第2話
翌日、放課後が訪れた。テニス部に行く枝葉と別れた俺は、早速四階の隅、昨日まで誰一人として使っていなかった空き教室まで行ってみることにした。
聞いた話によると、数年前まではこの教室も普通に使われていたそうだが、少子化が進んだ影響で生徒数が減り、使われなくなったのだという。悲しいな、少子化。このまま進んだら日本から人が消えてしまうよ。……ってそんなこと思ってる場合じゃなかった。
昨日のあれで逢坂さんは待つのが嫌いなんだと分かった。だから待たせると何を言われるやら。
まだ青い空を窓越しに見ながら廊下を進む。昨日まで何も書いてなかったプレートには「人間研究部部室」という文字が書かれている。ずいぶんと手配が早い。
教室の前まで来て、ドアを開いた途端、予想通りの展開が待っていた。
「遅い! 終わってから三分以内に来なさいよ!」
「全く、無理なことを言うな」
俺のクラスから徒歩三分半はかかるな、ここまで。
「いいわ、開いてる席に座って、早く始めたいから」
教室内を見回すと、本来なら机が四十個ほど置いてある場所に机と椅子は無く、黒板の前に少し大きめの丸いテーブルが置いてある。そしてそのテーブルに並べられた五つの椅子には既に逢坂さん含め四人座っている。一番入り口に近い席が空いていたから、俺はそこに座った。
「よし、全員揃ったわね。それじゃあ記念すべき第一回目を始めます。部活の内容は事前に説明した通り、『人間とは何か』これを調べる部活よ。活動を始める前に自己紹介をしないといけないから自己紹介してください」
逢坂さんは「じゃあ鏡花ちゃんから」と言って俺から見て右隣にいる少女の肩を軽く叩いた。
「一年Aクラスの天原鏡花です。偶然くじで当たったとはいえ、真面目にやっていこうと思っています。なのでこれからよろしくお願いします」
かなり固そうな人だ。真っ直ぐに伸びたロングの黒髪、というより容姿全体が大和撫子を連想させる。それに胸の大きさが同級生を凌駕していることもあり、大人びて見える。別に俺は常にそういう目で異性を見ているわけではないぞ、決して。
逢坂さんに鏡花ちゃんとか呼ばれてたけど、ちゃん付けで呼ぶ人は少なそうだ。寧ろ一人だけ?
「鏡花ちゃんはいつも固いわね。もっと柔らかくならないのかしら? まあ、いいわ。次は和泉琥珀ちゃんね」
「和泉琥珀です。一生懸命頑張るからよろしくっ!」
ショートヘアのすごく明るそうな少女だ。多分他の人が見たら何で運動部じゃないんだろうかと思ってしまうほど、運動部オーラ的なものが出ている。
「じゃあ次は静波マリンちゃん」
静波マリンと呼ばれた少女は銀髪ショートで瞳が黄色い。外国人だろうか。
ん? こいつさっきから一切表情が変わっていない。何でだろ?
「こんにちは、静波マリンです。本名はエクリティカ・マリン・フォンサン・クリプトです。地球から約三千万光年離れたエンシェント・パペピルカ星から来ました。よろしく」
…………? 誰だよ、ていうかどこだよそこっ!
これまた凄まじい設定のやつが現れたな。無表情なのはエンシェントうんたら星人は気持ちを顔で表す能力が乏しいとかいう設定なのか? 何か本気でこれから苦労しそうだ。
逢坂さん、天原さんは綺麗にスルーしてるけど、一人スルー出来なかったやつがいるみたいだ。
「お前、宇宙人なのかー? すげー初めて見る。人間そっくりだな、私ずっと宇宙人ってタコみたいなのかと思ってたよ。いやー良かった、今まで生きてて良かった」
スルー出来なかったどころじゃなかった。完全に信じきっちゃってるよ、和泉さん。一瞬予想した通り、あなたは一直線なバカなんですね。
「本当の姿……見たい……?」
あー宇宙人が余計なことを――
「え? 本当か? それ本当の姿じゃないのか? 見たい、すごく見たい」
やっぱり。案の定食いついてきたよ。天原さんなんか額に手を当てて溜息ついてる。
「はいはい、本当の姿は後で見せてもらえばいいから。一旦座って静かにしてくれる?」
逢坂さんがブレザーを脱ごうとした静波さんを止め、異様にテンションが上がった和泉さんを制して言った。
二人は大人しく座り、宇宙人登場騒動は一応幕を下ろした。
「じゃあ次は、柊君」
「俺は柊翠です。宇宙人(?)の直後じゃ少し自己紹介しずらいんですが、これから頑張っていこうと思います、よろしくお願いします」
「む、スイ、私が宇宙人だと信じてないな」
