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Not Knock  作者: モク
第1章 ブラックシューター
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 そうだな、何から始めたものか。


 一先ずは訳もなく社内に特設された自室へチェルシーを案内している形になっているのだが、新入りの面倒見役の経験がないため何の説明から手をつけていいのかわからない。というより小さなパニックに近い。

 何しろノットはこんな任務を押し付けられないくらいには多忙なエリートなのだ。



「もしかしてぇ、ノープランです?」


「……」



 そしてまたこの少女はどうして図星を突いてくるのか。それ程わかりやすい顔をしているのか、私は。いや、以前グルシェムから「貴様は何を考えているかさっぱりだ」と嫌味を言われるくらいには……。


 そうとしても図星とは恐ろしい。反論は愚か何の台詞も出てこない。



「こういうときは当たってても見栄を張るもんですよ。真面目ですねぇ、ノット様」


「君は私をどうしたいのだ」


「ノット様を、ってよりは、だからあたしを相棒に」


「駄目だと言ったはずだ。からかうのも大概にしろ」


「心得ましたっ」



 腹が立ったわけではないが、そろそろ制しておかなければペースに巻き込まれるどころか呑み込まれてしまいそうだ。もっともチェルシーは、だぼだぼの片袖を額に当ててきゃははと笑っているのだから、効果が一時的なものになるだろうということが見て取れる。


 グルシェムから彼女を預かってほんの数十分、誰かに丸投げしてしまいたいという怠けた情が沸いてくる。もちろんそれは暁帝国トップエリートに相応しくないものである。


 そもそも何故、自分が。



「あ、そうだ。社員食堂なんてあります?お腹空いちゃいました」


「まあそれは……しかし唐突だな」



 十時前だというのに。



「あたし人一倍食べるんですよねぇ。連れてってください」



 社内を案内するのに丁度いいだろうと食堂に連れてきたが、なるほど確かにチェルシーは大食らいだった。活気のある若手の為にメニューに追加されたビッグサイズのカレーを難なく平らげた後、ステーキ、シーザーサラダに山のようなパフェまで綺麗に空にしてから手を合わせる。



「ごちそうさまでしたっと」


「君の体はどうなっているんだ」



 同時に、これだけの総額はいくらになるのだ。無論、まだ稼ぎのない彼女に払う金はないためノットの奢りである。



「私でもこんな量はとても食べきれない」


「そりゃノット様があたしと同じくらい食べる方なら、きっとヘルスメーターの針がぶっちぎっちゃいますよぅ」



 遠回しに「お太りになられているでしょう」とでも言いたいらしい。どこまでも面倒だ。

 しかしそれはそうだな。コートの下に隠れているため知れないが、ウエストの幅も大して変わっていないんじゃないか。



「何ですかじろじろと。ひょっとしてコートの中が気になります?やだぁ、むっつりスケベなんですね!」



 今すぐその皿に乗っているスプーン、フォークとナイフを口の中に突っ込んでやってもいいのだが生憎と柄ではない。周りの視線が尖っていようとも私は動じてなどいない。断じてだ。

 確かにコートの中に何か着ているのかそれとも全裸なのか気になったが、そういうアレではない。



「少し黙れ」


「瞳孔が揺れてますよ?」


「黙れ」



 一旦はノットの威圧に押されたものの、ほんの数分でそれを忘れたようにチェルシーはまた口を開く。



「そもそも魔王って人間なんですかね。それとも本物の悪魔?だとすると、やばいんじゃないですか、ねぇ!?」



 悪の権化たる最高位の悪、魔王。しかしてその姿を目にしたことのある者は悪の組織に属する人間ですらいないと言われている。


 正体不明。

 言わばお約束。


 たとえ魔王が人間でなく悪魔やら異形やらの類だったとして、それに怯える者が一体どれだけいようか。

 世界事情そっちのけで日々続く高収入の戦いを、ほとんど関与してこない悪の大ボスが事実人間ではなかったと聞かされたところで、組織の者たちはこれっぽっちも危機感など抱くことなく、また手放さないだろう。魔王が本性を露にして人間たちを手当たり次第に食い散らかしでもすればまた別の話だが。


 だから特にこれといって、やばくはない。というのがノットの本音であり、寧ろ社員が大勢集う食堂のど真ん中で、本当はいないんじゃないかだの正体は変態かも知れないだのと喚き散らすチェルシーの方が、やばい。



