってきたルツに向けて非難の声をあげていた。
居留地ビバークを破壊する事はルツの独断ではない、18時52分を持ってここを放棄すると決めたマリアの指示に従っただけだった。
敵西アメリカ軍亜人兵による駐留地ビバーク接収を避けるための常套手段、当たり前に駐留地を破壊することだが、マナカが罵倒を飛ばすのは死者を一緒に吹き飛ばすということについてだった
「規則なんだよ、今更そんなことを言われても困る」
勤めて冷静な受け答えをしたのは、年下のルツの方だった。
マナカは先ほどの治療の後から狂ったように怒鳴り続けている。
涙は枯れることはないようだが、声を張って言葉を枯らして、執拗な非難をし続けていた
「死んだ仲間から身ぐるみ剥ぎ取るだけでも冒涜なのに、死体を爆破する。こんなの動物のすることだ!! 目を光らすケダモノだからできる!! ここに亜人がいるのよ!!」
大手を振り、疲れ切った仲間たちの前に大演説をかますマナカだが、周りは低い温度の感情を見せるばかり。
当然ルツも超低空の顔を見せている、指差し大げさなゼスチャーのマナカは滑稽でしかない
「ああ、目なんか見えればなんだっていいよ。そんなことが問題なの?」
「光っている事が問題なのよ!! 東の亜人が西の人間の中に入り混んで、非道をしろと言っいることが許せないの!!」
「そこまで!!」
牙剥く狂犬のように食ってかかっるマナカをひき剥がしたのはマリア隊長だった
痩身で背の高い彼女からすると二人とも背が低く小さな子供のように見える、図的にいうなら母親が子供を叱るような形で間を割ると
「これは前線での当たり前のこと、マナカ二等兵!! あなたは私たち全員を殺すつもりなの」
冷徹な視線、いつもの愛嬌の良い顔はない。
尖った目は押し問答になっていた二人を離し周りを見ろと首をふる
「私は言ったわよ、18時52分を持ってビバークを放棄し、15小隊は後方のビバークへと移動すると」
もう一度言わなくてもここはひどい有様だった
日が落ちて暗闇が場を支配するほどに、戦火が周りを不気味に浮かび上がらせる。
崩れ落ちた簡易小屋、古木で作られていたそれはよく燃えていた。神経の線が浮かび上がるように枯れた木の目に沿って赤い亀裂は走り、火の粉を舞わせ紙くずのような煤を作り、流された血が各所に泥と混ざり茶色の塊を作っている。
全てが暗闇の中で火に照らされ、オイルをブン撒いた焼け沼の庭のようになっている。
ただオイルの匂いがしないのだ、ひたすらに腐った鶏肉のような香りが漂う。
生き残れたことを奇跡と思うほかないとみんなに知らせていた。
15ビバークは東アメリカ亜人軍の強襲により壊滅、新兵を入れて30人いた仲間は生存19名内11名が負傷という惨憺たるものだった。
塹壕から小高い本所に至るまで防備の全てを失った駐留地に兵員を残す事は無意味、放棄は妥当な決断だった
移動を決めたマリア隊長は五体無事な仲間に残った物資の運び込みをさせていた。
一ヶ月前にもらったバンは、バイクしかなかったビバークからの脱出に大いに役立っていたが、死体はそのまま放置されることになった。
塹壕の一角に集められた死体は裸でこそなかったが装備は全て剥がされていた。
迷彩服だけをつけた少女たちの骸、花も恋も知らなければ、戦いだけの青春に報いる言葉などない。
添える花さえないここで、骸の腕の中には爆弾が備えられていた。
マナカの逆上はルツの態度と光る目と、仲間の死と死体への冒涜と次々に飛び火していた
「放棄はわかります……でも、死体を破壊する意味は? 酷すぎると思わないのですか!!」
いきり立つ顔にため息、マリアは長い髪を後ろに流す
