01 狼少女
「殺した?」
声が凍る、歯が踊る、彼女の顔は手にかかった鮮やかな血の色とは対照的すぎた。
青白いを通り越し、屍体のように灰色になったままナイフを見つめていた
「私……やっちゃったの、ねえルツ……私どうしよう……」
「違う!! 私がやった!! 私が殺したんだ、ナナイは関係ない」
無理やりにでも声を絞った、甲高い声を響かせたらナナイは崩壊してしまうのでは、そう思えるほど震えていたから。
自分を見ろと、しっかりと目を合わせ、ナナイの手の中にあったナイフをもぎ取った
「私が、私が殺したんだ、殺ってやったんだ!!」
闇は異常に深かった、湿り気のない乾いた空気で喉は割れそうに痛む。
鼻につく匂いが、ドブ泥が血の匂いをブレンドさせて、ぬぐいきれない夢としてこびり付いていた
「私がみんなを守るから……」
12歳幼い心で決めた、この秘密を守り、ナナイと修道院の仲間を守ると。
「ルツ!! 起きて!! こんなところで寝てると踏まれるよ」
真っ青な空が天井になっていた、寝ぼけために鮮やかすぎる青。
じっとりと汗で湿った首筋に張り付いた黒髪、薄く開いた目が空を見る。
ここは通路だ、塹壕という兵隊にとって必要である通路。
平地より一段下がったそこは日陰を作り、通る風は涼やかだ。
目の前に揺れるボロの影とり、デザートパターンの迷彩布のしたは風通しの良い通路。
その真ん中でルツは大の字になって寝ていた。
日に焼けた頬、愛嬌良い丸目、黒髪を後ろで一本に縛った顔は完全に寝ぼけていた
普段ならブーツで蹴飛ばす起床の声が、こえだけで上から来るのに安心しながら手を振る
「昼間は苦手だよー……夜が来るまでは寝るぐらい見逃してよぉ」
「今日は夜警はないよ、それより撮影するから来いってさ」
「撮影ってなに? ジェシー脱ぐの?」
「脱がないわよ!! 前線視察記っていう記事作るとかって……とにかく写真撮りたいらしいのよ」
「車両と一緒に……それで動かしてるの?」
耳元に届く音は確かに騒がしかった。
装甲車や戦車が心臓を動かす音と、煙が当たりに漂い始め空の色を塗り替え始めている。
キャタピラーを鳴らす戦車が群れなすのも前線基地らしい風景だ。
埃っぽい、喉にざらつく粒子を運ぶ
「何聞きたいの? 楽しいことなんてないだろうに」
トロンとした目で寝ぼけた顔、自分で頬を叩いて意識を取り戻す
「だから、前線の現状ってーのをリポートしたいらしいよ」
「天気でもリポートすればいいのに」
「そんなに夜が恋しいの?」
「違うよ、畑のことが心配なの。雨が降ってもっとたくさん野菜が取れたらいいじゃない」
塹壕から出た世界は、サンドベージュ一色の世界だ。
眩しすぎて目を細める、ここが一面の畑だったらという思いが浮かぶ
「トマトとか、きゅうりとか、水気の多い野菜が食べたいなー。じゃがいもはもう飽きたし」
「わかる、私もトマト食べたい。むしろイチゴとか、メロンとか、バナナとかぁ!! そういうのがいいなー」
言われるとよだれが出る、ルツも同意しながら口を押さえる
「それは私も欲しいよぉ!! 緑が欲しい!!」
塹壕の上から自分を呼ぶジェシーも、果てしなく続く砂色に残念と頷く。
年上の彼女は金髪の髪を後ろで一本に束ね目深にかぶったヘルメット、白い肌には油よごれのテカリが見える。
何日も風呂に入ってない顔がルツを急かす
同じように着たきりの泥人形。
金髪碧眼のジェシーでさえ汚れた顔を隠せない、どんな肌色であっても戦場の砂塵は人を汚す。
汚れた上にデザートパタンの軍服を羽織り、下にはタクティカルベストをつけた二人とは対照的に磨き上げられたテレビクルーの車が3台並んでいる。
大型のバンを見るルツは惚けた顔
「あれにはきっとチョコが山盛りに乗っているんだな、を希望」
「あー、だったら大歓迎、インタビューに選ばれたことを光栄に思うって敬礼しちゃう」
背筋を正して胸を張る、たわいもない会話をしながも周りを歩く正規兵に背筋を正す
「最前線斥候駐留地まで行くの?」
そこまで行けば帰りの足も確保だと笑みを見せるルツにジェシーは肩をすぼめる
「行かないでしょう、あんなところ見られたら困るでしょ本物(正規兵)さんは」
「ジェシー、一応私たちも正規兵だよね」
「口約束の登録でね、誓約書貰ったでしょ」