「はい、それはもういいから。私は部長の逢坂桜よ。皆で楽しくやっていきたいと思っているからこれからよろしく。これで自己紹介は終わりね。早速活動に入っていこうと思います。ある一定の期間、人間が行う行動についてテーマを決めてそのテーマに沿って人間を考察していきます。そしてそれを積み重ねて人間とは何かを考えたいと思います。ということで第一回のテーマを発表します、『怠惰』です」
「『怠惰』? 何でまたそんなもんを第一回のテーマに?」
「それは人間が一番陥りやすいものだからよ。明日のこの時間に考えてきたことを各自発表してください。では今日は解散」
意外とあっさり終わったな。それにしても怠惰の発表とか、何を発表しろってんだよ。天原さんなんて怠けたこと無さそうだ。とりあえず、部室を出て家に帰る途中に歩きながら考えよう。
そう思って部室を出て歩いていると、後ろから声をかけられた。
「スイ~、ちょっと待って~」
後ろに振り返ると、和泉さんがこっちに走って来た。その後ろから静波さんがゆっくりと歩いてきていた。
「何か用ですか、和泉さん?」
「あ、私のことは同じ部活の部員だから琥珀って呼んでいいよ。あと話す時は「です」とか「ます」とかは使わないでね」
「じゃあ、何か用か、琥珀?」
「そうそう、いい感じ。今からマリンの本当の姿を見るんだけどスイも一緒に見ない?」
いや、本当の姿はさっきの人型だろ? 俺はこれから家に帰って怠惰について考えたいんだが。
「部長に課題出されただろ? それやらないと」
「一緒に来てくれないの?」
う、そんなに真っ直ぐに見つめられると断りずらい。これが天然の力なのか……?
「分かったから、ついていくから、ちょっと近い」
琥珀は見つめながら少しづつ近づいてきていた。一歩近づく毎に真っ直ぐな瞳の威力は増していた。だから思わず降参してしまった。
「あ、ごめん。来てくれるんだね、ありがとう」
気付くと、さっきまで琥珀の後ろを歩いていた静波さんはいつの間にか俺の隣を通り抜け、先へと続く廊下を歩いていた。
そして琥珀は俺の手首を掴んでそれに続く。琥珀の腕力は意外と強かった。静波さんに追いつくと、琥珀は掴んでいた手を離し、俺は手首を押さえながら前を歩く静波さんについていった。
ついていって来た場所は屋上だった。既に空は鮮やかなオレンジへと姿を変えようとしていた。爽やかな酸味と甘みが口の中に広がるような色である。屋上の真ん中まで来た静波さんは言った。
「スイ、私のことも名前で呼んでいいぞ、同じ部の部員だからな」
わけが分からないが、一応頷いておいた。
「マリン、早く本当の姿見せてよー」
隣で琥珀が笑顔で言っている。こいつはどうやって切り抜けるんだろうな。
「む、ちょっと待って」
そう言うと、マリンは耳の後ろに手を当て、何かを聞き取っているかのように辺りを見回し始めた。何をしているんだろうか、こいつは?
「おい、マリン、何をしてるんだ?」
「ちょっと黙っててくれ、集中してるんだ」
本当に何をしているのだろうか。何を聞こうとしているのやら。
俺と琥珀は黙ってその奇怪な行動を眺めていたが、十秒ほど経っただろうか、マリンは突然両手を降ろし、こちらに振り返った。
その顔はさっきからずっと変わらず、無表情だ。
「誰かの声が聞こえた。同じ星からの移民かもしれない。私は声が聞こえた方へ行ってみる。だからすまないが二人は先に帰っててくれ、じゃあ」
唐突にそう言ったマリンはダッシュで階段を降りて行った。俺達はただ呆然とそれを見つめるしかなかった。
……って結局ゴリ押しじゃねーか! 何が声が聞こえるだよ! どこのアニメの一話の序盤だよ全く。因みに俺は言うほどアニメは見ない。
「マリンさ、何でさっきキョロキョロしてたの? スイ、分かる?」
ここに事態が全く分かってない少女が一人いた。
「ひょっとしてマリンが声が聞こえるって言ったのと関係あるの?」
「多分あいつはテレパシーをしたフリをしたんだ」
「テレパシーーーーー? スゴイ、流石宇宙人! やることが違うなぁ」
どうやら琥珀に述語の部分は聞こえなかったようだ……。あの自称宇宙人はこの場から逃げるのと同時に、一人の少女に余計に強い宇宙人の印象を与えた、いや、植えつけたようだった。
俺と琥珀はマリンの本当の姿とやらを拝むつもりで屋上まで来たのに、見せる本人が勢いで逃走したために目的を失い、結局帰ることになった。
琥珀は、帰る道中ずっと宇宙人について長々と語っていた。どんだけ宇宙人好きなんだよ。