「意味は先に話したでしょう」
駐留地ビバークを放棄する、放棄されたここが亜人兵に占領されるのはもっとも望ましくない結末だ。
亜人は耳と鼻が人間のそれよりずっと効く、彼らの持つ身体能力を逆手にとった占拠阻止の方法は死体を置くこと、それも単純に体を置くのではなく破砕し四方に匂いを撒き散らすようにする。撤退する仲間を助けるための生餌であり、匂いを嫌う亜人たちを避ける常套手段。
「埋めてもあげない、葬式もなし、残った体まで自分たちのために利用する!! おかしくないですか!!」
「おかしくない、おかしいと思うこと自体がおかしい」
堂々巡りになりそうな会話、冷めた目とため息を混ぜたルツの態度にマナカは切れた
「あんたはキチガイだ!! 人間じゃない!! 亜人モドキが偉そうに口をきくな!!」
荒げる声に差し込む怒り、ルツはマナカを突き飛ばした
「うるさいなー そうやって怒鳴ればいいことあるの? ばかなの?」
マナカは尻餅をついていた。
真ん前には怒りで真っ赤になった目を振り下ろしたハンマーのように近づけるルツ
「のんびりして敵が来たらどうするの? さっさと爆破するん……」
飛びかかった拳、シロウト丸出しの猫が飛び出したようなパンチ。
浮かれた新兵だったマナカが狂ったように攻撃を仕掛けていた
「死者をもう一度殺す!! 人で無しのビースト!! お前に人を想う気持ちがわかってたまるか!!」
振り回す手はことごとく当たらない、揺れて避けるルツはマナカの顔にカウンターを浴びせいきり立っていた。
足につけたナイフに手を伸ばし、荒れた心の刃を抜こうと
「面倒くさい奴、殺そう!!」
「それが本音なのよ!! あんたの仲間が私たちを殺したんでしょ!! 亜人!!」
後一歩踏み込んだらナイフを持ったルツのカウンターはマナカの顎を刺し貫いただろうところを、別の拳が二人を分けぶん殴った
「いい加減にしなさい!!」
拳より硬い拳銃のグリップがルツを叩き、平手がマナカを倒す。
立腹のマリアは止まった二人を交互に蹴飛ばした
「これは私の命令よ、司令部の命令でもある。私が死んだ時もこうする、ルツが死んでも、マナカ、あんたが死んでもこうなる。順番なの、死がある限り変わらない後始末であり手順なのよ」
突き立てた人差し指、交互に喧嘩した2人を見る目には威圧感があった。
伊達で隊長はやらない、ここで過ごした年数が生き延びた年数であり、死者を粉砕してきた年月だ。
今まで何年もこうしてきた、このやり方は変わらない、最前線で死ねばそうなる。
周りを囲んだ者たちは少なくとも2年以上ここにいる。
今日が初めてじゃない、でも初めての者もいる
「隊長……爆破なんかしたら、誰のものかわからなくなってしまうじゃないですか……」
受け入れるだけの時間がない、たった2時間前まで隣に生きていた友達の死を。
静まった場の中でルツは無言で働き、捨てられない思いを抱いたマナカだけが泣いている。
少しの静寂は達観でしかない。
初々しい震えに嫌悪を見せたアデーレが口を挟んだ
「あのさ、いい加減にしてよ新兵ちゃん。あんたが悲しくって辛いって騒ぐのはどーだっていいのよ後にしてよ。こんなところにいたら敵の餌になるのよ、そりゃそりゃラッキーって犬どもが襲ってきたらどうしてくれんのよ。今度はけが人捨てて逃げることになんのよ、それも嫌って泣くの、犬とお揃いにしてワンワンって?」
「ノンノ、可愛いアデーレは死なないからそんな事にはならないよ」
啖呵を切ったアデーレの前、ライリーは手持ちのM16をぶらぶらさせて頬を寄せ陽気に言う
「だから早くここから逃げましょうぜ」と。