「あんなのトイレで使っちゃったよ。ジェシーのような年増のケツを拭くには少し硬いかもしれない」
「ルツのお尻は石みたいだからちょうどよかったのね」
互いの尻を叩き合って立つ二人、二人ともがM16A4アサルトライフルをぶら下げ、タクティクスベストを着た少女兵だ。
あどけない顔を煤と埃で汚したルイツ・クロウことルツはまだ14歳になったばかりだった。
ネバダ州とユタ州をまたぐ前線基地ウェスト・ウェンドバー、西アメリカ軍の最前線となる街。
街の外角には基地を守るように20メートルを超す巨大にして灰色の壁が並ぶが、下の方はやたらサイケないたずら書きが溢れており、スラムの景色とも似ている。
それ以外の四方を荒涼とした大地であるサンドベージュと太陽と砂埃という素っ気ない場所を小粒の背景に、銀色を磨き上げたプレスプレートをぶら下げた車が並んでいる
「基地から離れたところで撮影しないほうがいいって、ミドル大尉に言われませんでしたか? ミス・エマ」
ルツは愛嬌良い丸目で手を上げてレポーターに質問していた。
ここには珍しい町からの客に。
ウエスト・アメリカン・ニュースのプレスカード。
エマ・ロッサムは最近売り出し中の敏腕レポーター。
報道を表す黄色のジャケット、都会の女らしく小綺麗にまとめたボブカットの笑顔を見せると
「私は戦場で働く年少兵の生の声を聞きたいの。更生プログラム22条が発令されて以来多くの若者に犯罪者が戦場を仕事場としている現状、それが正しいのかそうでないのかを知るには貴女たちに……少しだけ聞くしかない。基地の中じゃ大尉さんがいて言いたいことも言えないでしょ。よろしくねガールズ、ルツちゃんにジェシー」
車の壁、日陰に座ったルツたちの元に、右手でカメラクルーを呼び着々とインタビューの準備をする
ルツは目の色を変え次の獲物を狙って言う
「ねえねえ、車にあったファッション雑誌ちょうだいよ」
目をつけていた、戦地ではなかなか手に入らないカラフルな色合いに目を輝かせ手をあげる。
まるで学校の先生の気を引こうとする生徒のように
「いいわよ、プレゼントするわ。お菓子もお茶も持ってきているからどうぞ」
話の取っ掛かりを見つけたエマは機嫌良く袋を寄せる。
麻袋という戦地仕様、大尉に見つからないように持ち込んだ袋の中にはガムやアメにチョコレートが板で入っている
「やったー!! 久しぶりに豪華だなー、お土産にアデーレも喜ぶよ!!」
「えっと、ルツちゃんはかなり若く見えるようだけど……年齢を聞いても良いかしら?」
語尾が小さくなる。
検閲が飛び出すかもしれない質問とエマは考えていたようだが、ルツは普通だった
「私? 私は今年14歳だよ、たしか」
「確かってなによ、自分の歳おぼえてないの?」
思わず突っ込むジェシー
「だってさ、誕生日だよーって言っても誰も祝ってくれないっしょ!! だったら自分で覚えてる意味ってないっしょ」
脇腹ツッコミにルツもすかさず突っ込む
陽気な二人にエマは安心し、確信に迫るろうと質問を続けた
「随分と若いのね……ここは前線に近いようですが、いつもこの時間に休憩をもらっていますか?」
「今日は特別、テレビが来るからサービスで休憩してあげてるの!!」
そう今日は特別なのだ、前線基地に詰める少女兵を取材したいというマスコミの要請に応じて、もっとはるかに遠い前線から、中間地点のこの基地までやってきたのだ。
この日のために中古ではあるがサンドパターンの軍服をもらい、風呂こそ入ってないが二人ともピカピカの装備だ
二人は極めて陽気だった。
それがエマの警戒心を解き、核心に迫る質問へと心を加速させていた
「あのね、年少兵を使った生体実験が軍主導で行われているって……噂があるのだけど知っている?」
身振り手振りは大げさに見せていたが、質問は街に根強くあるカルト的なものだった。
身寄りのない子、または孤児院から徴用された兵士に行われる生体実験手術の事。
東アメリカ軍が全面展開している亜人兵、これに対抗するために、彼らのノウハウを転用する実験が行われているという噂。
特に聞かれるのは、「獣の目」。
暗視ゴーグルを必要とせず、3000メートルをスコープなしで狙撃でき、近接戦闘術にも活躍が見込めるが、成人した正規兵には使えなかった。
