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フレイムキッドは目の色を変え手のひらから赤々と燃える炎を出現させた。隣の彼女も戦闘態勢に入る。チェルシーはまだ動かない。
「わざわざパトロール中のヒーローの前に出てくるだなんて。それに知らない顔だな」
「昨日入社したところですから」
「なるほど、舐められてるのはこっちなのね」
新人を単独で赴かせるとは、見くびられたものだ。しかもこちらは二人、特にフレイムキッドはブラックシューターに負けたとはいえ注目されている実力者。それなのに相手はまだ幼い新人の少女。
「侮るにも程があるぞ、暁帝国……!」
心外以外の何物でもない。
怒りを顕にしたフレイムキッドは地面を蹴り、炎を掴む右手をチェルシーに突き出す。それを食らう直前で横へ飛び退いた。だがバランスを崩し道の端に置かれたゴミ箱諸共転倒する。
盛大な音で事態に気づいた人々は悲鳴を上げる。ヒーローが戦いを始めれば、この場は危険になる。
その前に逃げなければ。
「いったたた……流石に速いですねぇ」
中身の飛び出したゴミ箱の下敷きになりながら、悪臭に顔を顰めた。最悪の臭いだ。しかしのんびりしている暇はない。
続いてもう一人のヒーローが蹴りを繰り出す。これまたギリギリで避けたが、チェルシーの上に乗っていたプラスチック製のゴミ箱は呆気なく粉砕されてしまった。
子どもだから手加減を、なんて気遣いはなさそうだ。
「逃げるだけか」
「いや逃げるでしょう普通。正直、厳しいですよ」
その言葉は本当らしく、少女は額に冷や汗を滲ませている。
最初の一撃の際に、彼女が戦いなれていないのが見て取れた。だが降参する気もさらさらないらしい。
チェルシーは右手の中に短い杖のようなものを出現させた。薄いピンクの持ち手の先には鈍い琥珀色をした菱形の石、まるで魔法少女だ。
使用する武器までふざけているのか。二人の怒りはさらに煽られる。
「お前みたいな奴が暁帝国にいるなんてな、がっかりだぜ」
再びフレイムキッドの手から炎が燃え上がり、今度はその火の玉をチェルシーに向けて次々と飛ばす。チェルシーは胸の高さで杖を突き出し石の先から透明な盾のようなものを造形、攻撃を防いでいる。フレイムキッドは舌打ちをしつつも攻撃の手を緩めず、それによってチェルシーも動くことが出来なかった。
「流石、最近波に乗ってるヒーローですね」
「あら、こっちも見てくれる?」
その声にようやく、チェルシーは完全に気配を消したもう一人のヒーローが背後に迫っているのに気がついた。俊敏に意識をそちらへ向け振り向く目から飄々とした色は消え、代わりに恐怖が浮かぶ。
一回転して速度のついた鋭い蹴りがチェルシーの脇腹を捉えた。彼女は体術に長けているらしく成人男性の力を遥かに凌ぐ一撃。瞬間的に全身を駆け巡る衝撃に呼吸が止まり、次の瞬間にはレンガ造りの壁面に激突する。
「か、はっ……」
普通の人間なら即死なところだが、彼らは数段丈夫に出来ている。全てが眩み離れそうになる意識をそれでも繋ぎ止める。圧でへこみひび割れたレンガの壁からチェルシーが滑り落ち、糸の切れた人形の如く倒れた。
自身の武器を握る力すらなく、もはや失い頭上の二人を見上げるしかない。
「威勢がよく無礼な割には呆気ねぇな」
「こう、いうの……死亡フラグってんですかね……」
「馬鹿か、殺したら重罪だぞ」
力なくも何が可笑しいのかチェルシーはけらけら笑った。
勝敗は明らかだったが、フレイムキッドは勝ちを宣言しようとしない。
「……?」
「宣言するまでもねぇだろ。こいつは──」
言葉が途切れ、眉を顰めたヒーロー二人は素早く後方へ跳んだ。その僅か一秒経つか否かという後、二人が立っていた地面が吹き飛んだ。チェルシーもその衝撃でされるがままに体が浮き、地面に叩きつけられた。
人為的によるものだということは明白。
爆発の直前フレイムキッドの目に映ったのは、黒の光を纏い膨れ上がった弾だった。
「今の弾丸──」
彼は誰によって放たれた一撃なのかを瞬時に悟った。冷たく慈悲のないその者のことを、よく知っている。
「──ブラックシューター!」
黒衣の悪は屋根の高さから吼えるフレイムキッドを見下ろした。右手に握られたペーパーボックスピストルの銃口からは微かに硝煙。彼はゆっくりと下降しながら無表情な調子で告げる。
「すまなかった、彼女は私の部下だ。無礼の責任は私が請け負おう」
「あんたの部下かよ。で、責任って?」
「二人同時で構わない、私が代わって相手をしよう」
ノットの目つきが変わる。
いつでも来い、その合図だ。
「まさか、負けに来たんじゃねぇよな?」
「無論だ」
そうか、よかった。
そう呟いたかと思うと、フレイムキッドは両腕、指先から肘のあたりまで炎を纏う。赤々と揺らめくそれは彼の心情を映すように燃え盛る。相手の動きを慎重に探るような戦い方は、柄じゃなかった。地に足をつけたばかりのノットに殴りかかる。流石に素早く躱されるが想定内だ。
「ノット様!」
フレイムキッドの動きに気づいたチェルシーが叫ぶ。フレイムキッドは舌打ちしてから速度を上げた。
ノットが逃げた方に息つく瞬間もなく身を翻すとその勢いのまま、燃える腕で空を切る。すると弓のように弧を描く炎の刃が高速で放たれ、背を向けるノットを狙う。今度は簡単に避けられる速さではない、しかも彼はこちらを見ていないがために反応が遅れるのだ。
勝負は貰うぞブラックシューター。
そう喉まで出かけた。だが次の瞬間、攻撃は爆音と共に相殺される。
「彼らの相手をしているのは私だ。君は口を出さずに見ていろ」
爆発の余韻が空気を震わせる。徐々に薄くなる煙の中から姿を見せたノットは両手に銃を構えた状態でチェルシーに言った。戦い方を知らない新入りに言われなくとも背後から攻撃してくることなんてわかっていた。幾度となく繰り返された戦闘のお陰で、予想する能力は嫌という程身についているのだ。
「流石だフレイムキッド、まだまだこれから伸びるだろう」
「ははっ……余裕かよ。あんた怖いな」
不真面目で未熟な精神は垣間見えたものの、話題になっているヒーローの強さは噂に違わぬものだ。それを素直に褒めたつもりだったが、彼はあまり嬉しそうではないのがノットは少し残念だった。
だが、まあいいだろう。
昨夜の自分がどれくらい本気で彼を打ちのめしたのか知らないが、少なくとも手を抜いて勝てる相手ではない。
余裕か、と彼は言った。
まさか。
「君は強い、余裕なはずはないだろう」
そんなつまらないもので終わらせる気はない。ノットは口の端を僅かに吊り上げた。