実際そうだ、そうならないように素早い行動をしている。
早くここを離れ、ピラ少佐達特殊作戦部隊の帰還に合わせ後方ビバークでの準備をする必要さえある。
ここはいつなんどき亜人軍がくるかわからない前線の先っぽ
「アデーレ、ライリー、発言を許してないわよ」
「すいませんマリア隊長、イエッサーですぅ」
ここまでくればマナカも自分と同じ意見を持っている者がいない事に気がつくというもの。
ストライキ上等と地面に寝転び地団駄踏めば、今度はそのまま寝そべった死体にされる可能性さえある。
そのぐらい冷めた目線が下手から自分を睨んでいるのを感じバンへと走った。
見る事を苦痛と、感情の出た背中を見せて。
マナカの搭乗を確認したマリアは胸ポケットから押し花を取り出していた、誰にも見えないように
「きちんと弔えなくて、ごめんなさいね……許してね」
爆破用のホチキスガンのトリガーに挟み込んで。
何度もこうしてきた、引っ張ったリード線をつなぐ側にいるルツも何度も見てきた。
できる最低限の弔いはいつもこうして行われる。
ひざまずき動線をつなぐ仕草をマリアが見せる時、長年の仲間達も皆その背中に合わせて小さくうつむく。
一瞬の静寂の中で祈りを捧げる者たちの中で、怨嗟を頭の中に渦巻かせていた者がいた。
マナカ・チックには、手短な祈りは見えていなかった。
あるのは怒りと憤り、ルツに対する嫌悪。
ルツもまた、毎度のお悔やみを無感情に聞き、対面で自分を睨むマナカの目を心の深くに焼き付けていた。
スターク・ロードを通すグラニット・ピーク北部。
全力撤退をした亜人軍は同じロード上に作った避難所に陣を張っていた。
とはいえ、本来は敗走する予定はなかったため簡素な避難小屋では兵員を治療するなどできない状態、たった今ダグウェイから駆けつけたミーム大尉の小隊と慌ただしい合流していた
「マイトレイヤー少佐、部下を22人も失った感想はどんなものでしょうか?」
「なんという事もない、これも作戦のうちだ!!」
特殊部隊仕様である耳空きヘルメット、狙撃兵を4人揃えた強行襲撃型装備、武装を固めた小隊の前、ミーム・ディグラッセ大尉に名指しの非難をされた少佐は惨めにも荒地に転がっていた。
自分の銃器はハンドガンだけ、背嚢もない、プロテクターも一番軽い装備、真新しい迷彩に土埃をつけた顔はひどく歪んで叫ぶ
「大尉、君の部隊の到着は遅くないか? 回線を開いたのは1時間も前だぞ。それが死傷者を増やした原因とは思わないのかね!!」
「装備を整えたうえにRAVで走ってきました、諸々支度を整えを考えれば妥当な時間です」
「酷い言い訳だな!! 人間のように言いやがって、呼ばれたらすぐに走れ!! 貴様は仲間のケダモノが死んでも良かったのか!!」
手近な砂を荒々しくミームの顔に向かって投げる。
現在19時33分、約1時間前に少佐は失敗を叫んでいた。
当然ミーム大尉は聞いていた、見苦しい男の遠吠えを
「まさか50人も連れて行って失敗するなど夢にも思いませんでした。きっと勝利を祝えと言っているのだと思いまして祝賀の準備を済ませてからここに来ましたので」
実に苛立ちを煽る冷めた声だった。
彼女の顔は斜に構え目は黄色に輝くままに少佐を見下げた態度を隠さなかった。
当然触れられたくない汚点を突くミームの目線は癇に障り少佐は立ち上がると、ミーム大尉の襟首を掴みあげ、殴ろうと振りかぶった腕のまま倒れた。
簡素な発砲音。
プロテクターの隙間を抜く一撃は、脇を通り右肩を抜けていた。
右ほほを飾る真紅のタトゥー、飛び出した銃弾の衝撃に目が泳ぎそのまま尻餅をつく形で崩れる
「貴様!! 何を……」