ゆえに体の成長が未発達な幼年兵の網膜に張り付かせる形で手術が実施されていると噂されていた
「お願い二人とも、ここだけの話、貴女達が漏らしたとは絶対に言わないから、教えて欲しいの。これは西アメリカの根幹に関わる問題だから。今日まで100人近くインタビューしているから誰が言ったなんて絶対にわからないわ」
うまいものだった。
エマは親しく頬を寄せてたわいもない話をしている顔を見せながらも、この質問をして見せた。
基地から離れているとはいえ、監視カメラはあるだろうという危険な状態の中でクルーを壁に使いながらもやりきって見せた。
眼差し真剣なエマの前でルツは吹き出していた
「変な話? それってロスとかって街の映画の話なの?」
14歳の小さな体を横に揺らして笑う、隣のジェシーも似たような感じで
「私の目みてよ、カラーコンタクトなんて贅沢なものここにはないですよ」
ベッと目の下まで丁寧にルツは見せて
「カラコンあるならちょうだいよ、私青い目になりたいなー」と、エマの意気込みに反して二人は驚きもなければ隠し事を持ったもの特有の揺れもなかった
「……そう、そういう話がないのなら、その方がいいから」
もっもとそんな話が簡単に聞けるとエマも思ってはいなかった。
今日まで誰もそれを口にしないのだ。
必ず上から釘を刺されているだろうし、無理強いをすれば彼女たちに迷惑がかかる。
大人の深慮はきちんと働き話題を切り替えた。
次に気になっていたものへ、ライトな方向へ
ここに来た時からルツがアサルトライフルとは別に小脇に持っている真っ赤に塗られた毛皮の方へと
「ねぇルツちゃん、その毛皮はなに?」
「これ、狼の毛皮、色は私が塗ったのスプレーで」
「狼? 敵じゃなくて?」
「敵だよ、狼は。畑を荒らすから狩ってるの」
エマは軽い安堵を見せる、ミドル大尉からも聞かされていたが軍での年少兵の扱いは「補給部隊」に限られるとされていたからだ
「害獣駆除をしているのね、その銃で。よかった、それほど敵のいるところに行っているわけじゃあないのね。だったら、亜人兵とかは見た事なさそうよね」
「あるよ、亜人兵。あの犬みたいな耳のあるヤツでしょ……」
それを知りたかった、もう一つの探求に心が動かされ立ち上がったエマは次の瞬間撃たれていた
音の乱打、乾いた発砲音は最初の一打で終わる事はなかった。
むしろ雪崩を打ったように続く
目の前で頭から倒れるエマをよそに、ルツは素早く反撃をしていた。
同じくジェシーは伏せて銃を構える
「余計な事いうから、呼んじゃったんじゃないの!!」
「そんなのどうでもいいよ!! 手玉(手榴弾)!! 援護する!!」
素早い、全面で撃ち放しのルツの後ろからジェシーが礫の爆弾を投げる。
激しく揺れる雑草の中へ、跳ねてそいつは爆発すると周りに赤い花が咲く
「風上から来た!! こんなところまで近づかれるなんて!!」
爆破の間でバンの後ろへ、移動した二人にお構いなしの銃撃が続く
「……撃たれても突っ込んでくるか……この丈夫さ、亜人だね。間違いない」
声は大きかったが荒げる事はしなかった。
これは慣れた戦いだった、ただ西アメリカ軍の前線にして要所であるウェスト・ウェンドバーに現れるとはおもってなかっただけ。
互いがそれを確認した時、亜人兵は大きく吠えた。
人語ではない獣の咆哮に湘女たちの顔が笑う
「来る!! スタン!! 用意!!」
狼が遠吠えをするように、中音域を塗り重ね突撃を告げる音に向かって二人はスタングレネイドを投げ込こむ、犬の耳をつん裂く音の弾丸が八方へと広がる中へとルツは銃を持って飛び出す
「来なよケダモノ、狩りの時間だ」
エマは息絶え絶えの瞳で見ていた、少女兵の戦いを。
それまでが借りてきた猫のように見える、まさにそのままの姿で狼へと豹変した少女を。
マイクを前に座って笑顔を見せ雑誌を欲しがりお菓子を喜んだ笑顔はとっくに消え、あの真っ赤に塗った毛皮をかぶったルツの姿がはっきりと見えていた。
冷徹の牙の笑みを見せる少女の目は夕闇以外の光を明らかに発光していた。
光の糸を引く、赤い光を引くテールランプのように、毛皮のフードの下で赤い瞳が笑っている
「……ああ、こんな恐ろしい事が……」
子供じゃない、邪鬼だ。
大人のような、軍人の持つ鉄壁さはなく、もっと生々しく禍々しいものが目の前にいる。