「ちょっと来い」



 チェルシーの首根っこを掴んで食堂の外へ引っ張り出す。「釣りはいい」と台に紙幣を置けば、レジ担当のアルバイトの少女が頬を赤らめる。


 整った容姿のエリートにはファンが多い。



「いたたたたっ……痛いですノット様!」


「いい加減にしろ。君は一体誰のことを存在しないだの変態だのと口走ったか、わかっているのか」


「……怒ってます?」



 怒ってはいない。だがそう見せかけるくらいには、彼女の発言は軽率すぎたのだ。己の大元の雇い主を、あろうことか公衆の面前で侮辱するとは何たることかを、この無知で無礼な少女に教えなければならない。



「たとえ新入りの子どもでも組織にいる限り、見逃せないこともある」



 チェルシーは肩をすくめて俯いてしまった。



「……以後、心しておくことだ」



 我ながら、甘い。普段の冷静沈着で冷徹な彼の態度とは、どこか心持ちが違っている。やはり彼女には何故か調子を狂わされる。



「いいんですか?」


「今回だけだ。私はそれ程甘くない」



 そう、甘くないのだ。半分はそう自身に言い聞かせるように戒めた。

 目を丸くしながらきょとんと呆けていたチェルシーだったが、一瞬遅れて表情を明るく輝かせた。無邪気で眩しいはずのその笑顔が、ノットには何故か嫌な予感を煽る。



「流石ですノット様!やはり暁帝国のトップは懐が大きいですねぇ」



 やはり挽回の機会を与えずグルシェムに突き返すべきだったか。まるでノットが許してくれることなんて初めからわかっていたと言いたげな、反省の「は」の字もない、そんな顔だった。


 不思議なことに、実に不思議なことにこのときノットの体は数日間無休で働き続けたかと錯覚するほどの疲労感に襲われたという。



(幸先不安だ)



 明るい色の髪を跳ねさせながら、チェルシーは不愉快なのをもはや隠しきれていないノットの後ろを尚もついてくる。社内の案内など既にどうでもよくなっていた。とにかく自室へ、いや今日くらいは住み慣れた家へ帰ってもいいかも知れないな。


 ノットは社内の部屋に引っ越してきたわけではない。功績を重ね仕事が増えるにつれ、家に帰る時間すら惜しくなったのだ。

 昨日のノルマも未だに手つかずだが、まあいい。その気になれば半日とかからず片付けられるだろう。


 陽はじきに沈む。今日はもういいだろう。



「今日はもう終わりにしよう。君も家に帰るといい」



 一刻も早く眠りにつきたい。

 今ノットを動かすのはその気持ちだけだった。



「あー、家ですか……ちょっと帰りづらいんで、一緒に泊めてください」


「断る。どうしてもと言うならば、社の中にある部屋を貸そう」


「えー、ノット様と一緒が……」


「いい加減にしろと言ったはずだ。私は甘くない、ともな」



 チェルシーはもう何も言わなかった。

 駄目だな、とノットは思う。この威厳こそが本来在るべき彼である。普段の彼である。どうしてチェルシーの前で、ここに至るまで平生の調子を取り戻さなかったのか。


 情けない。



「部屋まで案内しよう」



 沈黙の中で二人はブラックシューターの為にと用意された部屋へ向かう。あれだけ絶え間なく喋り続けていたチェルシーも一言も話さなくなってしまった。恐らくはこれでいいのだろうが、それはそれで何やら落ち着かない。何か話を切り出すべきか否かと躊躇っている内に、気づけば見慣れた扉の前だ。



「鍵は中から閉められる。部屋は好きに使ってくれて構わない」


「ええ、そうしますよ」



 チェルシーは苦笑気味に言ってドアノブに手を掛ける。



「ではおやすみなさい、ノット様」



 おやすみ、と返しチェルシーが扉を閉めるまでを見届けてから、ノットは一瞬にして姿を消した。同業者ならば大抵が使える瞬間移動だ。ヒーローとの対戦くらいにしか使用しないのだが、今日は歩く時間すら惜しい。

 とはいえ長距離で使えるものでもなく、一先ず社の外まで飛んだ。


 普段ならばここから徒歩だがやはり面倒。空気抵抗が苦しくない程度の速度で家々の屋根の上を飛行。

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