「何も、いう事なしの敗北です」
惚けた顔面に向かって連続で音がなる。
目、鼻、口と形を持っていた部位が次々と破砕され、後ろに向かって血の糸を引く。
全く普通の状況だった、普通に話しをしていたところでいきなり撃った。
ミーム大尉の攻撃にマイトレイヤー少佐は3秒で死んでいた、完全な頭部破壊、スイカを割ったように弾ける肉片と脳みそ、眼球に、繋がっていた神経が金糸のように光って見える
「糞人間にしては割と綺麗な脳みそでしたね」
そっけない感想は自分に向かっていた銃口をも止めていた。
少佐の最後にあっけにとられていた取り巻きが、ミーム大尉への銃撃に構えたのを阻止したのは周りを囲んでいた亜人兵だった。
ガードしていた人間の首を見事に胴体から切り離していた、噴水のように飛び出す血が並んだ柱のようにも見える美しさにミーム大尉は頬を赤らめ興奮を晒しウットリしていた
血しぶきは荒れ地を彩る原色の花。
陽が差していないのが残念とミームは牙の歯を見せて怒りを吐き出した
「無能、無能無能無能無能!!! 糞人間は絶対無能な死すべき種!!」
黄金の目が尖り転がった屍体を何度も蹴飛ばし
「亜人諸氏!! 私の元に集え!!」
屍体に興味はない、まだ任務が残っている事を知っている。
甲高い号令にマイトレイヤー少佐に率いられ重症を負った亜人兵たちまでもが腕をあげる。
「マイトレイヤー少佐は前線に自ら出向き指揮を取られたが残念な事に戦死をなさった。屍体は爆散して回収もできないという喜ばしい結果だ。忌々しいのは死ぬなら最初の1発目でぽっくりと逝けと、武器弾薬も使うだけ使って結果もださず、我等亜人の犠牲を増やした罪は重くてデカイ、道を間違える事なくストレートに地獄に行く事を祈る、アーメン」
祈りの言葉と同時に少佐の胸にかかっていた十字架をへし折って捨てる
「ま・さ・に・幸いなる者でしたよ貴方は、ここで死んだ事で大いに祝福ハレルヤです。拒食症でガリガリの男に祈って救われると思っていたおめでたい糞人間、至極当然の死を迎えてくれた事を祝おう」
普通では言えないような言葉が、感情の堰を切ったよう溢れ、ミームの顔をどす黒い感情が支配する。
割れた花瓶のようになった少佐の頭蓋をなんども足踏みし徹底的に破壊すれば、彼女の言葉と態度、その全てが怪我をした亜人兵の傷口に心地よくしみる特効薬となり笑いが巻き起こる。
敗走でボロボロになった後陣の男たちも、到着した小隊の野郎たちもライフルを片手に威勢をあげる。
ミームは周りをグルリと見回し、仲間の顔を確認すると二度頷く
「さあ亜人諸氏よ聞け、我らの任務はこれからだ」
手にしたビーコン、懐中時計のようなそれの蓋をあける。
浮かび上がる立体の空地図、エウロパの翼は彗星のような尾を引いて確実にユタ州へと入ろうとしている。
ミームはシートを投げる
「イゴレット軍曹から今後のセッティングを聞け、聞いて頭に叩き込め!!」
飛ばされたシートからユタ州作戦地域の地図が高低差も精密に浮かび上がる。
ひときは大きな男であるイゴレット軍曹のポイントマーカーが走り、作戦要項を野太い声で指示する
「軽症の者はグラニット・ピークを東側からまわり南側山岳街道頂上にビバークを設営、重傷者はチームを組んで帰投しろ。大尉と小隊は客を迎えに行きこれをゲットし、またここで君たちと合流して基地へと帰る」
素早く陣立をする。
手前に浮かんだ地図はすでに暗記済み、ミームは行先を睨んでいた。
燃えて消える作戦要項を前に手を挙げて
「敵は来るかどうかわからないが、少佐殿の活躍で前線を立て直していると信じよう。おりかさなる苦難に向かってくる糞人間を虐殺しよう!! 血反吐と腸を大地の恵みに返してやろう!!」