現れた影を次々と撃ち倒していく。
耳の中に響く金切音にエマは少しずつ抜けていく血とともに意識が遠くが、戦う二人には関係なかった
前衛として銃を構えて走り出すルツ、として後ろを守り投擲を繰り返すジェシー。
銃撃は、意識を遠のかせたエマの耳に果てしなく長く聞こえていた。
永遠に聞こえた銃声、それは大きな音がぶつかる事で耳の中にこだまを続けていたものなのかもしれない
エマは自分を見下ろすルツを見ていた。
昼過ぎに始めたインタビュー、話の腰を弾丸でへし折った銃撃戦、愛嬌の良いルツの目は変わらぬ輪郭を見せているのに、まるで底抜けの沼のようにくらい。
尖っていたり、荒んでいたりしてくれたらまだ良かった。
赤い狼の皮をかぶったルツの血濡れた手とナイフ、夜に輝く真紅の瞳に表情が怖かった
「ルツちゃん……貴女の目は……」
怖い、そういう感情を顔で表す事ができないぐらいに血が抜けて衰弱したエマに、ルツは冷めた目線でベストから小瓶を取り出していた
「目なんか見えればなんだっていいよ、それよりモルヒネ打っておけばなんとかなるかな」
「基地まで保てばいいけどねぇ……」
ジェシーはすでに他の事をしていた、散らばったクルーの私物を漁るというハイエナ行為を。
最初の狙撃で死んだクルーのポケットやらカバンやらを引っ掻き回して
「あーあー、もう少し考えてやれば良かった。カメラとか欲しかったのになー」
「カメラなんて持っていたら大尉に怒られるよ、服と毛布とかカーテンとかもらおうよ」
無邪気な簒奪を続ける二人の前に、何時きたのかミドル大尉は顔をしかめたまま立っていた。
西アメリカ軍ウェスト・ウェンドバー基地を預かる城将。
オールバックの黒めがね、きつく結んだ唇が面倒臭そうに言う
「ジェシー・ヘロン上等兵、報告しろ」と。
上位尉官の登場に二人は立ち上がり、背筋を正すと淡々とした
「報告します、本日15時10分ごろ……」
「損害報告だけでいい」
「了解、現状を報告します。亜人兵の強襲によりプレスクルーとリポーターに損害が、内訳は死亡4生存1、エマ・ロッサム氏が重傷、私とルツ一等兵は無傷です」
折り目正しく軍服を着たミドル大尉の目は現場を静かに正確に観察して動く、灯台のサーチライトのような目は一巡すると並んで立つルツに顎で合図していた。
重傷で救助を待つエマにツィと小さく右に振って、その顎に合わせるように拳銃を抜くルツ
「……嘘でしょ……助けて……」
惚けていた目が大きく開いた瞬間、エマの命は頭と心臓を砕かれる形で終わっていた。
最後に見たのは光る赤い目と、黒い銃口に間違いはなかっただろう。
抜かれたベレッタの先にまだ白い残り香が見える
「報告しろ、ルイツ・クロウ一等兵」
「死亡5生存0です」
「よろしい。不幸な事故だった、私の忠告を聞かずに最前線へと「勝手に」出たエマ・ロッサム氏以下4人は途中で敵亜人兵に襲われ死亡。救助要請に軍は向かうが間に合わなかった。この事件は来月起こる事とする。以上、跡かたずけを速やかに行え」
目の前で倒れたエマの顔を今一度苦々しく見る大尉はつまらなそうに踵を返した。
かつては一つの超大国として世界に認知されていたアメリカ合衆国は今はない。
エウロパ戦線の拡大と移民問題を収束できなかったアメリカは、大陸中央部に起こったイエローストーン拡散爆破作戦の失敗により一気に2つに割れた。
西アメリカ共和国の建国もまた動乱の中で行われた。
西海岸はかつて民主党が幅を利かせた地域だったが、セントラルアメリカの崩壊から10年も経たずに共和党地域の人間が流入大半を占める形で国を成立させた。
赤いアメリカ。
未曾有の災害と怒涛の世界再編成には、強い信仰心が必要だったのはやむを得ないものだった。
起こりうる災厄を避けるために西海岸を中心とした新国家の樹立はなった。
同じ頃エウロパ騒乱により海外移民流入を経て東アメリカ州軍国家が誕生する。
大陸東岸部を襲うセントラルアメリカからの暗雲と異常気象に端を発した騒乱から、東アメリカはこの環境激変の危機を乗り切るため人体改造を容認する、科学技術を多用し瀕死の人類に延命政策を実施した。
その中に禁断の実験により、強化軍人としての亜人が生み出されることになる。
寒暖の激しさと環境汚染。