小さな大尉の声は高く、よく頭に届く音を出していた。
亜人軍の威勢は、死んだ少佐の弔い合戦という色はなく、むしろ人が死にこれから殺す事に嬉々として力を増し始めていた
「リッスン!! 目的はただ一つ、糞人間たちの希望の収奪である!! 血を滾らせて励むがよい!!」
全ての兵士がゴーグルをし、目玉を黄色く光らせている事で異様なる小隊は風のように動く脅威と変化していた。
目を細めると地平線から少し浮いたところに炎が見える。
月のある夜でも地表付近の暗がりまでを照らせない、元住処だったビバークの燃える様を遠目に見ながら、特殊任務に向かう車はぶっ飛ばしていた。
日中は暑い、蒸し暑いのではなく、誇りで呼吸を殺す枯れるような暑さの土地だが、夜になると寒くなる。
月の光も曇りガラスの向こうにあるような埃の下で、寒暖の差が激しい1日の終わりがくる。
ユタ州は偏西風の範囲から半分以上外れているが、少ないながらも噴火の影響を受けている過酷な大地だ
「いつまでそんな事を言ってるんだい!!」
後発のストライカーで警戒のために銃座につくアデーレは不満いっぱいで頬をはちきれんばかりに膨らましていた。
前を走る銃座からも膨らんで見える顔に、マッカーシーはインカムで叱るがお構いなしだ
「なんでなのよぉ、ママチキン(マッカーシー)とあたいとライリーで行く任務だったのに、なんでルツがこのチームにいんのよぉ!! 納得いかなーい!!」
ウイリアム・ピラ少佐率いる特殊作戦小隊が15ビバークを後にしたのは19時20分だった。
当初の作戦開始時刻を20分も過ぎていたが、ストライカーは道なき夜道を快適に飛ばしている。
ルツという優秀な暗視カメラを持っているため、荒地のバンプを難なく避けて通るから
「私が見ないと事故るってさー、だからでしょー」
銃座に顔を出していたのはただの息抜きではなかった。
ルツの目ならば数百メートル前方にあるバンプを見つけられる
セントラルアメリカは昔から荒れ野だ、上空からは真っ平らに見えるベージュの大地だが、実際は海原のように幾重にも波がある。
風が作った隆起がテラコートの壁面のように、その波は近づくまで高低差を見せないが、飛んでしまうとかなりやばい事になる。
防備には強い装甲車だが、飛んだバンプから2メートルも落ちれば乗っている人間はただでは済まない。
作戦のためライトも付けずに走るには、車を守り道を示すそれ相応の目が必要だった。
当初、特殊作戦小隊の道案内にルツはいなかった。
「接触ポイント地域への案内は、マッカーシー・チキン上等兵、ライリー・アイビス一等兵、アデーレ・クウィエル一等兵の3名になります」
マリア隊長は駐留地ビバーク爆破のために距離をとった隊を前に、出発を急ぐピラ少佐に3人を紹介していた
「マッカーシーは近々で枯れ谷の偵察もしていますから、問題なく案内をする事ができます」
推薦の言葉を入れ、話しを終わらそうとしていたところ、画期的な横槍を入れたのはラッセン博士だった。
曰く、目の良い兵士がいた方がいい。
あの不衛生の塊にも見える博士の申し出を少佐が受け入れ、人員を変えたのには色々な思案があった。
ルイツ・クロウ一等兵。
目に亜人のテクノロジーをもつ少女、その処遇。
作戦行動がなければミドル大尉が実施したとされる不法な生体実験を軍法会議へと、即座にかけたい。
年少兵を使った生体実験、それも亜人の力を使うなど有ってはならない事だ。
同時にミドル大尉の指示に従い実験を実施したデザード・ラッセン博士の引き渡しもしたい。
だが任務を放棄できない。