これらの状況から人間を生かすために始まった実験は、環境適応型の動物との遺伝子組み換えに始まり、人間以上の肉体を作り出すことに成功するが、東アメリカの統制は取れなくなり内戦に発展。
余波は現在セントラルアメリカを挟み、純粋な人間国家である西アメリカに魔の手を伸ばしつつあった。
亜人兵と人類の戦いへと。
世界の経済体制もまた各国相応のダメージを受け、各々が体制の作り直しに手を焼く中、純粋人類による国家西アメリカ政府もまた断崖絶壁のごとくの貧富の差を解消することができなかった。
東アメリカとの戦争を続けるには人がいるが十分な補償はできない、このままでは東と同じく内戦を引き起こす。
そう危惧した者たちによる政策、犯罪者を徴用する更生プログラム22条だった。
宗教と密接に絡み合ったこの政策は、神の赦しを得たければ戦えという前世紀ならば許されない矛盾をはらんだものだったが、いま現在は粛々と施工されている。
格差によって修学もままならない子供達も、そのせいで犯罪を犯した者も、両親の負債を背負う形になった者も、この戦場へと送られていた。
最前線軍部は戦場の均衡を保つために子供達に亜人技術のフィードバックを施し、戦争は始まって以来11年目に入ろうとしていた。
「もうちよっと考えて撃てば良かったじゃない、ルツって絶対に2発をバラバラに撃つよね」
運転席周辺を掃除するジェシーは頬を膨らませて怒っていた。
昨日まではウエスト・アメリカン・ニュースが使っていたバン。
やたら銃創だらけで、名前をスプレーで消した凸凹のボディーだが、15ビバークでは初の屋根あり寝床となる車の中で、ルツは捨ててしまうだろう部品を外し続けていた。
3台あったテレビクルーの車は、無傷の2台を軍本部預かりとなり、銃撃戦で痛んだ車はルツたちに貸し下げされた
「面倒臭いじゃん、撃てと言われたすぐさまズドン。長生きされて無駄に弾使うのは嫌だし」
「それはわかってる、頭に2つでいいでしょ心臓撃つから服もそうだけどプラも取れなかったじゃん。私あの服狙ってたのに」
「あんな派手なのどこで着るの」
車は貸し下げしてもらえたが、クルーの機材は一切合切軍に押収され、結局トランクに入ったエマの服も獲る事が出来なかった。
ルツは後部座席のゴミをバックドアからどんどん捨てていた。
着るもの興味はなかった、中古とはいえ汚れの少ない迷彩服がもらえただけで十分だったが、ゲーム機があればよかったのにぐらいは考えていた
「アデーレと取引するための雑誌も手に入ったし……って、なんだこれ……」
ビバークで人を動かすには物々交換がメイン、取れるものはなんだって取引財貨になる。
だからこそ輝く金属には興味がそそられた。
車の外盤を外したところに、ひっそりと挟み込まれる形で隠されていた箱を取り出した。
本来ならスピーカーが入るべきスペース、ダミーコーンにはめ込まれた箱
「小型パソコン……かな?」
正方形の箱、箱の真横を走る赤い光が割れて開くと画面が見える。
黒い画面に文字が浮かび上がる
「……Fallin' Angel type005b……なんて読むんだ? 天使とかかいてそうだけど……」
小学校も行かなかったルツにこの字を正確に読むことができなかった、読めたのは005だけ、それに腹が立つ
「なんか言えよ!! 最近のは音が出るんだろ!! イエスかノーか言えよ」
割れた爪で無作法に文字を摩った時、明確な反応が返ってきた。
腹たち紛れの行動に機械が答えたようにも見える様に
「Fallin' Angel type005b Aurarear」と。
「フォーリンエンジェル……アウラリア?」
今度は問いに答えない。
それだけを音声として放った箱はまた黒い画面だけに戻っていた
「なんなだよ……」
夕闇は深くなっていた。耳に届いた声は機械からだけではなく世界に響いていた様にルツは感じていた。
赤く光る目が夜の闇も明るく見渡して
「アウラリア……誰かの名前なのか?」
「ルツ!! 車出すよ、ドア閉めて!! 朝までにはビバークに戻りたい!!」
「……うん……」
朝になれば他の部隊に車を横取りされる可能性がある、帰りを急ぐジェシーの声に気の抜けた返事。
ルツは新しい出会いを見つけていたが、この時はまだ気がついていなかった。