エウロパからくる荷物を受け取るという最重要任務への時間はすでに押していた
「こんな時に……」
ピラ少佐には切迫した時間の中でやらねばならない事がすし詰めになっており、解決するためには問題をまとめていく必要があったが、それをラッセン博士の横槍が思わぬ形で解決した
「兵員にはルイツを使った方がいい」
不幸中の幸いとも言える発言だった。
問題の2つを手元に置き作戦行動に連れて行けば良い。
ラッセン博士がピラ少佐の都合を考えて、ルツを加えたとは思えなかった。
何しろ嬉々として飛び上がり、「我が娘よ!!」「愛しの実験台よ!!」と宣うたびにルツに張り倒されるを繰り返す猿のような存在。
だが理にかなっていた。
そう考えてしまうほどに、ウィリアム・ピラ少佐という余裕のない若造だった
「ルイツの目は夜に向いている。少佐、作戦を滞りなく無事に済ませるには彼女の案内が一番頼もしい」
乗せられたわけではなかったが、結果ライリーは外れルツがこの作戦の水先案内となり、恋人とお出かけ任務につく予定だったアデーレは文句タラタラになっていた。
先行する車両と後発の車両、距離がある時にインカムは便利だ。
手元にあるチャンネルを勝手に私用化するアデーレは、夜風の寒さに毛皮を被ったルツと話しをしていた。
あたりは何もないが向かって左側に少しずつ大きく見える山、グラニット・ピークの影が見える
「……ねぇ、あんたのその狼の被り物ってなんか意味あるの?」
風切りと砂の音ばかり、ライトをつけない作戦車両では話題が少ない、アデーレは本来おしゃべりな少女だ。
その彼女が恋人と行けない事を理由にルツと一緒の車両に乗らなかっため、1人後ろの装甲車にいる。
寂しいのが見え隠れするが、そこをだましだまし色々な話題を振るが、ルツはいつもどおり素っ気ない
「意味? 寒い時にかぶるだけだよ」
「じゃなんで赤色に塗っちゃったのよ、もったないじゃない上手く剥ぎ取った毛皮なのに」
「だってさー、色つけとかないと盗む奴いるじゃん」
あの狭いビバークで、28人しか馴染みのいなかった場所で盗みが起こる。
日常茶飯事だ。
「悪気はなかったのよ、置いてあったから」と、堂々とした言い訳ではなく、不意にそうしてしまった。
そういう流れ嘘や流れ泥棒は普通にあった
「盗みといえば、あたいの歯ブラシ盗んだの誰よ、知ってるぅ?」
たわいない、そして不衛生
「ライリーじゃないの? 「可愛いアデーレと一緒でいいしょ」とかってさー」
「それを盗られたのよ!!」
なんだ、もう共用してたんだ。
すっぱく歪むルツと、ベロを出して嫌悪するマッカーシー。
すでに2人で使いまわしなのに第三者がそれを盗み共同使用者3人目とか、笑うに笑えない。
「帰ったらマリア隊長に欲しいていえば? ビアンカの荷物の中に残ってると思うよ」
何気なかった、今日死んだ仲間の備品は隊のものになる。
みんなに分け与えられるか蓄えになるかだけ、ルツの単純に思いついた返事だったがアデーレは少し沈黙した。
風と砂の音の中で、軽いため息を流して
「ふぅー……あたいは思うわけよ、あの子さ……今日死ねてよかったんじゃないのかなーって」
話題を意図的に切り替えようとしたわけじゃあなかった。
喪失という何度目かの実感がアデーレにもあった
歯ブラシも何人分か今回の戦闘で余剰が出たんだなーっと、単純に思ったルツ。
アデーレはビアンカの死はまんざら悪くもない事だと捉えていた
「すっぱり死ぬのはありだなー、あたい痛いのやだから」
「生きるの大変だもんね、ただ死にたくないなー」
10年、ルツなら後8年、この戦場で生き残るために必要な年数。
たった2年の間で何度も死にそうになった、眠れない日も経験した、体が痛くて泣いた日もある。
ルツにはもうビアンカの顔を思い出す気持ちもなかった。
新兵が最初の戦闘でいなくなるなんて、日常的すぎて感想の言いようもない
「マナカはなんであんな怒ってたのかな? すぐに慣れるのにね」
「慣れてなかったから怒ったんじゃないの?」
軽口の対応、互いが仲間の死に鈍感になっていた、目の前で起こった出来事から1時間もしないうちに平常心へとシフトする。
野生にして完成された兵士の姿、ふたりの会話が静かに途切れたところにマッカーシーが陽気に割り込んだ
「後何年とか考える前に戦争終わってるかもよ、そしたら代わりの刑期はなんだろね」と。
作戦前にしんみりするのは良くない
たとえ自分たちが直接関係しなくても、周りのテンションに合わせないと上手くいかない時もある。
少し大人のマッカーシーは、良く心得ていた
「刑期の残りかー、食料調達の刑で狩り三昧だったらいいなー」
凡庸な答えのルツに、噛みつくようにテンションを上げたアデーレ
「あたいは決まってるわよ!! 戦争終わって刑期が無くなったらライリーと店やるの、ライリーはバーのやり方知ってるっていうから。ライリーが店長であたいがバーテンダーになるのよ」
「そりゃあいいねぇアデーレ、私ただ酒もらいに行くわ!!」
陽気なマッカーシーにアデーレも応よと腕を挙げ、乾杯のポーズをしてみせる
「仲間だからね、1杯ぐらいあたいが出したげるわよ。ルツも来ていいのよ」
夢のあるアデーレの会話をルツは上の空で聞いていた。
ざらつく風の中に混ざった鈍く重い音を追って文字通り、高い空からこちらに向かう飛行機を発見して
「……来てる!! 少佐さん!! 確認を!!」
「わかった!! もう肉眼で見えるのか!!」
銃座の下、宙ぶらりんになっている隙間からピラ少佐が顔を見せている。
ストライカー前部のハッチを開けラッセンと兵士たちも目視確認をするために空を見る。
翼が漆黒の空を隠すように飛ぶ姿はほんの数秒で轟音を連れてきている
車の中ではラッセン博士の持ってきたビーコンが光を増している、紫の光が脈打つ心臓のように何度も点滅して
「低いし近い、というか近すぎるし……怪我してる?」
騒然とする車内とは別にルツは銃座から立ち上がっていた。
M2を引っ掛ける台座に足を絡め、振り落とされないようにして空を睨む、まだ指でつまめる程度の姿だが音は大きい。
空には黒鉛と火花を飾った飛行機が地表に向かって飛んでいる、いや落ちてきている。
斜めゆっくり着陸体勢を取っているが機体からは明らかな損傷、破壊の火があがっている。
ストライカー内部の兵士たちにも、ピラ少佐にもわかるほどの損傷
「古い機体だな、C-130ハーキュリーズか……なぜ火を故障か?」
4つのプロペラのうち右の2つが止まっている、さらに大外のエンジンは光の帯を引いている。
事態は急転した、ただ迎えに行き荷物を確保、機体を破壊し帰るだけの仕事が、最初から壊れそうな飛行機を迎え入れる切迫した状況になっている
「急げ!! 落下予想地を出せ!! 向こうにもわかるように光信号を送れ!!」
降下する機体の脈動に同化するように、中にある大皿のビーコンが激しく点滅続け兵士たちの鼓動もペースアップする。
一方でルツが拾った四角四面の黒い箱も、何度も紫の光が走り文字も走り抜けていた
「Fallin' Angel type005b Aurarear」と。
手の中で光るサインに唾を飲む、緊張で喉が一瞬にして枯れたから
「……何かが来る……」
背筋を凍らす地響き、エウロパの翼は戦場の真ん中へとやってきた。